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005 道東最奥部を初探訪(根室-網走)


1. 札幌-釧路-根室(2006-08-13,14)
旅好きなひとに話を聞くと,旅行で一番楽しいのは「計画を立てているとき」だという話になって意気投合することがあったりします.
今回は夏季休暇を利用して帰省してくる友人と,北海道のなかでもふたりがまだ行ったことのないところを目指そうと,世界遺産にも登録された知床に白羽の矢をたてました.道外のかただと「北海道の人間は北海道の大抵のところには行ったことがあるんだろう」と思っているかもしれませんが,北海道全域をカバーできている人間となるとなかなかいないもんですよ.2006年8月現在北海道には180の市町村がありますが,そのうち3分の2以上あげられればかなりの地理好き北海道マニアではないかというのが私的な印象です.そもそも35ある市の名前を漏らさず挙げるだけでも一苦労です.
それはさておき,北海道ラヴァーを自認するふたりとしては話題の知床を押さえないわけにはいかないだろうというミーハーな気持ちも手伝い,今回はふたりが踏み入れたこと無かった道東の最奥部に旅の目的地を決定しました.

そしてそのアプローチには,鉄道好きなわりに寝台車には高校の修学旅行のときに乗ったくらいしか経験のない2人だったので寝台車を連結した特急「まりも」
*1を組み込むことにし,更に時間的な制約からレンタカーを借りて別営業所で「乗り捨て」するというコースが確定しました.
お盆の混雑が予想されたので特急まりもの指定席券は出発日の1ヶ月前の発売開始日に押さえておき,駅レンタカーも予約しました.本来ならこの2つを同時に買う「レール&レンタカーきっぷ」を買えば運賃2割引,特急料金とB寝台料金は1割引が適用されるはずなのですが,GWとお盆と年末年始はその例外なのでした.
*2

ドライブの細かい行程について考え出したのは1週間前ほどから.当初はどこかの道の駅で仮眠して夜を明かし,レンタカー料金計算の「時間制」の利点を最大限利用して24時間でドライブを終えてレンタカーを返却するつもりだったものの,前日が寝台車でしかも朝からハードだということもあり,大事を取って宿に泊まることに.それでも最終日は午前中には旭川まで到着する必要があったので宿で夕食をとるかどうかでギリギリまで悩む.夕食をとるとなるとチェックインの時間を遅くできず距離を稼げないので次の日の出発時間とのバランスを先読みし,結局出発の前々日に網走市内の宿を素泊まりで予約.
それから道すがらの食事処や日帰り温泉についての情報を当日の昼間までに収集し,いざ実行と相成ったわけです.

MK氏とは札幌駅にて22時頃から行動開始.
この日の石勝線はトンネル点検のためにスーパーおおぞら10号が2時間20分遅れるなどの影響があり,帯広方面から次々に特急が到着するのをホームで見ておりました.さいわい特急まりもはこれらの特急とは編成が違うので車両運用に問題はなかったものの,入線してくる6番ホームは遅れて到着したスーパーおおぞら12号がふさいでいた影響で特急「まりも」の入線時刻である22:58を過ぎても入線せず,慌しい出発になってしまいました.

この日の特急「まりも」は7両編成で,3号車と4号車のあいだに号車番号のついていない座席車を2両つなげての運転.おそらく上りの帰省ラッシュに対応するためなのでしょう.寝台車の私のコンパートメントはすべて埋まっておりました.2人組+2人組で埋まるのではなく2+1+1でコンパートメントを埋めていたことからかなり混雑している模様.あとから眺めてみると,2両のB寝台のうち,あいているのは数箇所だけでした.
初めて自分で手配したB寝台の感慨に浸る間もなく定刻の23:10,釧路行特急「まりも」は札幌駅を発車.しばらくはシーツ敷いたり荷物片付けたりでドタバタしておりました.

