旭川からの特急で指定席をとったのは初めてだった.「みちのくフリーきっぷ」では往復の特急の指定券がフリー区間での
4回まで発行できる指定券とは別にとることができる.旭川からの特急は自由席が主で,座席も良く,始発駅なので座れないことは滅多にないので旭川から指定席に乗ることは稀だった.それでも最近は旭山動物園など観光が好調で平日でも旅行客でひしめきあっていることが少なくない.私の乗った列車でも指定席uシートは始発からほぼすべてが埋まっていた.隣の席は台湾からと思われる20代の青年がプレイステーションポータブルで遊んでいた.私は砂川を過ぎた頃には睡魔に襲われ,うとうとしているうちに白石駅を通過していた.
21時20分,定刻どおりに列車は札幌駅の2番ホームに到着した.昼間の新千歳空港直通のスーパーホワイトアローは6番ホームに着くのに対して,札幌どまりは1-3番ホームに到着する列車が多い.
この旭川発着のみちのくフリーきっぷは札幌駅で途中下車することができないので,改札には向かわずホームをのんびりと散策した.札幌駅はよく利用するけれど,今回の旅のように「単なる乗換駅」というようなことは私にとっては珍しいことだった.のんびり列車を降り,5番ホームへ移動した.まずは急行「はまなす」の自由席の混み具合を見ておきたかったからだ.今日は北海道&東日本パス(北東パス)の夏の使用期間の初日で,なおかつ金曜の夜ということもあり混雑しているだろうと思ったからだ.発車30分前でも自由席車のプレートの前にはそれぞれ20人近くが列をなしていたのでやはりいつもより混みそうな感じだった.急行「はまなす」の入線時間は21時38分.はまなすは通常7両編成,多客期には最大12両で運転されるが,今日は9両だった.私は5号車のドリームカーの席をとることができていた.
函館← 札幌・青森→
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増1 |
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B(14系) |
B(24系) |
B(24系) |
指 |
指カーペット |
指ドリームカー |
指ドリームカー |
自 |
自 |
一人旅で気になるのは隣の席の人間であるけれど,幸い隣は同世代と思われる礼儀の正しい青年で,最初に「よろしくお願いします」と挨拶して頂けた.安心して席に着いた.それにしても車内が暑い.たまたま目の前に温度計があり,「26.8℃」というデジタルの数字が目に飛び込んできた.通路はさんで隣のしっかりした体格の20代の青年は車掌が通りかかったときに暑いことを訴えていた.
22時00分,札幌駅を定時に発車した急行「はまなす」は
22時11分に新札幌着いてさらに若干の客を乗せて千歳線を南下する.検札にきたのは千歳駅に到着する前の
22時30分だった.私の座っていたそばは扉で区切られた談話スペースになっていて,新札幌からは酔った中年のサラリーマン2人がそこに座っていた.車掌とのやりとりを聞くに,前の普通列車に乗り遅れたので乗り込んできたらしい.車掌はしっかり急行券を売り,到着時刻を案内していた.彼らは一区間だけ乗って南千歳で降りていった.
苫小牧を
23時04分に発車し,車掌の消灯案内の放送があったのち23時12分にドリームカーの照明が減灯された.そうすると椅子をリクライニングさせてもよさそうな雰囲気になるので仮眠モードへ.暖房はさすがに札幌発車後すぐに消されたようだったが,まだ25℃はあった.通路はさんで隣の青年は暑さにたまりかねて談話室へ逃げ込んでいた.私も暑さと気分の高まりで寝付けずにいたところ,スーツケースをひきずった若い女性が背後から通っていった.その女性が隣の空いている席をうらめしそうに見つつもさらに前の車両へ移動しようとしていたところを,談話スペースの青年は呼び止めてなにやら話しはじめた.どうやら自由席はいっぱいでなんとか座席を探そうとやってきたものの,席が見つからなかったようだ.一方,青年のほうは自分の優しさをアピールするチャンスと思ったのか,自分は暑いからもうその席には座らないから,よかったら使ってくださいという提案をしているようだった.始めは女性も遠慮していたがあまりに男がしつこくすすめるので結局座席に座らせてもらっていた.それでもその女性はしばらく居心地悪そうにしており,30分ほど経って「もういいです」と言いにいったものの結局断りきれなかったのか,その青年との世間話になってた様子だった.私は仮眠していたのでその後の経過はみていないけれど,
2時43分函館到着の数分前になって車掌の放送が入って目を覚ますと2人とも降りる準備をしていた.室温は23℃台にまで下がっていた.
