親の高学歴化、少子化が子供に与える影響

  社会はいま未成年者による凶悪犯罪が多発し、大きな社会問題になっています。 なぜこんなに未成年者による犯罪が多くなってしまったのかについては、いろいろのことが言われていて、そのどれもが事実の一端を表していますが、私には重要なことが抜け落ちているように思います。 それは親の高学歴化が子供のしつけや教育に与える影響です。

  1960年代までは生活が苦しく、ゆとりのある生活は庶民にとっては夢の夢みたいなものでした。 私の家では中古の自転車さえも買ってもらえませんでした。 その日その日を暮らしていくのがやっとで、親が子供の教育の面倒をみている時間的な余裕はほとんどありませんでした。 子供も必ず家の手伝いをさせられたものです。 普通のサラリーマンにも車が買える可能性がでてきたのは、昭和40年(1963年頃)代に入ってからです。 そのころに発売された車がカローラであり、サニーです。 

  一般的に言って当時の親の多くはあまり学歴もなければ、戦後の経済的にも精神的にも混乱した時代に育ったので、物心両面の理由から子供の教育に力を入れることができませんでしたし、子供の日常生活の面倒をみることもあまりできませんでした。 その結果子供は自分のことは自分でする以外に生きる道はありませんでした。 結果として子供は多くのことを経験しなければならなかったのです。 子供は知らず知らずのうちに、経験を通して知恵を身につけることができたのです。 そのうちに所得倍増政策、列島改造計画とともに庶民の生活も経済的には楽になってきて、子供の教育が親の重要な目標になったのです。 その頃から大学教育を受けた人が多くなり、女性も大学教育を受けることが一種のステータスシンボルとなって、両親ともに大学教育を卒業した人々が多くなりました。 こうして受験地獄が始まったのです。

  いまの子供たちには経験を通して知恵を身につける機会が、あまりにも少なくなったことに最大の問題があるのです。 社会環境がそうなった以上に、親が子供が経験する機会を積極的に潰しているのです。 もちろん多くの親はこんなふうに考えることはありませんが。

  私は高学歴になることが悪いとは思ってもいませんが、その弊害を指摘しないわけには行かないので

知識偏重になりがち
すべては理屈で片づく
学歴のない人は劣っている
       ・ 学歴のない人を見下しやすくなる
学歴があるから自分はなんでも知っていると思いがち
自分を過信しがち
相手の立場を考えにくくなる
なんでも頭の中だけで考えようとする
実体験がない
肉体労働を軽んじ、知識労働を重視する
自分の学歴を誇示しがちになる
自己過信に陥りがちであり、他人の言うことをすなおに聞けなくなる可能性がある

  このようなしつけや教育を受けた親が子供を教育すれば、どのようになるかは容易に想像できるのではないでしょうか。 それがいまの社会の現状だと言ったら言い過ぎになるでしょうか。 親たちが自分の高学歴を考え違いしたところに、社会がいまのようになった大きな原因の一つがあるように思われるのです。 知識偏重のつけは、あまりにも大きいのです 

  自己過信の親が子供を教育すれば、子供は抑圧されて当然なのです。 子供が抑圧された結果がいまの社会なのです。 親は子供に親の希望通りにすることを求めて当然なのです。 間違った自信過剰が問題なのです。 親はもっと謙虚に反省することが必要だと思います。 問題を起こした子供や親の責任は問われてしかるべきですが、同時に社会のあり方も厳しく問われなければならないと思います。 知識偏重がもたらした罪は非常に大きいのです。 我々はもっと知恵を重視する社会を、作り直す必要があります。

  自信過剰な親が挫折すれば、そのショックはあまりあるものがあると思います。 なんでも知っているはずの自分が、自分を中心に回っていたものがこの社会の中で通用しなくなるのですから、その挫折は大きいはずです。 頭でだけものを考える親であればあるほど、その挫折感は大きなものとなります。 親は自分の挫折感から逃れるために、子供を犠牲にして自分の心の不安から逃れようとするでしょう。 世間からみれば子煩悩といわれる親でも、本当は自分の心の不安から逃れるために子供にまとわりついていることも多いと思います。 最近はこのような親が愛情のある親として、世間の目に映るのでしょう。    

  問題の核心は親が子供への愛情から子供の面倒をみているのか、それとも親の心の葛藤を逃げるために子供を犠牲にしているのかということです。 子供が親の心の葛藤の解消の材料とされているから、最近の未成年者による凶悪犯罪が多発するのではないでしょうか。 もちろん親は自分の子供を、親の心の葛藤の逃げ場に利用しているなどとは考えもしないはずです。 「私は子供のためだけを考えている」と、信じて疑っていないはずです。 それでも私は上のように言わざるを得ないのです。 そうでなければこんなに未成年者による凶悪犯罪が多発する理由が見つからないのです。

  このような親に育てられた子供はかわいそうです。 その子供も無意識のうちに自分の子供を、心の葛藤の逃げ場として利用する可能性が高くなるからです。

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