ジョン・キャパレッティ

 大学時代に付き合っていた彼女と初めてデートした時に観た映画が“ジョーイ”だった。映画館は満員で、横の壁に並んで立って観ていた。クライマックスでキャパレッティがハイズマントロフィーを受賞し、スピーチを続けて行く中、最後に

 「僕が戦うのはフットボールをする時だけですが、ジョーイは私とは比較にならない苦しみを負って病魔と戦っていました。このトロフィーはジョーイが受けるべきです」

と涙ながらに話す場面では涙が出てきて仕方なかった。映画が終わって明るくなってから、涙ポロポロの顔を彼女に見せたくはなかったのを思い出す。あれから何回かTVでも観たが、その度にスピーチの場面では涙を押さえきれない。

 ジョン・キャパレッティはペンステートのRBで4年生の時、白血病の弟ジョーイとの約束を果たすために走りまくり、2639yd、29TDという記録でハイズマントロフィーを受賞した。そして大学卒業後、彼はロサンジェルス・ラムズに入団した。

 彼の走る姿は映画の中で観ただけで、ラムズで実際に走るシーンは観た覚えがない。それでも映画の中の走りからは、華麗な、例えばトニー・ドーセットのような走りではなく、FBタイプのパワーランナーという印象だった。

 大学時代、キャパレッティを知ったのは映画を観てからで、その後はTD誌やAFM誌でもちょくちょく見かけた。記録をたどってみると、キャパレッティは74年から78年までの5シーズン、ラムズに在籍し、632キャリイ、2246yd、avg3.6yd、15TDという記録を残している。

 キャパレッティは75年のシーズン、確かゴール前のショート・ヤーデージで良く使われていた。この年の記録が、48キャリイ、158yd、6TDというところにも使われ方が現れている。

 76年からの3シーズンは180回弱のキャリイを続けたが、獲得ydは600弱〜700弱といったところで、実際にはエースランナー、ローレンス・マッカチオンのブロッカー役が多かった。183p、97kgという体格で、スプリンターでもないのにハイズマンを受賞できたのは、白血病の弟ジョーイが病気と闘う姿を観たからに違いない。

 “ジョーイ”が上映された翌年、キャパレッティは横浜スタジアムのオープニング・イベントに招待され来日している。大きなRBで、優しいお兄ちゃんというのが彼の印象だった。プロでの活躍は今ひとつだったが、“ジョーイ”の映画と共に記憶に残っているRBだ。

 2002.6.27