函館では17分間の停車がある.全車両禁煙車になった「はまなす」にとっては唯一の喫煙タイムであり,ホームの喫煙コーナーは大賑わいだった.函館では3分の1か半分ほどの客が降りた.こんな真夜中に大変だなあと思う.また,10名程度であるが函館からの客もいた.函館では海峡線専用のED79機関車につなぎ替え,進行方向も逆になる.真夜中なので乗客は座席の向きを変えることはしない.
3時00分,函館発車.ひきつづき仮眠をとる.今回はわりとうまく寝付けたほうで,5時ちょうどくらいに青函トンネルを抜けて最初の運転停車と思われるところで目が覚めた.
5時11分に蟹田で運転停車した後に車掌の放送がはいり,乗り換え案内などがなされた.
5時35分,青森駅4番ホームに到着した.台風4号は本州直撃コースではなく,やや南の海沿いを通る予報だった.当面は台風ではなく梅雨前線によって雨がもたらされることになるかもしれなかったが,青森は曇り空にも朝焼けの光が射していた.
青森駅で降りた「はまなす」の乗客のうち,ここ青森駅で旅が終わる人間は少ないようで,改札へ向かう人の数よりも列車に乗り継ぐ人のほうがおおいくらいのホームの賑わいだった.立ち食いソバ屋の前は幾重にもひとだかりができていて,とても乗り換え時間内にさばききれるのかわからないくらいの大盛況だった.私は1番ホームの八戸行き特急「つがる2号」の自由席に乗り換えた.乗車率は50%くらい.つがるの車両は1999年にデビューした130km/h運転が可能なE751系.この列車や「白鳥」「スーパー白鳥」は八戸での東北新幹線との乗り換えを考慮したダイヤで運転されており,号数は2号,4号と順に振られるのではなく,接続している新幹線「はやて」の号数に対応している.
5時52分青森駅発車.特急「つがる」の青森-八戸間の停車駅は浅虫温泉,野辺地,三沢であり,浅虫温泉には停車しないものもある.つがる2号は浅虫温泉は通過する.野辺地の手前,6時12分に検札.通路はさんで隣のおじさんは八戸までの切符を持っているようだが特急券はなく,車掌から特急券を買っていた.しかし八戸までの特急料金が高いのが堪えるのか「野辺地までだといくらだ?」と聞いている.野辺地までの特急券は安いことを聞くと今度は「(八戸行きの)鈍行は(この列車の後かなり)待つのか」と聞いている.車掌は鈍行を普通列車のことかと確認したうえで,「野辺地からは3分で八戸行きがあります」と丁寧に案内.すると3分という時間に不安を感じたのであろう,今度は「橋はわたるのか?」と聞き返す.このやりとりを聞きながら私は時刻表を調べていると確かに野辺地から八戸行きの普通列車がこの「つがる2号」の後を追うように出ていることがわかる.しかし時刻表では主要駅以外のホームについてのことはわからなかった.「降りて向かいのホームから出ます」さすがはつがるに乗務している車掌だけあってきちんと把握していた.ほどなくして
6時17分,列車は野辺地駅に着き,おじさんは降りていった.
野辺地からも若干の乗客があった.隣の普通列車で行っても八戸まで20分しか違わない7時08分なのに特急の利用者があるのはこの特急が接続する東北新幹線「はやて2号」の発車時刻が6時55分だからだろう.青森-八戸間では始発の新幹線に間に合うにはこの特急に乗るほかないようだった.