寝台車のゆかた 特急まりも 寝台車の毛布
左:寝台車に備え付けられているゆかた.JRのマークが目立ってる?
右:寝台車の毛布.特急まりもなのに何故か「北斗星」のロゴ

正直なところ居住性はカプセルホテルよりも悪いのでぐっすり眠るのは難しいかもしれない….これで6,300円もするのでは高すぎるという声も聞くけれども,寝台車の希少性を考えると仕方ないのかもなあ….ちなみに全国のB寝台のなかでも特急まりもに限っては冬のオフシーズンの寝台料金が3,000円になる特例があるので冬の道東旅行の際には一度利用してみるのもオススメです.
*3 下り特急「まりも」は午前2時台から停車駅があるのですが,座席車ではその都度アナウンスが入るのに対して,寝台車は終点釧路の30分前までアナウンスを切ってくれるなどの細かい配慮があるのも寝台車の利点だと思います.

今回の行程では根室本線の池田駅より先が私の未乗区間なので起きていようと思ったものの,寝台上段で景色が見えにくかったことと,暑さでなかなか寝付けなかったこともあって,寝台から起き出て顔を洗ったのは朝4:20に列車が浦幌(うらほろ)を過ぎた頃.ようやく明るくなり始めてはきていたものの,霧がかかっていて景色はほとんど見えなかったので寝台に戻りました.5:22に最後の途中停車駅である白糠(しらぬか)にとまってから車内にアナウンスが流れると寝台車の乗客が身支度をはじめてにぎやかになってきました.

5:50 特急「まりも」は定刻どおり釧路駅に到着.この列車にあわせて根室行と網走行きの2本の始発列車が連絡しているので乗り継ぐ乗客も多い様子.私達の乗り継ぐ根室行き快速「はなさき」は5分間の接続で5:55の発車なので急いで連絡通路をくぐり2番ホームへ.まりもの乗客がぞろぞろと続いてきました.快速「はなさき」はキハ54を2両つないだ編成でした.まりもからの乗り換えの客がどさっと乗っても立ち客は出ていないくらいのちょうどいい乗車率.定刻どおり,快速「はなさき」は釧路駅を出発.

根室本線でもこの釧路から根室のあいだは「花咲線」の愛称がつけられている線区で,1日2往復の快速のほかは普通列車のみの閑散区間です.道東以外の道民の感覚では「釧路と根室の街は隣同士」.とはいえ実際の営業距離は135.4kmもあり,これは札幌-旭川間とほぼ同じです.ちなみに花咲というのは根室市の地名ですが,この地域でしか獲れない「花咲ガニ」の名前にも冠されているように根室半島を代表する地名でもあります.なお,花咲線には花咲駅がありますが,駅は花咲港からは遠く,利用客もかなり少ないようです.
この区間は北海道でも霧が多く,夏も気温があまりあがらない地域のため田畑はほとんど見られず,湿地が多いことから竹の低い草や低灌木が延々と続く景色が特徴です.釧路の隣の東釧路(ひがしくしろ)駅から釧網(せんもう)本線が分岐していったあとは街の景色は去り,快速列車の次の停車駅の厚岸までは山あいを走っていきます.厚岸の一駅手前の門静(もんしず)駅から海岸沿いを走って,6:35頃厚岸に到着.発車は6:47で,車内の大半の人間(きっとそのほとんどが道外からの旅行者だろう)はホームへ降りていました.スモーカーにとっては貴重な一服の時間のようです.

厚岸は牡蠣の産地として有名で,厚岸駅の駅弁「かきめし」は物産展でも大人気らしいです.しかも森駅の「いかめし」ほどメジャーではないため,なかなかお目にかかれない駅弁です.牡蠣大好き人間の私としては是非とも食べたかったのですが,販売時間は朝7時半からなので買えませんでした.

車内は特急「まりも」からの乗り継ぎしてきた旅行者が車窓を楽しんでいるのが覗えたものの,厚岸を過ぎたあたりからは霧で見晴らしのよくない景色にも見飽きてきたのと列車で一夜を明かした疲れから車内全体がうとうととしたムードに.私も存分に景色を堪能したとはいえないまま寝たり起きたりを繰り返しているうちに,終着の根室駅に到着してしまいました.根室着8:13

