臆病者は慎重にもなれない

慎重  …  注意深く、落ち着いていて、軽々しく行わないこと
臆病  … 気が弱く、ささいなことをも怖がって、びくびくすること

 「慎重と臆病」を辞書で引くと、上のように書いてありました。 私流に慎重な人を定義すれば

用意周到なひと
      ・気配りのできるひと
      ・根回しのできるひと
      ・機転の利くひと (状況の変化に即応できるひと)
実行力のあるひと
統率力・指導力のあるひと
どんな結果でも素直に受け入れることのできるひと (準備の段階でどんな結果も可能性として考えているから)
責任を他人に押しつけないひと
責任と裏返しのことになりますが、手柄を独り占めにしないひと
損得を総合的な視野で判断できるひと

 ほかにもいろいろとあるとは思いますが、とりあえずこのようなことをあげておきます。

 臆病な人とは

まず結果を先に考える人
他人の目を必要以上に気にする人
責任転嫁をする人
決断力のない人 (他人の決断を自分の決断とする人)
損得以外は考えられない人
機転の利かない人
部下に明確に指示命令を下せない人
ものごとを先延ばしする人
よいことばかりを独り占めにする人 (よくないことは責任転嫁する)
慎重に考えても実行に移さない人

 ざっと、こんなところでしょうか。

 慎重な人ほどあらゆる可能性を想定し、それらにたいする対応策を準備するので、いったん決断すれば迷うことなく実行し、結果についてはあまりくよくよしません。 最悪を想定して、最善を尽くしているからです。 なぜなら、考えられるあらゆる手段を講じたので、もう打つべき手がないので、心配してもどうにもならないことを知っているからです。 結果を必要以上に心配するのは、もっとやるべきことがあったのにやっていなかったため、ほかの方法があったのではないかという心残りがあるためと思います。 全力をつくしていれば結果は気にはなっても、それほど苦にはならないものです。 ただし、結果をまったく気にしないのはどこかおかしいとは思いますが。

 これに対して臆病は、全力を出しきって努力しても結果ばかり気にするという、救いようのない状態です。 他人様のことを、とやかく言えた義理ではないのですが。 臆病者が真っ先に考えることは結果です。 手段を考える前に結果を考えてしまうのです。 このような状態は一種の病的な状態だと思います。 そしてこのような考え方をする人は、結果を概して悪い方に考える傾向があります。 できるか、できないかも分からないうちから、悪い結果を予想してしまうのです。 (このような状態が続くと、一種の精神症に陥ってしまうでしょう。) このように考える気持ちも分からないではありませんが、自らが地獄の状態を作り出していると言わざるを得ません。 仕事でも、個人的なことでも同じです。 このような人は他人を信じられないし、まして自分も信じられないのではないでしょうか。 

 では、臆病な人は慎重かというと、慎重にはなれないのです。 これは私の独断と偏見ですが「臆病者は慎重にもなれない」、もっと正確に言えば慎重さにかけると思います。 なぜそうかと言うと、臆病な人が慎重に考えたつもりでも、常におどおどしたところがあり心に余裕がないために綿密に考えたつもりでも、なにかを見落としているからだと思います。 私の経験から言っても、そう思います。 心の広い人や決断力に富んだ人ほど、慎重で小さなところまで配慮がなされていると言わざるを得ません。

  慎重な人は、いったん決断すれば大胆なのに、臆病な人は決断しても優柔不断なのです。 「臆病と慎重」は、厳密に使い分ける必要があるのです。 「慎重さ」を「臆病」と勘違いされても、気にすることはないのです。 臆病な人が「臆病者」と言われたときは、よく考えることが必要ですが。

 本当に臆病な人とは、慎重に考えてもなにも実行しない人です。 あなたの周りにこんな人がいなければいいのですが。 

  全力を出しきれば後は「運を天に任せる」しかないのですが、それができる人とできない人とでは運命に大きな違いができるはずです。 この違いは人間をしあわせにもするし、地獄のようなところへも突き落とすことになります。 決断したら結果をあまり気にしては絶対にいけないのです。 そう、絶対にです。 でも、難しいですね。

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