天気のほうは野辺地あたりから霧雨になっていた.
6時34分,三沢駅で特急「つがる2号」を降りる.ここから十和田観光電鉄に乗り換えるが,乗換えが7分しかない.初めての地なので足早に駅から出る.JR三沢駅は立派な橋上駅だった.調べてみたところ昭和61年の完成らしい.正面口を出て左手に立派なJRの駅舎と対照的な老朽化した十和田観光電鉄(十鉄(とうてつ))三沢駅がある.その駅舎の堂々たる年季の入りに感動しながらもここを見るのは戻ってきてからと券売機で十和田市駅までの往復を買い,駅員さんに入鋏して貰う.銀色の2両の車両はもとは東急の7700系として活躍していたもので,2002年に譲渡されて十鉄の「新型車両」となったものだ.オールロングシートの車内には土曜日であるものの地元の高校生がすでに乗り込んでいて,皆静かに座っている.携帯プレーヤーで音楽を聴きながら一眠りにつくもの,参考書に目を通すものなどさまざまだったが,乗っている人数の割りに皆とてもおとなしく,行儀良く乗っていることが印象に残った.
6時41分,電車は静かに三沢駅を出発した.まずは十鉄とも関係の深かった杉本行雄により開発された古牧温泉の敷地内を通ってから電車は東北本線が通らなかった十和田市を連絡するように走っていく.最初の停車駅は大曲というけれど,花火大会が有名な秋田の大曲ではない.次の柳沢はふりがなは「やなぎさわ」だけれどテープによる自動放送では「やなぎざわ」と言っていたような気がする.その次の七百(しちひゃく)がこの路線唯一の交換駅で,十和田市駅からの電車とすれ違った.
この線には「三農高前」「北里大学前」「工業高校前」と短い距離ながらも学校関連の駅が3つもあるため高校生が途中でどっと降りるのを想像していたものの,どの駅でも乗降客はほとんどいないまま
7時08分,終点の十和田市駅に到着した.
列車で終着駅に降り立ってそのままトンボ帰りするのは失礼なことだと思うのだけれど,今回は早朝という時間のまずさもあってこのまま折り返し7時18分の電車で引き返すことにした.その10分のあいだに駅を駆け足で観てまわる.ショッピングモールとつながった駅ということで「東北の駅100選」にも選ばれているが,そのショッピングモールの中核をなしていた「とうてつ」という十和田観光電鉄がダイエーのフランチャイズで経営していた店は2007年3月いっぱいで閉鎖されてしまっていた.駅の構造上,ホームは道路をはさんだ川沿いにあり,改札は建物の2階にあって道路の上を渡る連絡通路を通らないとホームに行けないようになっていた.改札のすぐ下はバスターミナルとなっていて,電車を降りた生徒達がバス待ちの列をなしていた.それらを観るのが精一杯で,駆け足でホームへ戻り電車に飛び乗る.今度はさっきとは別の制服やジャージ姿の高校生が多数乗っていた.
7時18分,十和田市駅を発車して今度は三沢駅を目指す.この高校生は今度こそ工業高校か農高の生徒だと思っていたけれど,結局1,2名しか降りなかった.そばにいた高校生の藍色のジャージを見ると「Misawa
CH」の文字が入っていたから,三沢市の高校の生徒なのだろう.後で調べたら藍色のジャージが三沢商業高校(CHはcommercial highschoolの略)で,その次に多かった黄緑色のジャージは三沢高校のものだった.それにしても三沢の生徒が十和田の高校へ通い,十和田の生徒が三沢の高校へ通っているということはこのへんは学区が同じなのだろう.
7時45分,三沢駅に到着.さきほど撮りきれなかった駅舎と電車と線路の写真を取った.なお,JR三沢駅からは三沢の米軍基地まで専用線が引かれ,石油輸送が行われていたのだが,2006年に廃止になっていた.しかし駅周辺図には鉄道の線が残っていたので訪れたときには気付かなかった.