本当の思いやり、やさしさ

やさしさ  …  情けが深い
思いやりがある
ぐずぐすして決断の鈍いこと

  ここでは「やさしさ」について考えてみたいと思ってます。 「やさしい」を辞書で引くと上のような意味が載っていました。

  若い女性に「あなたの彼はやさしいですか」と訊ねると、ほとんどの場合「とってもやさしいわよ」という答えが返ってきます。 当然の答えと言えば当然の答えであり、こんな質問をする方がやぼなのかも知れません。 いや、やぼですね。 でもちょっと、待ってください。 なぜこんな質問をするかを説明します。 「やさしい」という言葉の意味を調べると、そのなかに「優柔不断」という意味もありました。 いまの社会では、本来の意味とは違って優柔不断を「やさしさ」と取り違えていないかと思っているからです。

  今時の若い女性流の「やさしさ」を、現実に即して考えると「思いやりがある」というよりは、次のような意味合いが強いように思われてならないのです。

女々しさをやさしいと勘違いしてはいないか
彼女に逃げられるのが怖いので、女性の言うなりになっているのではないか
   ・ 男と女を入れ替えても同じことです
決断力のなさ(優柔不断)を、やさしさと勘違いしているのではないか

男の気の弱さをやさしさと勘違いしているのではないか
   ・ だからこそ「アッシー君」などという言葉が生まれてくるのです

  詳しくは「苦労すればするほどやさしくなれる」というところで書きますが、やさしい人になることは大変なことなのです。 世の中の苦労や社会の仕組みや、それに人間の心の機微も分からない人がやさしくなれるわけはないのです。 いまの日本人の考えるやさしさとは、

ひ弱
女々しい
優柔不断
勇気のなさ

 を、「やさしさ」と勘違いしていることはないでしょうか。 勘違いしていなければ、それにこしたことはないのですが。

  では、本当のやさしさとは何でしょうか。 それは第一には「思いやりのあること」だと言えます。 どうしたら思いやりのある人になれるのでしょうか。 そのためには、人の心、気持ちや感情を知らなければなりません。 それらを理解するには、自分の苦労の中から体験として学ぶことだけが必要です。 やさしさをどれほど頭で理解していても、本当にやさしくはなれないのです。 人の心は頭で、言い換えれば理性だけでは理解しきれるものではないと思います。 理性を越えたところに、生きていくための基本があるのだと思っています。

  つい最近読んだ本に、こんなことが書いてありました。 シェィクスピアのハムレットに出てくる文句だそうですが、「やさしさは残酷さの中にある」というような意味でした。 やさしいだけでは、本当のやさしさを示すことはできないのです。 まぁ言い換えれば、勇気や決断力がなければやさしくはなれないということだと理解していますが。 やさしさとは、ときによっては非常に残酷なことでもあることだけは忘れて欲しくないのです。

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