O.J.シンプソン

 O.J.シンプソンというと、あの大きな頭とガニ股を思い出さずにはいられない。そして、何故か雪の中のシーンを思い出す。それは大学に入ったばかりの頃、先輩の下宿で観たTVのシーンが頭にこびりついているからだと思う。TVの中でO.Jは、雪のフィールドを縦横無尽に走りまくっていたという記憶がある。

 O.Jの名前はフットボールを始めて直ぐに覚えた。ただ、僕が大学に入った1976年のシーズンにリーディングラッシャーになったのが最後で、怪我をしたO.Jは78年のシーズンにSFに移籍したが、大きな活躍をすることなく79年のシーズンを最後に引退していった。

 そういった訳で僕はO.Jの引退間際に辛うじて滑り込んだに過ぎず、O.Jの凄さをほとんど知らない。1973年のシーズン2003yd(当時はシーズン14試合だったからこの記録は凄い)とか、1976年の1試合273ydラッシュとかいう記録も後になって知った程度だ。

 というのも、バッファローは当時とても弱いチームで、TD誌にもあまり記事が載らなかった。O.Jが在籍した1969年から1977年の9シーズンの間に僅か1度(1974年)ワイルドカードでプレイオフに進出したに過ぎない。逆に弱いが故にO.Jの記録を作るため、彼にボールを多く持たせたこともあったという。

 TD誌1978年6月号に「大研究O.J.シンプソン」という記事がある。この中に、現在もよく解説などで見かけるスポーツライターの後藤新弥さんが書いたコラムがある。ここで後藤さんはO.Jについて”Born To Run”と表現している。後藤さんの「要するになぜあなたは勝利者になったのか?」という質問に対し、O.Jは「そう生まれついたんだ」と答えた、とある。

 この特集を読んでみると、O.Jは正に天才ランナーだったとしか言いようが無い。LBの動きを読んで、次のホールを探す能力に長けていたという。足も速かったが、それ以上に穴を見つけてカットバックする能力が人並み外れていたらしい。

 ところで、ガニ股に関する記事で次のような記事もあった。O.Jは子供の頃、栄養失調でガニ股になってしまったのだという。ギプスを買うお金も無く、近所の鉄工職人に作ってもらった「ギブスみたいなもの」を足につけ、ガチャ、ガチャ音を立てながら歩いていたという。

 この記事を読んで「はっ」と思った。この間見たばかりの「フォレスト・ガンプ」だ。「フォレスト・ガンプ」にはいろいろな実在の人物がコンピュータ処理で出てくるが、ガンプが子供の頃足にしていたあのギプスは、O.Jの子供時代の話からとったものだと気がついた。

 結局O.Jは最後に自分の生まれ故郷のSFに戻ったが、スーパーに出場する事は無く選手生活を終えた。引退後は、現役時代に引き続き映画にも出ていたし、フットボールの解説でも活躍していたが、あの有名な妻の殺人容疑でフットボールや映画の舞台からは消えてしまった。

 彼が本当に殺人犯だったのかどうかは分からない。ただ、殺人犯であろうと無かろうと、フットボールファンにとってO.Jシンプソンという名前は決して忘れる事の出来ない名前だ。そして、「あのフットボールや映画で見たキャラクターが本当のO.Jなんだ」と信じたい。

2002.3.16