根室は日本の東端の市で,根室駅はその終着駅であるにもかかわらず,「日本で一番東にある駅」ではないというのはテツには良く知られた話.根室駅に入る前に線路がコの字型を描いているからで,もともとは根室駅が日本最東端でよかったのですが,そのコの字カーブの途中に1961(昭和36)年新たにホームを設置し「東根室駅」ができて以来,日本の最東端駅は東根室駅となっています.なお,釧路方面から東を目指して延伸し続けてきた鉄道が根室まで開通したのは1921(大正10)年のことですが,1929(昭和4)年には国鉄根室駅とは別地点に根室拓殖軌道が根室駅を置き,さらに東の歯舞(はぼまい)まで営業を行っていました.したがって歴史上日本の最東端駅は歯舞駅ということになっているようです.根室拓殖軌道は1959(昭和34)年まで存続してました.(参考文献:北海道の鉄道,田中和夫著,北海道新聞社)

根室からはレンタカーを借りるため,東根室駅には車で訪れれば簡単なことですがそれではテツとしての面目が保てないと考え,今まで乗ってきた列車が折り返す8:22の釧路行き普通列車に乗車し,8:24東根室駅に到達.地元の中学生のほかの降車客は私達だけだった(大勢いた旅行者も私達ほど酔狂な輩ではなかった)ので心置きなく駅の写真を撮ることができました.


東根室駅 ホーム
東根室 駅前
上:東根室駅のホーム(釧路方面を撮影)
下:東根室駅前(駅舎はない)


そして地図を見ながら,根室駅まで2km弱を歩いて引き返してきたのでした.根室駅前では名物の花咲ガニを売っている店が軒を連ねていました.花咲ガニはタラバガニの一種ですが,タラバガニより漁期が短く,流通量も少ないものの身の味の濃厚さはタラバガニ以上だと言われています.花咲ガニは茹でる前は赤黒く,茹でると鮮やかな赤色に変わります.写真は茹であげたばかりの花咲ガニを水で冷やしているところのようです.どうもカニは値段ばかり張っている印象で,観光客向けの土産物屋ではメロンの箱詰め同様黙殺してたんですが,実際に茹でているところをみるとさすがに美味しそうでした.


花咲ガニ
茹でたての美味しそうな花咲ガニ

*1 もともと札幌-釧路間の夜行は急行「まりも」だったもののキハ183へと編成が変わり特急化された1993年から昼間特急の「おおぞら」に吸収される形で名称消滅.2001年に昼間特急の「おおぞら」が車両をリニューアルし「スーパーおおぞら」となったことで,再度独自の列車名を与えられた.(札幌から道北・道東へ向かう3本の夜行急行「利尻」「大雪」「まりも」はそれぞれ1991年,1992年,1993年に相次いで気動車化された)

*2
 なので別々に買ってもおんなじじゃんと思ったものの,借りるレンタカーを時間制で借りるか暦日制で借りるかに,レンタカーのみ予約する「マイドライブ」の料金体系,さらに「マイドライブ」はインターネット予約可で10%引きになるなどの条件が重なるので最適解を見出すのはなかなか難しい様子.

*3 マニア的には北海道の寝台車は客車じゃなくて気動車であることにも着目したい.気動車のなかに寝台車だけ客車を挿入する編成は北海道独特のもの.2006年3月のダイヤ改正までは「まりも」「利尻」「オホーツク9号・10号」で見られたが,後2者は季節列車になってしまった.

2. 根室-知床-網走(2006-08-14)
根室の駅で駅レンタカーを借りる.
根室駅は小さい駅なので駅レンタカーはきっぷの窓口と併設.マルス端末の隣の机で駅員さんがレンタカーの手続き.案内されて外に出てみると予約していたSクラス(1000cc-)禁煙車のヴィッツが準備されておりました.


根室駅

さっそく出発.メインドライバーは私.
根室は国境の街だけあって信号機のところの住所表示が日本語のほかに英語とロシア語の両方が記されておりました.小樽もロシア語多いけどここまではなかったなあ….
まずは道道35号線「根室半島線」を反時計回りで納沙布(ノサップ)岬を目指す(稚内市にあるのはノシャップ岬.ややこしい).あたりは一面の霧でなんかいかにも「果て」へ向かってるムード.途中,日本最東端の学校の碑の立つ珸瑤瑁(ごようまい)小学校などを通り過ぎ,北海道の最東端である納沙布岬着.
岬の付近にはさまざまな意図で作られたモニュメントがあったけど興味湧かず素通り.海峡は写真に収めたけど,気づいたら記念撮影すらしてなかった.とにかく相変わらず霧は晴れておらず,なんだか東の果てまで来たという実感はイマイチ薄め.北方記念館というのがあって,この地を訪れた歴代の政治家のパネルには懐かしの面々が揃っていて面白かった.「ああ,この人,北海道沖縄開発庁長官だったの?」みたいな.
*4
売店のみやげ物屋は遠くからきた観光客相手の商売だろうと素通りし,食べ物屋へ.カニ丼1,000円ってのを頼んだら花咲ガニの入った卵とじ丼だった.これはこれでおいしい.カニからの出汁の風味があたためることで活かされるし,卵とじならそれを逃がさず食べられるし.こんどスーパーでカニが安かったら,ほじって食わずに調理してみようかと思いましたよ.

