親の子離れ、子の親離れ

  いまの日本社会が抱える重大な問題のひとつに、親子関係の問題があげられることにはだれしも異存はないと思います。 常識では考えられないようなささいなことで子供が親を殺したり、親による子供の虐待があったり、逆に親が子供の行く末を悲観して殺したり、友人同士のささいなトラブルが原因で殺してしまったり、いじめグループがほかのグループの人間が気にくわないという理由だけで殺したり、殺人事件や陰湿ないじめが日常茶飯事のことのように起きています。

  なぜこのような世の中になってしまったのかは、簡単に結論の出せる問題ではありませんので、ここではふれないことにします。 書き始めると紙面がいくらあっても足りなくなると思いますから。 ここではこれらの原因の一つであろうと思われる、親子関係について考えてみたいと思います。

  私は当年68才になりますが、80才を超えた両親(68歳になる現在は両親とも死亡しました)は自分のことも一人で満足にできないのに、子供や孫のことを心配しているのです。 子供の私にしてみれば、両親には自分のことだけを心配してもらえば十分なのですが、子供はいくつになっても子供だと思っているものなのです。 これが当たり前の親心というものなのでしょう。 子供がまだ小さくて一人ではなにもできないときには、親が子供の面倒を見るのは当然ですが、子供が大きくなり社会人として一人前になってもあれこれと子供の面倒を見ている親も大勢いるようです。 親が必要以上に子供の世話を焼く例を挙げてみましょう。

子供が興味を持ってやろうとしていることを、親の考えにあわないという理由で止めさせる
       ・ 自主性が育たなくなる (やりたいことをさせてもらえないのだから、最初からなにもしない方がいいとなる)
       ・ 親の価値観や好き嫌いを子供に一方的に押しつけることになる
       ・ 子供の反発を買うだけで終わることが多い
       ・ 親の自己満足の道具として子供をみている
子供が危険なことをしようとしているとすぐに止めさせる
       ・なにが危険で、なにが危険でないかを知らずに育つことになり、大人になっても危険の程度の判断ができなくなる可能性が高い (本当に危険なことを身を以て体験ていないから、危険の程度を判断する基準が子供にはない)
       ・このことが短絡的に暴力行為のおよぶ最大の原因ではないでしょうか
年代に応じて経験しておくべきことをあまり経験させない
       ・理屈では理解していても、いざとなると何の役にも立たない
       ・頭でっかちの人間になる (知識偏重)
親の都合で子供の独立心を押さえ込む
       ・子供に独立されると親が寂しくなるからと言って、子供の一人暮らしなどをさせないで同居させる
       ・独立心を育てられなかった子供は、社会の荒波に放り出されたときには、なにも分からない、なにもできない人間としてのレッテルを貼られる可能性が大きい (自分で決断することを教えられてこなかったから)
       ・依存心の強い人間にならざるを得ない
子供がいくつになっても、親が子供の生活のすべてにわたって干渉する
       ・子供は親の自己満足の道具となってしまう
       ・物理的には子供は一人の人間として存在するが、精神的には子供は存在していないと同じ
       ・責任感のない人間になる
       ・ 親が子供のほとんどすべてのことを決定しているため、子供は親の言いなりになってしまい、親に責任を転嫁することを当然と考え子供に逃げ道を与えることになる
就職先や結婚相手まで親の言いなりになってしまう子供も珍しくはない 
反発や反論・意見の言えない気の弱い人間になってしまう
自分なりの人生観など持てる訳のない人間になってしまう
自主独立の精神がなくなる
親に死なれれば右往左往してしまう
       ・それまではすべてを親の意見に従っていたので、自分ではどうしたらいいかまったく分からない
結果的に自分の家庭も守れない
このように過保護で育てられると他人から利用されるだけの人間になり、利用価値がなくなれば真っ先に捨てられる
なにごとも相手の顔色をうかがってから行動するようになる
子供同士の喧嘩にすぐに親が出しゃばる
子供の適正を無視した職業を選択させる
きわめつけは子供を親の自己満足と見栄の道具とする

