気配りと神経質は違う

神経質  …  神経の機能の過敏または繊弱を特徴とする心的性質
こまごまと気に病むたち。 または、そのさま

  世の中には気配りのできる人を、神経質な人と勘違いしていることも多いように見受けられます。 これは逆に言えば、神経質だから気配りがでるということになってしまいます。 本当に気配りのできる人とは、意志が強く、思いやりがあり、知恵と知識が豊かな人だと思うのですが。 気配りと神経質ということは根本的に違うことなのですが、現象が似ているために気配りのできる人は神経質な人が多いと考えられるようになったのだと思います。 ちょっと、管理人としても独断的にスキルような気がしますが。 お許し願います。

  神経質な人は過ぎ去ってしまってどうにもならないことや、よけいなことや、将来起きるかどうかまったく予想のつかないようなことばかり気にして、気配りをすべきところには気配りができていないようです。 前に書いたことなのですが、「気の小ささと気配りを勘違いしていないか」を読んでいただければ、お分かりになると思います。 神経質なために気配りができているように見える人の気配りには、どこかおどおどとした、いつも相手の顔色をうかがっている節があります。 これは気配りをしているように見せることによって(自分では意識していないかも知れませんが)、相手から信頼してもらおうとか、気に入ってもらおうとか、消極的には相手に見捨てられないようにしようという魂胆があるからだと思います。 当人はそんな風には、考えたこともないでしょうが。

  本当の意味での気配りをしている人には、わざとらしさや、押しつけがましさが感じられず、さわやかさを感じられます。 そんな人の心には相手に取り入ろうとする魂胆がなく、自然に振る舞っているからでしょう。 神経質な人の気配りには、悪く言えば下心があるのです。 決して悪い意味ではなく相手に気に入られようとする、下心が見えるのです。 普通の人ならば気にすることもないことに、いつまでもこだわってしまうのです。 神経質だから周囲のことが必要以上に気になるのか、周囲のことが気になって仕方がないから神経質になったのかは、私には分かりません。 神経質なために気配りをしている人は、自分に自信を持てるようにすることが必要だと思います。 自分に自信を持てないから、周囲を気にせざるを得なくなったのですから。 自分に自信を持てれば周囲のことなど、自然に気にならなくなります。 この意味で周囲のことを必要以上に気にしたり、周囲のことに必要以上に振り回されているひとは自分に自信を持てない人だと見ると、意外にその人の正体が見えてくるように思います。 たとえ、その人がどんなに自信ありげに振る舞っていても、本当の姿を見ることができるような気が

 神経質からくる気配りをしている人と接していると、なんかこちらも疲れてきますね。

  このように考えると、自分は本当に気配りができているのか、神経質なために気配りをせざるを得なくなっているのかが分かるのではないでしょうか。 気配りは積極的にやるべきことだと言えますが、神経質故の気配りはすべきではありません。 自分の身を滅ぼす元となりますから。 

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