む な し い

  生きていくうえで「むなしさ」も避けることのできないことです。 個人的に「むなしい」ということは、絶望とか挫折よりもつらいことだと思っています。 「むなしい」とは、辞書を引くと次のようにありました。 漢字で書けば「虚しい」と書きます。 「虚」という字は、私には恐ろしい字に思えるのです。 「空、無、絶望、挫折、憎しみ、恨み、後悔」などといったことを越えた、もっともっと耐え難いことのように思うのです。 言葉では言い表せない、なにかがあるとしか言いようがないのです。   

むなしい  …  存在しない
中にものがない
うつろ
内容がない

  心の中になにもなくなった状態、後悔だけが残っている状態、すべてが無駄に終わった状態、それが「むなしさ」なのです。 自分がいなくなった状態といっても同じだと思います。 挫折とか絶望とは違った、恨みや憎しみといった言葉でも表されないもっと深刻なことのように思われて仕方がないのです。 無力感といってもいいと思います。 「むなしさ」は、自分の存在そのものが否定されることだと思います。 一般にむなしさを感じるのはどんなときでしょうか。 一生懸命努力したけれども失敗したときは、むなしいとは言いませんね。

  むなしいとは、自分を受け入れてもらえなかったときに、使われるような気がします。 自分の考えや感情を相手に伝えようとしたけれども、相手に届かなかったときに「むなしさ」がこみ上げてくるのではないでしょうか。 自分の感情が相手に伝わらなかったときに、「むなしい」というのではないでしょうか。 自分の感情を理解してもらえなければ、自分の存在理由がなくなったと感じても不思議はないと思います。 むなしいとは自分自身に対する無力感の表現だと思います。 だから傷も深くなるのでしょう。 

  人間無気力になれば、自分のなかに引きこもるか、あるいは爆発しかなくなるでしょう。 なにしろ、自分のことを一切認めてもらえない、話も聞き入れてもらえない、相手のいうことだけを一方的に受け入れざるを得なくなれば、だれでもそうなってしまうと思います。 暴走族やチーマーと呼ばれる若者も、自分のいうことを聞き入れてもらえなかった結果ではないでしょうか。 「むなしい」とは、絶望や挫折と単に言葉が違うだけではなく、まったく違った感情だと思います。 

  生きることを最もつらくする、最大のものが「むなしさ」だと思います。 自分が一番信頼している人、自分が一番大切にしていること、自分が一番頼りにしている人に、自分の思いを理解してもらえなくて無力感に陥ってしまった状態、それがむなしさだと思います。 もちろん言葉では言い表されないことなのですが、一応言葉にすればそのように言えるのではないでしょうか。 むなしさから抜け出すためには、それらの人から受け入れてもらうことが必要だと思います。

  このむなしさは、いつまで続くのでしょうか。 私も確信を持って言うことはできないのですが、その原因となった人に受け入れてもらえるまで続くのではないでしょうか。 受け入れてもらえないから、家庭内暴力なども起きるのではないでしょうか。

  復讐のためにだけ生きていて、復讐が終わったときなどもむなしさを味わうときだと思います。

  「むなしさ」とは、「自分の存在は一体なんだったのだろう」、「いままでやってきたことは、一体なんだったのだろう」、そんなときに味わうものだと思います。

  いったんむなしさにはまってしまうと、そこから立ち直ることは容易ではないと思います。 なにしろ心の中が空っぽになってしまったのですから、その空洞を埋めることは大変難しいことなのです。 考えれば考えるほどあり地獄にはまっていきそうな気がします。 ここから抜けだすために必要なことは、「人間は孤独だ、だれも信じられない、なにをやっても結果は同じだ、なににも価値がない」といったことを払拭しなければならないと思います。 そのためには「共に」ということが、どうしても必要になると思います。

自分ひとりだけが苦しんでいるのではない
自分ひとりだけが、他のひとと違っているのではない
自分ひとりだけが社会に受け入れられないのではない
自分ひとりだけがどうにもならないのではない
自分ひとりだけが理不尽な目にあっているのではない

  そのためには考えることよりも、体を動かして他の人と共に苦労すること、共に話し合うことが必要だと思います。 他の人が感動している姿、共によろこんでいる姿を見ることではないでしょうか。 この「共に」ということがなければ、むなしさからは抜け出せないように思います。 「なぜ自分だけがこんな目に遭わなければならないのだ」と考えているかぎりは、むなしさから抜け出すことはできないはずです。

 ただ、じんせいのどこかで「むなしさ」は経験しなければならないことなのです。 避けようとして避けられるものではないのです。 だからこそ、このようなことに対処する術を心得ておくことが必要なのです。

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