なぜ、自分は誤解されやすいのか

 私たちの日常生活において、誤解されたり、誤解したために本来ならばしなくてもいい苦労をしていることがあまりにも多いのではないでしょうか。 なぜこれほどまでに誤解ということが、多いのでしょうか。 私はその原因を日本人特有とも言える「ものごとを明確に言わないこと、いつも逃げ道を用意しておく態度、相手の立場を考えてものごとを中途半端のままに終わらせること」にあると思っています。 私たちの生活から誤解を完全になくすることはできませんが、心がけひとつでは大幅に減らすことができると思います。 大幅に減らすことができれば、あまった時間を前向きのことに使うことができ、生きていくことが楽になると思います。

  世の中には「美しき誤解」と言う言葉がありますが、誤解によって愛が芽生え、人生がしあわせになるのであればいいのですが、現実には誤解が生きることを苦しくしていることが圧倒的に多いと思います。 単に複雑になっただけならまだしも、ときとしてはその誤解のために殺人事件に発展したり、家庭が崩壊したり、職場を去らなければならなくなることもあるのです。 こうなると笑い事では済まなくなります。 日常生活からひとつでも誤解を減らすことが重要なことだと思います。

  誤解の原因としては、次のようなことがあげられると思います。

暗黙の了解ということ
ものごとをはっきりと言わないことを美徳とする日本古来の価値観
ものごとを相手に確認することは失礼だとすること
ものごとを先延ばしすること
抽象的な言葉で結論を締めくくること
なにごとも話し合いで決定し、結果を文書に残さないこと
責任の所在を不明確のままにすること
聞き手の都合のいいような話し方をすること
問題の原因をうやむやにすること
相手を思いやって、相手の意見を確認しない (相手を追いつめない思いやり)

  まだまだ理由は挙げられると思いますが、これくらいで十分でしょう。

  誤解されてもあまり気にしない人もいれば、非常に気にする人もいます。 責任感の強い人ほど誤解されることを恐れ、いい加減な人は誤解されることを気にしないものです。 そもそもいい加減な人の辞書には誤解という言葉はないのです。 また誤解することは比較的気にしなくても、誤解されることはやっぱり気になるものです。 誤解されることが普通の人以上に気になる人は、誤解されないように努力をすればいいのですが、そのような人は誤解をなくす努力ができないのです。 なぜなら、誤解されるということはものごとをはっきりさせないことに原因があるのですが、気が弱かったり、周囲を気にしすぎて自分の立場を明確にすることができないからなのです。 自分が他の人とよりも誤解されることが多いと感じているなら、このようなことを考えてみる必要があるのではないでしょうか。 そして相手の話がよく理解できなくても、相手を思いやるつもりで相手の意見を確認することも少ないのです。

  自分の立場を明確にするというとは、自分の言いたいことを言い、自分のしたいことをすることと短絡的に考える人もおりますが、自分の立場を明確にするということは自分勝手に振る舞うということとは異なるのです。 自分勝手に振る舞うということは、相手の人格や立場や都合を無視して行動するということだと思います。 そこには相手の意見をくみ取るという姿勢がかけているのです。 言葉を換えて言うと、相手に一方的に妥協を求めることが自分勝手ということではないでしょうか。 妥協させられた方はおもしろいはずがありません。 

  世の中の変化が激しく、なにごとにもスピードが求められる時代に誤解を解くことに時間を割かれていては、前向きのことができなくなります。 そろそろ従来の価値観を考え直す必要があると思います。 誤解を減らすことによって生きることが楽になり、仕事の能率が上がり、家庭で過ごす時間が多くなれば子供のしつけに割く時間も増え、地域社会に奉仕する時間もつくれると思います。 なにより大切なことは誤解したり、されたりすることが少なくなって余計な気苦労が大幅に少なくなることでしょう。 この複雑な時代に余計な気苦労が少なくなることは、大きな救いです。

  現代社会においては、誤解のもたらす弊害はあまりにも大きすぎると思います。 ただし、誤解のない人生もつまらないと思います。 ただ自ら進んで誤解を求めてはいけないのですが、誤解があるから人生におもしろさがでてくると思います。 誤解が元となった苦しみのさなかにある人にとっては誤解はあってはならないものです。 誤解がある程度あるから人生に面白みがでてくるとは、後になってそしてその苦しみを乗り切って、人生を前向きに生きられた人だけが言えることだと思います。 現実には誤解がもとで生きることが苦しくなったり、人生が破滅した人にとっては誤解は苦しみ以外の何ものでもないのです。 誤解されない、誤解しないようにすることが大切だと思います。

