自分の人生に責任を持つとは

  よく自分は一人ではなにもできない、自分の考えを言えないという人を見かけることがありますが、そのような人は自分の人生に責任を持っていない人(あるいは持つことのできない人)だと言えるのではないでしょうか。 自分のしたことに責任を持たなければならないと思えば、嫌なことや言いたくないことであっても、しないですますわけにはいかなくなるのです。 好き嫌いだけでものごとを判断していては、生きることがつらくなるだけなのです。 それをやらずに済ましていることは、自分の人生に対する責任感が乏しいからではないでしょうか。 自分の人生に対する責任とは、人それぞれでしょう。 俗っぽい言い方をすれば、自分の身は自分で守るしかないということを身をもって理解できていないと言うことです。 どんなに苦しく、つらい状況にあっても自分の身は自分で守らなければ、だれも守ってはくれないのです。 自分の嫌いなことはしたくないといってしないで済ましているのは、生きることに対してなにも感じないで惰性で生きているか、責任転嫁をしながら生きている人ではないでしょうか。

  なにを人生に対する責任と考えるかによって、生き方が違ってしまいます。 自分に対しても、社会に対しても自分の責任を感じなければ、それ相応の生き方になるでしょうし、自分自身に対してと社会に対して自分の責任を感じれば、その生き方は違ったものとなるはずです。 

  なぜ生きることが苦しくて仕方がないのか。 それは、自分に責任を持とうとしないから、よけいに苦しくなってしまうのではないかと思います。 自分に責任を持とうとすれば、それなりに考え行動をすることにならざるをえないのですが、責任転嫁をして生きようとするから考えることと言えば恨みやつらみになり、いつまで経っても自分が変わることができないのです。 本当に自分の生き方に責任を持とうとすれば、自分なりによく考えて行動するようになるはずです。 そうすれば、自信は必ずついてくるはずです。 と言うより、自信がつかざるを得なくなるのです。 他人に依存しないように努力することです。 たとえつらくても、苦しくても。 そのさきには希望があるのですから。 まっくらなトンネルの中で諦めてしまうから、ますます自信を失うのです。

  自分に責任を持って生きることは一時的には苦しくなるときもありますが、最終的には生きることが楽になるはずです。 なぜなら自分に責任を持って生きるためには、自己主張が必要だし、八方美人的な生き方はできなくなるからです。 これは意識的にそうなるのではなく、自分に責任を持とうとすれば生き方が変わらざるを得ないと言うことです。 このようなことは経験してみなければ分からないことです。 明るく自信に満ちて生きている人は、自己主張ができない人でしょうか、八方美人な人でしょうか。 逆に生き方が苦しくなっている人は、自己主張をしているでしょうか、八方美人になることを避けようとしている人でしょうか。 ただし自分の言いたいことを言って生きている人は、問題外です。 

  こんなところにも生き方に対する誤解があるように思えるのです。 自己主張することや八方美人にならないことが、どんなに大切なことかがお分かりいただけるのではないでしょうか。 社会生活の中では相手に対する気配りは必要不可欠なものですが、その考え方を誤ると自分が苦しくなってしまうだけです。 自己主張と八方美人については、下記の項目を参考にしてください。
  
※ もっと自己主張しよう
  ※ カメレオンは何色か

  この世の中のすべてのことの基準は、自分以外にはあり得ないのです。 その基準を他人に売り渡してしまうから、生きることがつらくなってしまうのです。 このことはいくら声を大にして言っても言い足りないことです。

  本当に世の中は、逆説的にできていると思わざるを得ません。 現在を楽に生きようとして自分に責任を持たなければ、その行く手に待っているものは苦しく、つらい人生なのです。 現在に責任を持って生きようとすれば、いまは苦しく、つらく感じますが、その行く手に待っているものは生き甲斐のある人生なのです。 自分の人生に責任を持って生きようとすれば、一日一日をいいかげんに過ごすことができなくなるので、その積み重ねが経験となり、実り豊かな人生を送れるようになるのではないでしょうか。

  いま苦しくて仕方がない人は、自分の過去を振り返って「自分の人生に責任を持って生きてきた」と言えますか。 私は、このことに四十代の後半になってから気がつきました。

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