人間の土地

サン=テグジュペリ著、堀口大學訳
新潮文庫
 

 アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの名は、日本ではもっぱら童話『星の王子さま』の作者として知られている。
 童話の語り手としてのみサン=テグジュペリの名を知る人は、彼を純粋で繊細な、子供の心を忘れぬ詩情の人と思うかもしれない。だが童話の語り手のように飛行士であったこの人は、中世に遡る名門貴族の裔であり、死を前に怯まぬ不屈の勇士であった。
 『人間の土地』は空の騎士サン=テグジュペリが、飛行士としての経験を通して得た省察を語ったエセーであり、本書こそ彼の代表作と言うべき作品なのである。

 もしあなたが十代の若者であるなら、本書を読むことは忘れえぬ経験となるであろう。本書はあなたを高みへの飛翔に誘い、そして幾星霜を経てなお、行き悩む日々、失意の夜にもあなたを励まし続けるであろうから。

 ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える。

 この短くも印象的な書き出しが、この名篇のテーマを語っている。
 八章よりなるこのエセーは、サン=テグジュペリが郵便飛行士として任務を課された最初の晩からはじまる。サン=テグジュペリの飛行機と共に離陸した読者は、地球のあちこちを訪れ、人間の本質を探ることになる。
 サン=テグジュペリの駆るこの翼はまことに美しい。畢生の詩人堀口大學の訳文は、透徹していながらも陰影に満ちた格調高い名文であり、さながら煌きを放ちながら無窮の夜空を飛ぶがごとき感銘を与える。そしてひとつの気高い精神が、この飛行機の発動機の中で静かに回転している。

 サン=テグジュペリが飛ぶのは、黎明期の危険に満ちた定期航空路である。そこはいまだ暗雲に魔物の潜む伝説的な領域であり、そこに挑む飛行士たちは端倪すべからざる勇者であった。その代表である飛行士ギヨメの奇跡的な生還を通して、圧倒的な自然に挑む勇気と、絶望的状況に屈しなかった意志力の源泉が、人間への責任感にあることが明かされる。
 サン=テグジュペリは語る。真の勇気とは生命を軽んずることではない。他者に対し責任を引き受けることが、人間を困難に立ち向かわせ、最後まで戦い抜く力を与えるのだと。そして、そのような精神が、人間を偉大たらしめるのだと。

 人間であるということは、とりもなおさず責任を持つということだ。人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ。人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると信じることだ。

 サン=テグジュペリは飛行機を通して人間と機械の関わりを述べ、飛行機に乗ることで向き合った地球の悠久たる自然と、そこに根を生やした人間の営みを語る。
 人間の住む過酷な環境のひとつが沙漠である。サン=テグジュペリはサハラ砂漠の飛行場での経験を語る。原住民から恐れられる剽悍な大尉や解放奴隷の挿話に、しばしば残酷さと背中あわせに存在する人間の尊厳を見出す。
 またリビア砂漠のただ中に不時着したサン=テグジュペリは、渇きと疲労に打ち克って三日後に奇跡的な生還を果たす。この極限状況から彼を生還させた意志力の源泉は、また人間への思いであった。彼方で彼らの安否を気遣う人々、彼らの死に打ちのめされる人々への責任感だった。

 ぼくらのほうから駆けつけてやる! ぼくらこそは救援隊だ!

 彼の叫びは砂漠の彼方にいる全ての人間に向けられたものだ。夜間飛行の折に見下ろした灯火の一つ一つ、この地球の上に暮らす全ての人々への言葉なのである。
 そしてサン=テグジュペリは、彼ら飛行士の精神が決して特別なものではないと述べる。彼はバルセロナの出納係や、耕すことに一生を費やした園丁に見出した魂の輝きを語る。それはただ多くの場合、人々の中に眠っているだけなのだと言う。

 たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる、そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから。

 『人間の土地』は、人間を人間たらしめているものは何かについて語ったものだ。
 そして人間の精神の偉大さ、高貴なる魂についての証言だ。人間はただの土くれではなく、それ以上の何かであるという希望を語った書なのだ。
 人はこの地球のどこにいようと、しっかりと根ざすものがある限り、高みにあることができる。それは私たちの中に眠っているだけなのだ。人が気高くあることは、不可能なことではないのだ。

 僚友諸君、わが僚友諸君、ぼくはきみたちを証人に立てる、これまでに、どのような場合に、ぼくらが幸福であったかを思い出して!

 アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは1944年7月31日、地中海上の偵察飛行中に消息を絶った。ドイツ軍機に撃墜されたと推測されている。

付記
 本稿執筆の四日後、軌道往還機コロンビアが空中爆発し七名の乗員が散華した。
 彼ら宇宙飛行士は、サン・テグジュペリが本書において語った精神の現代における体現者であった。
 彼らは逝った。しかし飛行士たちは悲運を越えて空の高みへ向かうであろう。
 そして私たちも、彼らと共に生きているのである。希望はそこにある。


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