臆病者は慎重にもなれない

すなお  …  飾り気なくありのままのこと
曲がったり癖があったりしないさま
心の正しいさま

  ここでは「素直」を、上記のような意味で用います。 一見すると心の弱い人や自我が確立していない人は、他人の言いなりになることが多く素直なようにもみえますが、それは「素直」と言えるのでしょうか。 心の弱い人や自我の確立していない人の言動は、「素直」と呼べるものではなくてよく言えば「従順」、悪く言えば「追従」というのではないでしょうか。 それらの人の言動は常に抑圧された心の中から発し、相手に文句を言いたいのだけれど言えないので、仕方なしに相手の考えに従っているだけだと思うのです。 それを世間では「素直な人」と受け取っているに過ぎないのです。 だからこのような人が問題を起こすと、周囲の人は驚いたり、まったく心当たりがないと言わざるを得ないのです。  

  心の弱い人が自分を守る方法には、

相手に妥協や迎合をする
反発しない
       ・ 自分の意見を言わない
物質的な豊かさで自分をごまかす
批判や非難をされることが恐ろしいので、気が利く振りをする
自分を表現しない
自分を偽る
相手に経済的な利益を与えることで自分を保とうとする

  など、こんなことがあげられるのではないでしょうか。

心の弱い人がすなおになれない最大の理由は、自分を過大に表現することで自分を守ろうとするからでしょう。 自分を偽れば当然ながら、ありのままの自分を表現することはできないのです。 精神的な自分(自我)がないので、相手に批判や非難をされることはなによりも辛いことになってしまうのです。 言われても言い返すことができないことは、精神的なストレスを溜めることになり、ひいてはますます自我が崩壊していくことにもなるからです。 

  心の弱い人は自分を偽ったり、飾ったりすることでしか自分を守ることはできないのです。 だから、本当の自分をさらけ出すことは、極端な言い方をすれば死ぬことと変わりがないことなのです。 逆に自我の確立している人は、相手の批判や非難を逃げるのではなくて受け止めることができるのです。 その受け止め方とは、批判や非難がとるに足らないことと判断すれば無視することが多くなるでしょう。 自我が確立していれば、相手になにを言われても、自分にとっては大して問題とするには値しないのです。

  または、無視することが得策ではないと判断すれば、自分の意見を明確に伝えることによって自分を守ることもあるでしょう。 ただし、この場合は相手のリアクションはあまり気にもとめないでしょう。 なぜなら自我の確立している人は、他人の言動によって自分の判断が左右されることは少ないからです。 自分には自分なりの、相手には相手なりの考え方があるのだと言うことが理解できているからです。 

 

  自分に自信を持てない人人は、相手に対しても、自分に対しても素直になれないのです。 言い換えれば、ありのままの自分を表現できないと言うことです。 本当の自分を表現できないから、ますますかたくなになってしまうのだと思います。 だから自分に自信を持つことは、なににも優先することなのです。

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