「もう半分しか残っていないのか」それとも「まだ半分も残っているのか」

 私たちはものごとを考えるとき、どうしても失ってしまったこと・ないものに意識が行きがちではないでしょうか。 
すなわち

あれがない、これもない
これもなくなったしまった、あれもなくなってしまった
あれがあればできるのに
あれがあればできたのに
これがないからできない

 私たちはできないことの言い訳として、具体的に言えば

お金がなかったから
時間がなかったから
ほかにやるべきことがあったから
力がないから
だれも手伝ってくれなかったから
コネがなかったから
健康に恵まれなかったから
教えてもらえなかったから

  などと、ものごとが思うようにいかないとどうしてもできなかったことの理由として、必要なものがなかったことをあげたくなるものです。 私も随分とこのような言い訳をしてきたと反省しています。 いま考えると恥ずかしくて仕方がありません。 そう言うことによって、自分の責任を回避できるという気持ちが心の底にあったからです。

  ここに自分が飲もうとして、ミルクがコップの縁まで一杯入ったコップがあるとします。 自分のいない間にだれかが半分飲んでしまいました。 自分が戻ってみると、当然コップの中のミルクは半分になっています。 そのコップの中のミルクをどう思うかということです。

もう半分しかなくなったと思う
まだ半分も残っていると思う

  このミルクの量の見方の相違が、人生そのものの見方を表していると思うのです。  この表現は私の考えついたことではありません。 ある心理学者の本の中に書いてあったことなのですが、言われてみるととても大切なことなのでここに紹介しているのです。 この考え方の違いはとても大きいし、このような考え方の相違が積もりに積もっていけば人生は大きく変わるはずです。 ここに人生に対する取り組み方のすべてがあると言っても、過言ではないとさえ思っています。

  ①の「もう半分しかかなくなった」という考え方は、ものはいつでも必要かつ十分に用意されているのが当然だという考え方であり、「半分しかなかったからできなかった」という責任転嫁につながります。 そこには感謝の気持ちはなく、与えられていて当然との傲慢な態度にもなります。 これに対して②の考え方は、ものはいつも十分に用意されているとは限らないから、いまあるものを活用して目標を達成しようという努力の姿勢になります。 「まだ半分も残っている」という考え方には、現実逃避の考え方はなく、いつも与えられたものを活用して全力を尽くす人生です。   

  ②の考え方はわずかでも希望があれば努力するという人生をあゆむことになり、①の考え方はなにかひとつでも欠けていればなにもできない人生を歩むことになります。 この違いは大きいと思います。 わずかでも希望がある限り努力する姿がひとの心を打ち、それまでにはなかった必要なものや人材が集まってくるのだと思います。 逆に「半分しかかなくなった」という安易な考え方が、ひとを遠ざけてしまうのだと思います。 努力をしようともしない人のところへは、援助をする人も現れないのです。 努力するひとの周りには努力するひとが集まり、より大きく、より多くのことを成し遂げるようになり、努力しないひとの周りには相手の悪口を言ってばかりいたり、自分の利益にために相手を利用することばかり考えるようなひとが集まってくるのです。 どちらも、自分では意識しなくても自分がそうなるよう仕向けているのです。  

  「もう半分しかない」というのは不満の表現であり、「まだ半分も残っている」というのは感謝の表現だと思います。 不満と感謝、この差は大きすぎるくらい大きいと言わざるを得ません。

  自分の不幸や不運を嘆いてばかりいる人がいますが、だれかの同情を得ようとしているのでしょうか、それともだれかが助けてくれるとでも思っているのでしょうか。 同情してくれる人はいても、助けれくれる人ひとめったにはいないのではないでしょうか。  不幸や不運を嘆く人の周りには同じような人が集まって、お互いに傷をなめあうだけで、前向きの解決策はなにもでてこないと思います。

 大切なことはないことを嘆くのではなく、あるものを活用してなんとかしようとすることです。 よしんばできなかったとしても、自分はできる限りのことをしたのだから、悲嘆や絶望や後悔を長く引きずることはないでしょう。 ないことに目を向けてしまうことによって、あるものまで見失ってしまったとしたら、幸運を自らの手で逃がしてやったことになってしまいます。 あるもので間に合わせようとすれば、必然的に工夫と努力をしなければならなくなります。 このことが人間を作り上げてくれるのだと思います。 「必要は発明の母」といいます。

  ものの豊富な社会が人間性をいじけたものにしてしまいやすいのも、こんなところに原因のひとつがあるのかも知れません。 満たされていれば努力する必要がないし、努力しないところに向上がないからです。 「半分しか残っていない」と考えるのか、「まだ半分も残っている」と考えるのか、あなたはどう考えますか。 でも「まだ半分も残っている」と考えることが出来るようになるまでは大変だと思います。  「半分しか残っていない」と考える人は精神症になりやすく、「まだ半分もある」と考える人は精神症とは無縁の人でしょう。

  なにか問題にぶつかったときには、思い出してほしい言葉です。

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