双喜文
中華文様といった時に何を思い浮かべるだろう。ラーメン丼の雷文様や龍。それから鳳凰、麒麟のデザイン。金魚、乱舞する蝙蝠、シュールな子供、やけに目が不気味なパンダ、小龍包の形の桃。陶磁器に描かれた石榴、葡萄などの様々な吉祥文や波形、雲形、唐草模様。そして、漢字の国ならではの、さかさまの「福」や「喜」を並べた双喜文といったデザイン化された文字が浮かぶ。
それぞれの意匠は背景を持っている。
石榴や葡萄は種子や房の多さから子孫繁栄の意匠となる。これは比喩による吉祥文様である。諧音での吉祥は、金魚は中国音で「魚」が「余」と同音で「余るほどある」状態を示し、食に恵まれるとして食器などに使われ、それこそ金魚は金満と考えられる。また、蝙蝠は「蝠」が「福」と同音で、他の文化圏では嫌われものの蝙蝠が幸せのシンボルになる。鳳凰は、二羽向き合わせると、「鳳」と「逢」が同音であることから「喜相逢」と言い、吉祥図案つまりおめでた図を作る。さらに、門扉に貼られたさかさまの「福」。逆さまを表す「倒」が「到」と同音であることから福が来ることへの願いを表す意匠になっている。駄洒落の世界である。しかし、これらの意匠は伝統のふるいにかかって残っている。
吉祥図は単独で使われるだけではない。むしろ多くの吉祥図を一枚の年賀の中に描き込む。年賀とは、春節や慶事の際に慶祝や厄よけを祈願して、門扉や部屋の壁に貼る版画のことである。例えば、「多福多寿多子」という年賀では、寝ころんだ丸々とした子供が片手に蝙蝠を持ち、片手には長寿を示す桃を抱き、かたわらに石榴、空には仙鶴というように描かれて、きちんと一枚の絵画になっているのだ。様々な願いを託した様々な吉祥図が描き込まれた年賀は、まさに謎解きの世界なのである。都会では減ってきているらしいが、新年には新しい年賀に貼り替える。年末には様々な新年グッズの中でたくさんの年賀が売られていた。
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当然、比喩による吉祥文と諧音による吉祥文の双方に、図象性が要求された。だが、それは歴史の中で洗練された。これらの吉祥文を根付かせるのには、その図象が受け手の側と制作者の側の両方から支持されなければならない。おそらく、そこには権力者と民衆の両方の願いが込められているはずだ。吉祥文の共通の願いとはまさに「吉祥」であり、幸福への単純な欲求である。それを視覚的にも、論理としても納得のいく図象に乗せる。単純な欲求は様々な意匠を生みだす。残るものは、あるいは大量な繰り返しの産物かもしれない。しかし、その産物は、つまりは欲求した多くの人々の欲望の形象なのである。
例えば龍の図象を思う。龍は皇帝のシンボルである。だが、皇帝以外の者が龍の図象を使うことが、完全に禁じられたわけではない。皇帝の龍は五本指を持つ。一方、巷では五本指は禁じられたが、四本指や三本指となった龍が流布したのだ。そこに民衆の夢が乗ることの出来る余地が生まれる。これを許された文化として語ることも可能かもしれない。しかし、逆に一般化された欲求が穿った空隙、あるいは窓と考えることはできないだろうか。この隙間から溢れ出す欲求が生産への欲求となっているのだ。
また、諧音にしてもそうである。単純でわかりやすい、論理的な背景を持つ駄洒落の図象化なのだ。ただし、この諧音には漢字という強い文明の圧が加わっている。つまり、意匠から吉祥は了解できても、意図は漢字を読めなければ判らないのだ。ここで文明と野蛮とは峻別されたと考えられなくもない。真に中心を持つ考えには本来、周辺が存在するはずである。過剰なエネルギーで周辺を巻き込んでいった中国は、言語的には表意文字による意思伝達の可能性を駆使しながら、文明の尺度としての漢字を使った覇権国家であったのだ。だが、この中国も漢字を近代化への障壁と考えたこともあった。それを思うと、グローバル化とは何だろうと思ったりもする。
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周荘という村がある。江南水郷三明珠の一つといわれ、上海から半日のツアーででも行ける場所である。そこに、かつての富豪の屋敷が残っているのだが、そのうちの一軒に「天賜百喜」という額があった。「喜」の文字を横に二つ並べた双喜文や喜の文字が、百種類の違う字体で描かれているのだ。双喜文とは、並んだ「喜」を新郎新婦の姿だと見立てて、結婚式の時によく用いられたものらしい。それを百字描く。百種類の字体があるというのも驚きだが、書道がカリグラフといわれることを考えてみれば、このデザイン化にも妙に納得してしまう。吉祥への願いの強さだけではなく、表れ方の多様性への強い欲求が「天賜百喜」にはある。
ところが皇帝になると一万字になる。福岡で開催された南京博物院展に、清代の陶磁器「青花 万寿字文大瓶」が展示されていた。まず、「瓶」自体が「平」と同音であることから平安を表す吉祥とされる。高さ七五・七センチある景徳鎮の瓶全体にわたって、異なる篆書の字体で「寿」が一万字記されている。康煕帝六十歳の誕生日を祝って作られた、長寿の願いのこもった陶磁器だが、唖然としてしまう。願いと欲求の形象化自体が、すでに強い欲求になっているのだ。
個人の欲求にとどまらず、万民への願いとなったものが北京の大鐘寺にある永楽大鐘という巨大な鐘かもしれない。この鐘は明の永楽年間、今から五百年前に作られた鐘である。重さ四六・五トン、高さ六・七五メートル、直径三・三メートルという。その大鐘の表面には百種類二十三万字もの経文が鋳出されている。経文を不朽のもとする意志と鐘自体を聖なるものとして守る意志が想像できる。また、旧暦晦日に撞かれた時には五十キロ先まで聞こえるという鐘の音は、この経文をその音に乗せているのだと思う。鋳出されたものが解放されるようにフワフワと空気の振動を伝って人々の元に届く。作り手はそこまで考えたのではないだろうか。これは吉祥というより、聖性を宿した文字の領域に入っているのだろう。
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僕らの願いや欲求は形象になる。形象化することで僕らは願いや欲求を対象化するのかもしれない。あるいは目的にすると言ってもいいだろうか。その時、内側に抱え込んだものが外に出る開放感を味わうことが出来るのかもしれない。
だが、一方で形を持った願いや欲求が強い使命となって抑圧に変わることもあるだろう。膨張する欲求に従って形象は過剰になり、一方で、その抑圧からも開放されようと表現は継続される。その繰り返しが案外スリリングな現在なのかもしれない。
夢枕漠は『陰陽師』の中で、安倍晴明に「この世で一番短いしゅ呪とは、名だ」と語らせ、「名」は「ものの根本的な在様を縛る」ものだと言っている。名によって存在するものは名によって縛られている。だが、名こそ存在を支えているものでもある。開放を呼ぶのも、名ではないのだろうか。夢を形象にする道筋を探している。これも、また現在という時なのだ。
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−お出かけですか?
−えっ
扉の前には割れたクッキー
それよりも
水たまりから跳ねた魚に
天球の星座はこぼれた
−どちらへ?
−あちらへ
空いっぱいの砂粒の先に
吹き上がる流砂の源もあり
指針は
回り続けるコンパスの針だ
−そのまま こちらへ?
−いえ そちらかも
飛散するウロコに
魚の記憶が宿れば
水の音 かすかに
内耳をゆすり
おののきもせず 海へ
−お帰りは?
−決めてない ただ たびたび と