親の過干渉と少子化

  いまの若者の中に、次のような症状(症状と言っていいのかな、現象と言った方が適切だと思います)の人が多くなり、社会問題となっています。

無気力
自信がない
本心を話せない、あるいは本心をうち明ける親友がいない
忍耐力がない
自分なりの考え方が持てない  (昔からあったことですが)
閉じこもりや登校拒否
親に自分の意見すら言えない
相手に断るべきときに、はっきりと「ノー」と言えない
自分は傷つきたくないし、相手も傷つけたくない
苦労はしたくない   (だれでも願うことですが)
なんのために生きているのか分からない
自己主張ができない

 など、あげだすときりがなくなりそうです。 この中の多くの問題も昔からあったのですが、割合が少なかったので社会問題にまでは発展しなかったのです。 いまは上記のような若者が増え、若者だけではなく30代や40代のれっきとした大人にも多くなってきました。 リストラに伴う問題とは別にです。

  なぜこのような社会現象が増えてきたかについては、いままでになんどもりく返してきましたが、ここで整理して考えてみたいと思います。 多くの原因があるでしょうが、ここでは親の過干渉と少子化の観点から考えてみます。

社会・生活にゆとりがでてきた

  昔はと言っても昭和30年代まではその日一日を暮らすことに手一杯で、家族全員が働かなければ生活していけず、ゆとりを考える時間とお金がなかったので、額に汗して苦労することが当然でした。 物心両面でもゆとりを問題にすることができた人は、ごく限られた人々でした。 子供の数も多く、子供一人一人に十分に手をかけてあげることもできませんでした。 結果として子供は何とか自分で工夫して自分の力で生きていかなければならなかったことが幸いして、逆境に強くなることができたのです。

  いまは国民総中流の時代と言われるほど経済的にはゆとりができて、あまり働かなくても生きていけるようになりました。 (実際に国民総中流の時代なのかどうかは、問題なのですが。) 家庭では一家の主人が働いていれば、どうにか住宅ローンも返済しながら食べていける時代です。 主婦は家庭電化のおかげで家事労働は驚くほど少なくなりました。 専業主婦層に余暇のできたことが、かえって主婦層を中心にして心の空虚感を生み出し、主婦たちの不満がたまってきたと思います。 夫は働き蜂になることをよぎなくされ、家庭にいることがほとんどなくなってしまいました。 いまでこそ経済不況とともに夫の家庭回帰が叫ばれるようになりましたが、基本的には昔と同じでしょう。 主婦たちは見栄や心の空虚感をうめるためにブランド品を買いあさるようになり、主婦は自分の希望を夫ではなく子供に託すようになったのです。

  すなわち子供の高学歴社会と一流企業への就職が親の目標となったのです。 それが親(とくに母親)たちが自分の存在感を確認できる唯一とも言っていい目標になったのです。 子供をそのようにするためには、当然猛勉強をさせなければなりません。 そのためには、子供の意見や希望を無視してでも、子供を主婦たちの考え通りにしなければならないのです。 こうして子供への過干渉が始まったのです。 そして不幸なことにこのような親たちの多くが、そのような態度を子供を愛しているからと考え違いをしてしまったことに、現代の子供を取り巻く問題の根本原因があるのです。 このような親は子供を愛していると信じているでしょうが、本当は子供を愛しているのではないのです。 親の自尊心を満足させ、心の空虚さを埋めるための道具として子供を利用しているのに過ぎないのです。 親が自分に自信を持てないから、子供を束縛することによって親の本当の気持ちから逃げようとしているのです。 溺愛と愛情はまったく違うものなのです。   

  こう言っては言い過ぎかも知れませんが、親は子供を愛しているから子供に干渉しているのではなくて、自分の見栄や心の空虚さを埋めるために子供を道具にしているのです。 ゆとりのある生活のもたらした皮肉な結果です。 自分に自信が持てない親や、世間体を気にする親ほど子供に干渉しているのです。

少子化

  昔は避妊知識や避妊具を買うことができなかったので子供の数が多く、子供一人一人にそんなに手をかけることはできませんでした。 それだけ親の苦労が大きかったのです。 今の社会はそんなに肉体的にも精神的にも苦労をしなくても生きていけるので、親たちは当然のことながら苦労を嫌い、その結果子供の数は少なくして高等教育を受けさせようとしたのです。 その結果が子供への過干渉となったのです。 

  親の苦労が子供の目に見える職業は少なくなったのです。 現状では子供に親の苦労を分かってくれと言っても、それは無理なことになってしまったのだと思います。 だから親のありがたみが子供に理解できなくて当然なのです。 父親は休日はゴルフ、仕事が終わればいっぱい飲み屋、母親はカルチャースクールと井戸端会議では子供が親を尊敬しなくなって当然なのです。 子供が親を尊敬しなくなったというよりは、尊敬できなくなったということの方が正確だと思います。

 子供への過干渉は子供の自立心をもぎ取ってしまい、子供は一人ではなにもできなくなっていったのです。 親が子供への教育に重点を置きすぎた結果、子供がしたいことを親が取り上げてしまい、子供は勉強以外にすることがなくなったのです。 知識はあっても、知恵のない新人類の登場となったのです。 子供が年齢相応に経験すべきことを経験させないから、いまの青少年問題が発生したのだと断言いたします。 あえて断言すると言わせてもらいます。

  では、どうすればいまの青少年問題を解決できるのでしょうか。 いま無力感に苦しみ、親の束縛に苦しんでいる人はどうすればいいのでしょうか。 それには自己主張することです。 自分で経験して、自分で決断していくほかに道はないのです。 このことだけは、絶対に避けられないのです。 避けようとするから無力感に苦しみ、自信をなくしていくのです。 この問題の解決には今後50年はかかるものと思います。 その根拠は一人一人の人間の考え方そのものが変化しなければ、社会全体も変えることができないからです。 そのためには世代を重ねなければならないのです。 人間の考え方は多くの場合ななかなか変えられないものなのです。 人間は将来に希望を託しながらも、過去の考え方は容易には変えようとしない生き物なのです。  だから一世代のうちにものの考え方の基本を変えることは至難の業なのです。 世代が変わることによって地道に人間の価値観を変えていくしかないと思います。 それまでは残念なことなのですが、いまのような悲惨な事件や家庭内暴力も繰り返されることでしょう。 私は家庭内暴力についてはほとんど取り上げてきませんでしたか、この件に関しては、他の項目を参考にしてください。

トップページへ戻る