 
左:霧の納沙布岬 右:カニ丼(卵とじ)

納沙布岬を後にしたらやっと霧が晴れてきて,ドライブ日和になってきました.今度は半島の北側を走って根室市街までもどり,国道44号線へ.
途中,白鳥の飛来地である春国岱(しゅんくにたい)のそばにある日本最東端(ってさっきからこればっかりだな)の道の駅「スワン44ねむろ」で休憩.ここのソフトクリームは私のツボにみごとにハマり,美味しかったです.あぶらっぽくなく,ミルク感の強い味わいに大満足.

根室市の入り口に位置する厚床(あっとこ)から北へ伸びる国道243号線に分岐し,10kmほどしたところが別海町奥行(おくゆき)で,ここには1989年にJR北海道から廃線になったいわゆる「長大4線」(名寄本線,天北線,池北線,標津線)のひとつ標津(しべつ)線奥行臼(おくゆきうす)駅が非常によい保存状態で残されていると聞き,立ち寄ることに.


奥行臼駅(1)
奥行臼駅(2)
奥行臼駅(3)
旧標津線・奥行臼駅


酪農地帯にぽつんと佇む駅と真っ青な夏空と真っ白い雲.もう何も言うことはないくらい完璧な情景です.この駅跡を管理する別海町は廃線時の状態での保存ではなく,往時を再現しようと駅舎側の貨物用の線路を引きなおして保存している熱の入れよう.なお,駅前には商店などは一軒もなく,農家が一軒あるだけでした.


旧・奥行臼駅前

続いては日本最東端の空港のある中標津町へ.別海市街からは道道8号線へ.
走りながら,北海道の1桁道道談義で盛り上がる.これで9本の1桁道道のうち,私自身が車で走ったことないのは唯一道道5号線だけとなった….道道5号線は江差線に沿うように走ってるからそのうち行きたいなあと.
*5

中標津は思ったよりも大きくて意外でした.調べてみたら人口が2万4千人もいて根室支庁唯一の市である根室市の3万1千人に匹敵するではないですか.20世紀初頭には交通機関はおろか道すらまともになかった広大な土地がわずか1世紀弱で町になって羽田からの飛行機も飛ぶ空港まで擁するとは….なんかまるでシムシティの世界みたいだなと.

中標津では2005年から2006年にかけて札幌の『ラーメン共和国』にも出店を果たしたラーメン店『ラーメン丸福』の本店で昼食.無類のというほどではないけど,ネギ好きを自認するMK氏と私は『和風とん塩らーめん』と『和風とん醤油らーめん』をそれぞれ注文し,白髪ネギのトッピング(300円).出てきたネギの量に二人満足.ボリュームの多さ,特に肉の分厚さに真夏の暑さのせいで完食できないほど.とてもおいしくいただきました.今度食べるときには品切れになってた(季節商品?)『牡蠣らーめん』を食べたいです.
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ラーメン丸福 白髪ネギトッピング
ラーメン丸福 和風とん醤油らーめん 白髪ネギをトッピング

そのあと中標津駅跡の作られた「中標津町交通センター」を見たあと中標津空港へ.ちょうど羽田行きの搭乗手続きの時間で,改築して真新しい空港は人でごったがえしておりました.

そこから道道774号線,国道244号線,国道335号線と経由して知床半島に入ると,海のむこうにかなり大きく島が見えて,それが国後(くなしり)島.道の駅「知床・らうす」は道外からの観光客でごったがえしている印象.みやげ物屋を覗いてみるとあまりに北海道のものを手広く置きすぎている印象.道内人の私はすっかり辟易してしまい,本来ならここでみやげを買おうと思っていたのをやめにしてしまったほど.

