子供に親の夢を託しすぎてはいないか

  このように書くと、「どこの世の中に子供に夢を託さない親がいるのだ」と反論をされることは必定でしょう。 親として世間並みの能力の子供に、世間並みの夢を託すことまでをいけないと言っているのではないのです。 子供の性格や適性を考えないで、一方的に親の希望や親の夢だけを託すことはいけないと言いたいのです。 

  親が子供に夢を託す場合、ごく常識的な期待をすることは、子供の健全な発達を促すものでもあるので問題はありません。 問題なのは親が果たせなかった高い理想や夢まで、子供に押しつけてしまうことなのです。 親は子供のためという口実で、子供の性格や実力を無視して過大な期待をしがちなのです。 この場合に子供のためという大義名分があるので、問題が隠されがちになることを忘れてはならないと思います。

  親が努力しても果たせなかった夢を、子供が簡単に果たせるとは考えられないのです。 少なくとも親以上の努力をしなければ目標は達成できないでしょう。 子供に素質があればいいのですが、素質のない子供に過大な期待をかけたとすれば、子供にとっては迷惑なことです。  親から過大な期待をかけられた子供は、その期待にそうべく努力しなければ親に愛してもらえないと感じてしまうのです。 子供の人生は自分の希望を追求することではなく、親の期待を達成することが自分の人生になってしまうのです。 だから子供は現実を現実として理解できなくなったのだし、生きることの意味がまったく分からなくなってしまったのだと思うのです。

  親には親の人生が、子供には子供の人生があるのです。 このことは子供に自分のしたいほうだいのことをしてもかまわないということではありません。 子供は一人前の大人になるまでは親の庇護のもと、知識と知恵と社会性を身につけて行かなければならないのです。 親は子供の希望と親の希望を、ごちゃまぜにしては絶対にいけないのです。 親は子供をしつけることと子供に干渉することは、似ているようでもまったく違うことだということを肝に銘じておかなければならないのです。

  「しつけと干渉」。 この違いは大きいのです。 必要以上に親から干渉された子供は、自立心や責任感がなくなってあたりまえだと思うのは、私一人だけでしょうか。 しつけと干渉の境目を見極めることが大切なのです。 子供のためと思ってしていることが、子供の自立心や責任感を削いではいないかと反省することが必要でしょう。 

  子供は自分のやりたくもないことをしなければならないから、余計に反発するのではないでしょうか。 さらに悪いことは、子供には反発して健全にうさを晴らす適当な場所がいまはないのです。 場所もなければ、時間もないのです。 公園や運動場も少ないし、受験勉強ばかりさせられて、憂さ晴らしの時間すらないのです。 いきおい反発は身近なものに向かわざるを得なくなります。 そう、友達や親や先生がターゲットにならざるを得ないのです。 それができない子供は非行に走ってしまうか、親の言いなりの子供になってしまうのだと思います。

  親は子供の希望を重視しているのか、それとも親の希望を実現しようとしているのかを、絶えず問いかけなければならないと思います。 夢を託す方はなにも問題はないでしょうが、託された方にしてみれば「親の一方的な都合を、なぜ子供が背負い込まなければならないのだ」と感じるのは当然だと思います。 子供を親の心の葛藤の処理の対象としてはならないのです。 子供には方向を示してやるだけでいいのです。 目的地までを示す必要はないと思います。 目的地は、子供自らが探すことが必要だと思います。

  子供の能力と適正を見極めて、将来の方向付けをしてやるのが親の役目ではないでしょうか。 それ以上は子供が自己責任において判断すればいいと思います。

  子供に親の夢を託すことが悪いのではなくて、親の果たせなかった夢を子供の性格を無視して押しつけることがいけないのです。 だからと言って、子供のいいなりになることにも問題はありますが。

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