  私がつねづね冗談混じりに話すことのなかに、次のようなことがあります。 以下会話形式で述べてみた方が分かりやすいと思います。

  相手  「○○さんて、そう言う人間だったの」
  私   「あれっ、俺ってこのような人間だから、このように思ってくれと言ったことがあるっけ」
      「××さんは、私の日頃の行動をみていて勝手に私という人間のイメージをつくりあげただけではないです       か」
  相手  「でも、…」  (絶句する)
  私   「俺は××さんに対して、自分はこういう人間だからこのように自分をみてくれと言ったのなら、自分の言ったことに対
       ては責任を持たなくてはならないけれども、××さんが勝手につくりあげた俺に対するイメージにまでは責任は持て
       ないね」
  相手  (たいていの場合は、二の句が継げなくなる)

  このような話はほとんどの場合冗談に言ってはいますが、でもよく考えてみるととても大切なことのように思います。 このようなことを大切なことと考える私はどこかおかしいのでしょうか。 私にはこのことはとても大切にことに思えてならないのです。

  ここで話を変えて、誤解を少なくするためにはどうしたらいいのでしょうか。 ただしものごとをあまりはっきり言いすぎることには問題がありますので、時と場合によって使い分ける必要があるのはいうまでもないことは断っておきます。 ここで書いていることはあくまでも、原理原則論です。

自分がなにを言いたいのかは明確にする
       ・主語や目的語をはっきりさせる
       ・イエス・ノーをはっきりさせる
相手の意見や批判を素直に聞いて、相手の理解できるように説明する
どうとでも解釈できるような話し方はしない
       ・相手にどうとでも解釈できる話し方は無責任です
相手の話を理解できないときは、確認する
       ・このことが誤解を減らすためには避けられないことと思います
自分がこのように言ったら相手を傷つけるだろうと考えて、確認しないことが誤解につながる
       ・後でいやな思いをするよりは、そのときに確認した方がいいと思います
各人の常識が異なるように、暗黙の了解も人によって異なる
       ・話の前提となる土台が同じかどうか、この点を確認しておくことが最低限の必要事項です
       ・話を進めてみると、暗黙の了解や、話の前提が違っていることが多いからです
仕事においては必要なことはメモを取るとか、大切な契約においては契約書を交わす
       ・仕事においては、なにごとも確認しながらすすめることが自分の身を守ることになります
       ・仕事においての誤解は致命的なミスにつながるので、一にも二にも確認が優先します
       ・仕事において相手の立場を優先することは、残念ながら自分の身を滅ぼすことにも直結します
自分と相手とは必ずしも同じ土俵に立っているとは安易に考えないこと

  誤解されることを気にする人は、自分に自信が持てないから気にするのではないでしょうか。 自分に自信を持っていれば相手に少しぐらい誤解されても、そのことによって自分は傷つかないと思います。 誤解されることによって傷つくのは、自我がまだ十分に機能していないからだと思います。 自分がどんなに誤解されないように注意していても、誤解されることは避けられないのですから。 誤解されることを必要以上に気にしていては、疲れ果ててしまうでしょう。 この世の中はつまらないことで疲れてしまっては、生きていけなくなります。 もっと大事なことが山ほど待っているのです。 つまらないこと、ささいなこと、小さなことは、いつまでも引きずらないことです。 これは前にも書いたことの繰り返しになりますが、つまらないこと、ささいなこと、小さなことを軽視してはいけません。 よく考えてみて、ささいなことであれば忘れることです。 

  世の中の動きをみると、つまらないことやささいなことにこだわりすぎているように思います。 芸能人がなにを言ったとか、なにをしたとか、そんなことはどうでもいいことなのですが。 そんな時間があったらほかのことを考えましょうよ。 ただし考えるべきところは、慎重に考えなければなりませんが、いつまでも大騒ぎをすることはないのです。 大騒ぎをするのは、そのことによってお金の儲かる人にだけ任せておけば十分です。 そんなマスコミに乗せられて、あなたもいつまでも騒ぎ立てることはないと思います。 あなたの周りには、もっと大切なことが山ほどあるはずですから。

  話が本筋からそれてしまいましたが、生きていくうえで誤解したり、されたりすることは避けられない事実です。 誤解に対する基本的な対処法を身につけることが、生きることを楽にしてくれると思います。 要は誤解されることをあまり気にしないことにつきると思います。 なぜなら、もともと自分の本当の姿を理解してもらうことは至難の業だからです。 大切なことで誤解されたのであれば誤解を解くことも必要ですが、あまり大切でないことで誤解されたときはほっておくことです。 人の噂も75日と言うじゃありませんか。 そのうち自然に消えていくと思います。 本気になって誤解を否定しようとすれば、かえって真実味を帯びてくるものです。

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