道の駅のすぐそばから国道334号線の通称「知床横断道路」へと入る.この区間は冬は早くから遅くまで雪に閉ざされるため日本で最も開通期間の短い国道となっております.いまどき,北海道でも除雪しない国道なんて部分開通しかしていなくて工事区間を目前とした除雪の意味のない区間くらいだものなあ….

で,この知床横断道路はこの羅臼側のほうがとにかく曲がりくねって登っていくわけで,もう曲線は飽きたってころにようやく頂上の知床岬.ここにはほとんどの車が止まって景色を楽しんでおりました.


知床峠(羅臼岳) 知床峠(根室海峡を望む)
左:羅臼岳
右:根室海峡を望む.国後島が見える.


それから羅臼の反対側の斜里町へ.峠を下っていったところにあるウトロはちょっとした温泉街.そんななかにある「夕陽台の湯」は宿泊施設なしの公営の入浴施設で,営業期間は6月から10月のみ,営業時間も午後2時から午後8時.そこで日帰り入浴.時期が時期だけに狭い施設はいっぱいで,洗い場で人が順番待ちするような状況になっておりました.でも施設は新しく管理が行き届いていたのでOKでしょう.名前のとおり,オホーツク海に沈む夕陽が一望できる位置にあるので,そのタイミングを狙うのがよいのでしょう.私達が行ったのは夕陽にはあと1時間程早い時間でした.

順番的には風呂行く前にこっちに行けばよかったものの,ウトロの漁港のほうに降りていくと「知床八景 オロンコ岩」という案内板が.美しいものなら見てみたい,というわけで階段を上ってみたら…かなりしんどい.ようやくあがってみた景色はこれ.きっと夕刻はもっときれいだろうし,なにより写真じゃ表現しきれない開放感が味わえますよ.

オロンコ岩から
オロンコ岩からの景色

あとは国道334号線を斜里市街まで走らせる途中,オシンコシンの滝を見ているうちに日没.斜里市街で飲食店を探すもよさげな店が見つからず,空腹のまま宿を取ってあった網走市まで走行.素泊まりで予約だったので,結局は近くのファミレスであるヴィクトリアでの夕食となりました.この宿がクーラーがなかったために寝苦しくてほとんど寝れなかった….今年の北海道が暑すぎるよなあ….

翌朝は6時に宿を出て帰路に.網走から旭川は国道39号線を一直線ではなく,国道333号線と旭川紋別自動車道(国道450号線)を使いました.このとき通った佐呂間町若佐が約3か月後の11月7日に竜巻被害に遭うとはもちろん想像だにしなかったです.なお,この日は甲子園で南北海道代表の駒大苫小牧が3回戦で青森山田と戦っており,車内ではラジオで試合を聴いておりました.試合の最中に到着し,レンタカーを返却する前後の時間が最も聴きごたえのあるところだったのが今でも印象に残っています.この日,駒大苫小牧は5点差つけられていたところから追いつき9回にサヨナラ勝利(9-10x).まさかその先に決勝戦での引き分け再試合(8月20日)まであるとはこのときは思いもしなかった….レンタカーは25時間使用で525kmの走行となりました.

*4 このときは漁船員が国境侵犯でロシアの警備艇に銃撃されて死亡するというショッキングな事件わずか2日前で,「天気悪くてあんまり面白い場所じゃないなあ」って印象だったのだけれど,事件後だったらかなり印象違っただろうと思います.あの事件は自分が島国暮らしのためにいかに「国境」に対して鈍感だったかを感じましたね….

*5 道道1号線:小樽定山渓線,道道2号線:洞爺湖登別線,道道3号線:札幌夕張線,道道4号線:旭川芦別線,道道5号線:江差木古内線,道道6号線:岩見沢月形線,道道7号線:北見常呂線,道道8号線:根室中標津線,道道9号線:寿都黒松内線

*6 『ラーメン共和国』出店当初はメニューに存在し,私は開店初日に入って口にすることができたが,その後まもなくしてメニューから消えてしまった.おおぶりな牡蠣がごろごろ入っていて牡蠣好きの私は狂喜乱舞(いや,舞ってはいないが)した.


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2006-08-16 編初稿
2006-08-27 後編初稿
2007-06-17 HP用に加筆・再編集