人生には、必ず転機がある

  自分の半生(平成13年現在68歳ですから、残りわずか)を振り返ってみると、そのときどきで人生の転機ともいうべきものがいくつもあったように思います。 ただ、その転機を自分の生き方にどれだけ活かせたというと、ほとんど自信がありません。 でもいまは後悔はしていません。 そんな生き方をしてきたからこそ、このホームページを作る気になったのだし、このホームページを作ることによって生きることがとても楽になったのですから。

  人生の転機にその時点で気がつくことは少なく、過去を振り返ったときに「あぁ、そうだったのか」ということが大部分ではないでしょうか。 現在進行形のときには分からないものです。 もしかしたら、あなたがこのホームページをお読みになっているときが、人生の転機なのかも知れないのです。

 だからこそ、いま苦しんでいる人は過去の出来事を手放すこと(忘れること)ができないのです。 「あのとき、あのようにさえしなければ……」と思い、いつまでも悩むのです。 いましあわせな人は、この逆のことが言えるのです。

  人生の転機に際して、ことの重要性を認識するには知恵と感性が必要でしょう。 言葉を換えれば、問題意識を持つと言ってもよいでしょう。 いましあわせなひとはしあわせになれる転機(理由)があったのであり、いま不幸にあえいでいる人にもそれなりの転機(理由)があったはずなのです。 自分が意識しているかどうかは別にして。 その理由が明確に分かっている場合もあるでしょうし、分からない場合もあるでしょう。 

  人生の転機はたとえどのようなものであれ、その機会を利用しなければなんにもなりません。 利用できない人はいつも同じようなミスを繰り返すような人であり、経験からなにも学ぶことのできない人です。 人生の転機をどのように理解し、どのように方向づけをし、どのように行動するかによって、その後の人生は大きく変わってこざるを得ないのです。 その転機を消極的(悪く)に理解すれば、その人の人生は暗いものになるでしょうし、積極的に理解すれば明るく希望のある人生になるでしょう。 分かりにくいかも知れませんので、具体的に説明します。 

  なにか悪いできごとが人生の転機となったとき、あなたはどのように考えますか。

なぜ自分にこんなことが起こって、他の人には起こらなかったのだろう
そして関係者や社会を恨みますか
責任転嫁をしますか
運が悪かったとあきらめて、次からは消極的な態度をとりますか

   それとも、

この失敗から自分はなにを学ばなくてはならないのかと考える
       ・ この失敗は自分になにを教えようとしているのかと考える
原因を究明し、同じ間違いをしないための絶好の機会と考える

  このどちらの考え方をするかは、一人ひとりの自由なのです。 その決断の仕方によって人生は変わります。 辛い生き方を選択するのも、楽しい人生を選択するのも、一人ひとりの決断次第なのです。 だから心の弱い人は決断できないのです。 決断できないままに生きていれば、後悔だけが残り、人生はむなしさだけになってしまうと思います。 

 やってみようじゃありませんか。 失敗したら元に戻って、考え直せばいいではないですか。 失敗は恐ろしいかも知れませんが、すべてのことはやってみなければどうなるか分からないのです。 やってみたら、やっぱり失敗したということもあるでしょうし、あるいは成功することがあるかも知れないのです。 やってみる前から、結論を出してはいけません。 やってみなければ分からないのです。

  人生の転機に気がつかないで逃すか、チャンスをつかみ取るかによっては、その人の生き方はまったく違ってきます。 転機はいいこともあれば、悪いこともあるはずです。 いま目の前にある転機は自分にとってプラスなのか、それともマイナスなのかは、それまでの経験から判断するしかないと思います。 経験や現実に背を向けていれば、どんな大きなチャンスが目の前にあっても、気がつかないで見逃してしまうことになる可能性が高くなります。

  良くも悪くも、チャンスやピンチはいつも目の前に転がっていると思います。  問題は、いつそれに気づくかと言うことだけです。 だから宗教では「いまが救いの時」と言うのではないかと思います。 いまを置いて決断するチャンスはないのだと思います。

  その気になりさえすれば、チャンスは「目の前にある」のです。 ただ我々の多くは心が弱いから、なにかにと理由をつけてそのチャンスから目を閉ざしてしまうのではないでしょうか。 先送りとその場しのぎをしてしまうのです。

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