他人から見て「くだらない」と思うことに熱中できるか

  いい年をした大人(どんな大人なのかはご想像ください)が、紙飛行機を作って喜んでいたり、シャボン玉を飛ばして遊んでいたりとくだらないと言われることに熱中している姿を見て、あなたはどう思われますか。 大の大人が子供じみたことに熱中している姿はほほえましく思いますか、それとも馬鹿らしく思われますか。

  自分の好きでもない趣味に熱中している大人をみると、多くの場合馬鹿らしく見えるのではないでしょうか。 凧を揚げて喜んでいるのは、凧に興味のない人にはばからしいですよね。 本人が夢中になっていればいるほど、馬鹿らしく見えることはありませんか。 このような姿を本当にばからしく思える人は、考え直した方がいいと思うのですが、いかがでしょうか。 人間は熱中できるものがあることは、その人の精神構造が正常な証拠だと思うのです。

  そのような人を、ばかのように言う人こそ問題があると思っています。 精神的に熱中できるもののない人ほど、一見ばからしいことに熱中している人をばかにするようです。 ばからしいことに熱中できるということは、精神衛生上とても大切なことなのですから。 なにも考えないで熱中することこそが大切なのです。 これができる人は、精神症になることもないのではないでしょうか。 自分の心を解放することが大切なのです。

  私の父はなにごとも否定的に見る父です。 私は小さいときから、次のような言葉を繰り返し聞かされてきました。 

「息子や(実際にはここに名前が入りますが)世の中はな、長いものに巻かれろと言ってな、反対しても無駄だ」
「やっても、どうせ無駄にきまっている。 やるだけやってみればいいさ」

 と、言われて育ってきました。 そしてくだらいことをしたり、たわいもないことに熱中している大人を「あいつらは、ばかなことをしている」と言っていました。 その結果、年齢的な体の衰えとともに鬱病になってしまいました。 ものごとをやる前から否定的に考えること、たわいもないことに熱中して気分転換を図ることを知らない人は、どうなってしまうか身をもって知っているつもりです。

  たわいのないことくだらないことにも熱中できないような人は、大事なことにも熱中できないのではないでしょうか。 私はいまはやめましたが、人間の意志ではどうにもならないことに金をかけるのが好きでした。 キャバレー(と言ってもいまはほとんどなくなりましたし、いまのような雰囲気とは違っていました)でネズミを競争させる「ちゅうちゅうレース」というものが、ばかばかしくてとても好きでした。 くだらないことやたわいのないことを馬鹿にしていると、心の余裕がなくなってしまうのではないでしょうか。 どんなレースなのかは、各自で調べて下さい。 実に、バカバカしい物です。 酒の席の余興ですから、バカバカしくてあたりまえですが。

  関西では人気のなかった「たれパンダ」が流行したときに、東京のサラリーマン(大の大人たち)が集まってたれパンダで心をいやしているサークルをテレビのニュースでみましたが、「たれパンダ」で心を癒せる大人は正常な精神の持ち主だと思うのですが、いかがでしょうか。 たわいもないこと、くだらないことに興味を持てなくなったら、注意信号だと思います。

 健全な精神を保つために、このことは大切なことではないでしょうか。

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