思いやりは意識的に持とうとして持てるものではない

 人間誰しも、思いやりのない人間になりたい人はいないでしょう。 自己中心的で他人のことさえ考えないような人でも、心の底では「思いやりのある人になりたい」と思っているはずです。 しかし、思いやりのある人間になりたくてもなれないから、そのような自分に嫌気がさして、ますます自己中心的になったり、ストーカーみたいになったり、粗暴になって自分を騙すことになるでしょう。

 意識的に思いやりのある人間になりたいとすれば、偽善的になりがちだと思います。 思いやりのある人間になろうという意識が働き、なにごとも他人の目を気にする生き方になってしまう(その可能性が高くなる)のではないでしょうか。 この以上のことは、「八方美人」を参考にして下さい。

 本当の思いやりを持つとは、自分が艱難辛苦を重ねて、気がついたら思いやりのある人間になっていたということではないでしょうか。 人生の喜怒哀楽を経験した結果、他人の心も理解でき、共感できるようになったことの結果が思いやりに結びつくのだと思います。

 よく、世の中には思いやりを押し売りする人、異常なまでに思いやりを協調する人もいますが、そのような人は思いやりに欠けている人だと思います。 思いやりが欠けていることを認められないから、思いやりを声高に発せざるを得ないのだと思います。

意識的に思いやりを持とうとしたような人が、思いやりを相手に押しつけてくるのだと思います。 いつの間にか、思いやりのある人間になっていた、そんな人の思いやりは本物だと言えます。

 本当に思いやりのある人は、思いやりを強調する必要がないのです。 このことは、あなたがたの周りの人を観察すれば納得してもらえるのではないでしょうか。

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