スティーブ・ディバーグ

 QBスティーブ・ディバーグのことはいつか書きたかった。NFLをNHK-BSで観始めた頃ディバーグはKCでプレイしていた。AFM誌1991年4月号では、ディバーグのことを「渡り鳥クォーターバック」、「老練司令塔」と紹介している。

 ディバーグは77年にドラフト10位でダラスに指名されたがシーズン前にカット。拾われたSFでエースになったが、ジョー・モンタナにエースの座を追われる。その後デンバーではエルウェーに、タンパベイではテスタバーディにエースの座を奪われる。KCには88年に移籍しており、ちょうどその頃からディバーグを観始めた。

 この頃のKCはナイジェリアの悪魔こと重量RBオコイエが暴れていた時であり、70年代中盤から続いた不調からやっと抜け出してきた所だった。フットボールを知ったばかりの70年代中盤頃のKCは弱く、ただの弱小チームだと思っていた(過去にスーパーに出ていたなんてことは知らなかった)。

 ビデオで観たディバーグのクォーターバッキングは正に老練で、丁寧なフェイクやハットコールで相手のDFをオフサイドに掛ける技は観ていて勉強になった。そして、何といっても好きだったのはその渋い表情で、引退間近の頃は本当にカッコ良かった(ファッション雑誌の表紙なども飾っていた)。

 ディバーグが大活躍した90年のシーズン。彼はシーズン終盤に左手の薬指を骨折しながらもチームを引っ張り、チームはプレイオフに進出した。ワイルドカードのKCはマイアミと戦った。試合は4Qまで16-3とリードしながら、マイアミの反撃に合い16-17と逆転された。

 KC最後のシリーズ、相手陣内での3rd down17ydのパスは失敗に終わり、52ydのFGに逆転の望みを託すことになった。サイドラインで見つめる中、Kローリーのキックはゴールポストの正面に向かって飛んだ。ジョーロビー・スタジアムの誰もがFG成功かと思った瞬間、ボールはポストに1yd届かずにフィールドに落ちた(この年のスーパーは湾岸戦争の時で、ジャイアンツとビルズの対戦も最後はFGとなった)。

 私はこの時のディバーグの顔が忘れられない。ヘルメットを両手で押さえながらボールの行方を追ったディバーグは、FG失敗の瞬間に天を仰いだ。当時37歳のディバーグにとっては、これがスーパーへのラストチャンスだということは分かっていただろう。Raidersファンだが、この時ばかりはKCに勝たせてやりたかった。

 ジム・ケリーもダン・マリーノも無冠に終わったが、彼らには何となく花があった。これに対し、ディバーグは苦労人で、彼のプレイはいつも目一杯という感じだった。派手ではなかったが、渋い表情と共に、そのプレイの直向きさが私は好きだった。

2001.6.25