  書きたいことはいくらでもありますが、きりがないのと愚痴になるのでここらでおしまいとします。

  それでは少し建設的なことに目を転じて、親の役目とはなになのかを考えてみましょう。 とは言っても、私の子供は現在19才ですが自分の子供をここに書いているような気持ちで見守ることは、非常に難しいことだと痛感している今日この頃です。 子供との我慢比べと言うよりは、自分との我慢比べといった方が適切でしょう。 子供を信じてやれなければ、この勝負は親の負けになると思います。

  親の役割は、子供がある程度まで成長したら親としての責任は果たしたのだから、子供の生き方にいちいち干渉しないことが大切だと思います。 一律に何歳になったら親の責任が終わったのだとは言えませんが。 このあたりはケースバイケースということになるでしょうか。 無責任ですか。 それ以降は子供がしてはいけないことをしようとしているとか、本当に危険なことをしようとしているときに忠告してやればいいと思います。 いままでの親の生き方や考え方を話してやるだけでいいと思います。 決して親の考え方を子供に押しつけないことです。 選ぶのは子供ですから。親の目から見て、いくつになっても親の言いなりになっている子供はいい子と見えるかも知れませんが、それは子供にとっては最大にして最高の不幸の始まりとなります。 そういう子供に限って自分が親の被害者だということに気がつきもしなければ、親も子供を不幸にしているという意識がまったくないということに気がつかないということが、皮肉と言えばこれ以上の皮肉はないと思います。

  世相を見ていると、親子問題の原因の多くが、子供が親離れしないのではなく、親が子離れできないために起きているように感ずるのは私一人でしょうか。 特に母親ですよ。 親と子供とはまったく別の人格であり、育った時代や環境も違うのですから、子供をいつまでも親の自己満足の道具と考えることにいまの親子問題の根本的な原因があるのではないでしょうか。 親の子離れこそが必要な時期だと思いますが、いかがでしょうか。

  子供が冒険に出発しようとしているときに、親が社会常識に捕らわれて「危ないから止めなさい」と言うのは、子供の精神的な自立を殺すことです。 でも親は、多くの場合このことに気がついていないことが多いのです。 子供を守るという理由でもって、もっと大切なものを子供から取りあげているといったら言い過ぎでしょうか。 親は子供がなにをしでかすかが心配のあまり、子供の自立心という最も大切なものが育つ芽をつみ取っているのだとしたら、親は子供になんと言って謝ればいいのでしょうか。 自立心を育てる機会は二度とこないのです。

 なぜ、多くの親がスムーズに子離れできないのか。 それは、親に自信がないからだと、ここでは書いておきます。 親が自分自身に自信を持てないから、子供がそれ以外のことをやろうとすると不安になり、子供の自立心を摘み取ってしまうのです。

  いろいろあるでしょうが、子供を信頼して依存心の少ない自立心に富んだ子供を育てれることが親の役目ではないでしょうか。 親の子離れがスムーズに行けば、親子の問題がここまで社会問題化することはなかったと思います。 親の価値観だけで子供を押さえつければ押さえつけるほど、子供は反抗するものです。 この意味で子供の反抗は、親の子供へのしつけが子供の気持ちをあまりにも無視したものであることを示しているのではないでしょうか。

  子供を信頼できないから過度に子供を押さえつけさせてしまうのです。 ここに悪循環が始まるのです。 自立心を持たせることと好き勝手にさせることとはまったく違うことなのです。 このことを誤解している親が多いようにも思えてなりません。 親が子供から上手に親離れすることが、親子の問題を解決する根本的な方法ではないでしょうか。

  いまの若者の親の多くも、どちらかと言えば過保護の次代に育てられてきたのです。 これもなにかヒントになればいいと思います。

  子供はある年齢になると親離れするのが自然の姿なのに、親がそれを妨げているのです。 親が子離れできなかったために親子ともどもが苦労し、その妻が苦労して離婚になったり、親子三代を巻き込んで苦労している姿を幾度となく見てきました。 そんなとき苦労の真の原因がどこにあるのかが、そのような親子には分かりようもないことが、悲劇を大きくしていると思います。

  子供が親離れする年齢に親離れできなかったとしても、いつかは気がついて親離れできますが、親が子離れできないと親子一心同体となり双方とも自立できなくなる危険性が大きいのです。 このような子供と結婚した妻は不幸です。 親が上手に子離れできれば、問題の多くの部分が解決できると思います。

  寂しいかも知れませんが、それが我が子のため、孫のためになると思います。

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