他人(家族を含めた広い意味で)に依存するから、生きることがつらくなる

 このことも、今まで書いたことをタイトルを変えて書いているだけです。 くわしくは、八方美人や自信の項目を読んで下さい。

 他人に依存して生きれば、自分で考える必要はないし、なにも決断する人はないし、経済的にも働く必要も少なくなるし、いいことずくめのように思いませんか。 なにしろ、自分は物心両面で苦労しなくても生きていけるのですよ。 それなのに、タイトルはそうなっていないのでしょう。

 他人に依存するということは、自分の生き方の決定権を放棄するということでもあると言えます。 人間に与えられている最大の権利である「自由(自分で自分のことを、自分が好きなように決める)」を放棄することです。

 依存した生き方をすれば、絶えず依存している人の言動を気にしなければならなくなります。 たとえば、相手がいままでは「右に行く」と言っていたのに、気が変わって「左へ行く」となれば、自分も行く方向を変えなければならないのです。 絶えず、相手の考え方の変化や行動に気を配る必要が出てくるのです。 ときには、相手のきまぐれに翻弄されることにもなのです。 自分の心が安まるときがなくなってしまうのです。 先行きへの不安だけが、心を覆ってしまうのです。

 自分としては、安易な生き方を選んだつもりが、もっともつらい生き方を選んでしまったことになるのです。 なにしろ、自由という大切なことを放棄した代償は大きいのです。 どんなにくらくても、自分の人生は最終的には自分で選び、そして責任を持たなければ、生きることは楽にならないのです。

 そして、このことはなぜ自分が、いまつらい生き方をしなければならなくなったのか分かりづらいから、よけいやっかいなのです。

 これ以上のことは、ほかのページを参考にして下さい。

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