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寺 院 紹 介
(滋賀教区大津組)

西念寺歴代住職

開 基:秀岸 1699(元禄12)年寂  2世:聞隆 1764(明和 元)年寂 

3 世:聞海 1776(安永 5)年寂   4世:聞空 1800(安政12)年寂
5 世:聞慶 1834(天保 5)年寂   6世:寛隆 1872(明治 5)年寂
7 世:寛能 1868(明治 元)年寂  8世初:寛應 1903(明治36)年寂
8 世後:金城1916(大正 5)年寂   9世:寛雄 1989(平成  元)年
10 世 :寛誠       

西念寺沿革

 西念寺は滋賀県大津市山上町(旧山上村)に有り、浄土真宗本願寺派の末寺である。初めは天台宗であったのか、過去帳に康平6年(1063年)8月26日天台座主明尊大僧正、征夷大将軍義胎孫大乗院門主還俗義尋二男母古市女三位局等の記録がある。

 1692年(元禄5年)頃は「本願寺宗山科西野村西宗寺の末寺」で山上村道場と呼ばれていたが第2世聞隆の頃に西念寺となったようである。

 第5世聞慶1813年(文化10年)一時、仏光寺派に転派したが、第6世寛隆の時に再び本願寺へ帰派している。理由等詳細は不明である。また、寛隆は法話に大変優れた人で、人柄も門徒衆を引きつける魅力的な人であった。

 第7世寛能は頼山陽の門に入り、後に浦上春琴に画を学ぶ。画号を水石と名乗り、山水画や人物画を得意とし、久住娑婆十六應身図(三井寺園城寺国宝十六羅漢図写し)は当寺に残る。残念ながら41歳の若さで往生する。

 第8世金城の時1904年(明治37年)本堂修復・天井張替・内陣を改装し現在の形に整えられる。  

   第9世寛雄は18歳で継承し、小学校教員をしながら70余年勤める。その間、1963年(昭和38年)本堂屋根裏修復、1986年(昭和61年)山門改築が行われた。

 第10世寛誠は1989年(平成元年)に継承し現在に至る。
 1993年(平成5年)内陣宮殿・須弥壇等の修復。
     1998年(平成10年)蓮如上人御掛軸の修復。
    1999年(平成11年)参拝者用駐車場完成。
         2000年(平成12年)10月蓮如上人五百回遠忌法要厳修。2009年(平成21年)書院・庫裡新築。
 2010年(平成22年)7月親鸞聖人750回大遠忌お待ち受け法要厳修。
  比叡山無動寺谷大乗院蕎麦喰い木像御下向

1995年(平成7年)1月の阪神淡路大震災では本堂壁に亀裂が入る。老朽化も著しく本堂建替えのため、長期計画で積立てをしている。             


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