ダグ・ウィリアムス

 1977年12月11日。後楽園球場で第1回ミラージュボウルが開催された。ミラージュボウルとは、この年からしばらくの間続いたNCAAディビジョンTの公式戦のことで、スポンサーの名前をつけたボウルゲームとして開催された。後にスポンサーの交代によってコカコーラボウルと名称が変わり、何時の頃からだったか立ち消えになってしまった。

 当時、アメリカンフットボールを初めてまだ2年目だった僕は、初めてカレッジゲームが日本で行われるというので、ワクワクしながらTVを観ていた記憶がある。その時のカードはグランブリング州立大vsテンプル大で、めまぐるしい点の取り合いだったことをTD誌を読み返して思い出した。そして、何といってもこのゲームで記憶に残ったのはグランブリング州立大のQBダグ・ウィリアムスだ。

 グランブリング州立大は確か黒人だけのチーム。その中でも193pと長身ですらっとしたウィリアムスは目立った。そして、その肩というか手首の強さには驚いた。きれいなフォームから腕を弓の様にしならせて投げたパスは、大きな弧を描いて空を舞った。

 ウィリアムスはその後タンパベイに入団した。そこでチームは'79、'81、'82と3シーズンプレイオフに進むが、'79にプレイオフ初戦で勝っただけに終わった。その後ウィリアムスはUSFLを経てワシントンに移籍するが、そこにはQBシュローダー(うん、こいつは88年にRAIDERSにやってきた)がいた。

 タンパベイで結果を出すことが出来ず、USFLもあっという間に消滅し、ワシントンに行ったが、彼の時代はもう終わったのかと思っていた。事実'86のウィリアムスはバックアップとして僅か1試合に出場しただけで、パスも1回しか投げていない。そのウィリアムスがシュローダーの故障で'87にチャンスを掴んだ。

 当時のNFL中継はスーパーボウルが中継される位で、レギュラーシーズンもプレイオフも、特に地方ではほとんど観ることが出来なかった。だから、'87シーズンのスーパーボウルにワシントンが出場し、QBがウィリアムスだと知った時には「あのウィリアムスなのかな?」と疑ったほどだ。

 ウィリアムスはスーパーボウルの歴史に残るようなパスオフェンスを2Qに展開した。1Qの終わりに左膝の怪我をしながらも、フィールドに戻ってきたウィリアムスは2Qにいきなり80ydのTDパスを決めた。そして、2Qだけで4TDパスという活躍。

 この試合はワシントンが5TDを上げた2Qが全てで、35-10となった時点で試合は決まった。25点差という点差以上に、あの凄まじい2Qのオフェンスはデンバーの戦意を喪失させた。そう思えた。

 彼の全盛期はおそらくタンパベイ時代だっただろう。しかし、そこで栄光を掴むことは出来なかった。USFLが消滅した時点で彼のフットボール人生に残されたものは、バックアップQBという役割だけだった。だが、ここで一瞬のチャンスを掴んで彼は頂点に駆け上がった。

 ウィリアムスは、翌年入団したリッピンに'89シーズンにはスターターを奪われ、その年限りで引退した。しかし、たとえ誰が何と言おうと、スーパーを制したQBはファンの記憶に残る。そう、あの長身から繰り出されるしなやかなパスは、いつまでも記憶に残っている。

2006.4.3