月のかけら、歌のなごり
『月歌物語』ノート
神話戦略の構築
1994年11月に発売された『月歌物語』は、ファー・ローズ・トゥ・ロード(Fローズ)唯一のキャンペーンシナリオである。またシリーズ全体のコンセプトワークも担当した筆者にとって『大旗戦争』と並び個人的にも感慨深い作品であった。そこで本キャンペーンの執筆意図と背景について、筆者なりのRPG観・ファンタジー観を交えて述べたい。
ゲーム制作に携わった経験からすると、キャンペーンシナリオを中核とするサプリメントが商業的に成功した例は少数派に属する。従って本作の成功し難いことも事前に予想されていたのだが、筆者はFローズの開発過程からキャンペーンシナリオの必要性を認識していた。
そもそもFローズはコンピューターゲーム『忘れえぬ炎』に付随する展開企画であったが、諸般の事情により独立した作品として発売された経緯があった。すなわち根本となるメインストーリーを提示できないという事情があった。
従って『忘れえぬ炎』発売までの間、ユーザーが(少なくともマスターが)世界の広がりと深さを把握し、イメージを共有しうる物語(共同幻想)……つまり「神話」の存在が暫定的に必要ではないかと考えたのである(注)。
そのための一番手近なメディアは小説である。しかしそれは原作者である門倉直人氏の手によるべきであるし、ことTRPGに関する限り「神話」はプレイヤーの経験を通じてヴィヴィッドに獲得されるシナリオ形式であるべきというのが筆者の信念であった。
もちろんBローズの「ミレアの黒塔」のように、システムと融合し世界観を語りきったシナリオが一本あればそれで充分だっだろう。しかしそれは筆者の未熟な手に余るものであり、結果として一定の分量をもったキャンペーンシナリオを志向することになったのである。
しかしながらキャンペーンシナリオは、長さそれ自体がプレイヤーを遠ざける危険性がつきまとう。従って『月歌物語』は独立性の高い小シナリオを多数そろえる、連作キャンペーンの形態に定まった。この形式ならば、それぞれを独立した単発シナリオとしてプレイしても、その意図をユーザーに伝えうると考えたためである。こうして『月歌物語』の方向性と戦術が決定されることになった。
(注)この時点で『大旗戦争』の刊行は全くの未定であった。
神話装置の再生
『月歌物語』の執筆を通じ、筆者はテーブルトーク・ロールプレイング・ゲームとは何であるのか、という問題について改めて考え理ことになった。
筆者なりに得た結論(言うまでもなくそれが唯一の解答というわけではない)を述べるなら、TRPGとは「神話生成装置」である。
マスターとプレイヤーがセッション毎にオリジナルの物語を創り出すTRPGは、秘教的イニシエーションに通じる部分がある。つまり人類の精神の基層にある神話の象徴体系を、プレイヤーキャラクターという依代に宿らせて語りなおし、現代社会のストレスに疲れた魂の浄化(カタルシス)を得る手段なのである。
PCはプレイヤーのまとう仮の人格(ペルソナ)であるが、これはギリシア古典演劇や神楽のような仮面劇の現代的再生と考えることもできる。
仮面を被った演者は台本に依拠しながらも即興を利かせ、舞台上に一つの演劇空間を現出する。それは世界とは何かを説き示すモデルである。観客もまた「ミルモノ」としてその宇宙に参画し、一回性の物語すなわち神話を現出させるのだ。
キャンペーン執筆に際し考えたのは、そうした「神話装置」としての可能性を、押し付けがましくない形で提示できないかということであった。
しかしこの「神話」は、消費されることを前提とするゆえに自由であるべきだった。現在のTRPGが直面している陥穽は、物語性の希求それ自体にある。選択の余地のないプロット、強迫観念的なドラマツルギーへの欲求、「お約束」を前提とした安直なヒーロー志向は、物語が持つ根源的な力を衰弱させるだけであり、驚きに満ちた旅はいつしか退屈な繰り返しに堕ちてしまう。
TRPGを閉塞から救い出し「神話装置」として蘇生させるには、システムやセッションの手法自体にまで遡る必要があろう。それは物語の解体と脱構築にまで及ぶ、ラディカルな作品となり、セッションの概念すらその様相を大きく変えるはずだ。(注)
しかしその萌芽は存在するものの、Fローズそれ自体はオーソドックスなシステムに立脚したものである。特に長編キャンペーンを志向した場合、実験的なシナリオは破綻する危険性があった。
そこで筆者は神話的祖型(アーキタイプ)をシナリオ中に散りばめる戦術を採用した。『月歌物語』は表層的なプロットの下に神話を沈潜させ、物語の意識下レベルに根を張らせている。この通奏低音を聞き取り、断片を綴り合せて秩序化し、独自の物語を創造するという作業は、マスターとプレイヤーに委ねられている。それでこそPCは、決まりきった物語の操り人形ではなく、新たな世界の創造に参画する英雄となるのだ。
だからプレイヤーとマスターが、暗喩を読み解こうと努力する必要はない。意識のどこかに奇妙な感覚を覚えてもらえば、それで筆者の目論見は達したと言えよう。そしてセッションがシナリオの表層から逸脱し、全く別のオリジナルな物語になってしまうことこそ、筆者が密かに期待したところであった。
(注)昨今のキャラクターロール支援システムを否定するものではないが、「神話装置」の観点からは逆の方向にある。問題は物語全体の構造だからだ。本稿執筆の時点でこの「神話装置」のイメージは曖昧なものであったが、その後まもなくそれを具現化した衝撃的な作品を体験することになった。藤浪智之氏が発表した同人誌作品『新時代RPG E.V.A』がそれである。
街と供御の神話
キャンペーンの執筆に際しては文化人類学者レヴィ・ストロースの「神話とは女の秘密である」という言葉が念頭にあった。
『月歌物語』は女性の秘密をめぐる物語である。言うまでもなく月は女性の持つ生命の神秘の象徴であり、狂気と混沌の象徴でもある。ゆえにこの物語には地母神殺し、死と再生、供御と生贄のモチーフが露骨に散りばめてある。
また『月歌物語』は都市ガイドを中心としたサプリメントであり、シナリオもシティアドベンチャー中心とすることが決まっていた。その際、今村仁司『貨幣とは何だろうか』(ちくま新書)に触れたことが、漠然としたアイデアを意識化する契機となった。「貨幣論的ヒロイックファンタジー」とでも言うべきプロットが現出したのである。
本来的に取引の場である街が、繁栄と平和に代償を要するのは当然である。犠牲が死で生を購う取引行為である以上、生贄の役割を負わされるのは、生命の秘密を握る女たちであった。
しかしながら、地母神の支配力に脅える男たちは、母性原理の征服を試みる。彼らは厨房の火を奪って鍛冶の火に変え、生命を創造する営みを快楽に堕落させ、母なる森に斧を振り下ろす。それゆえに還るべき子宮を失った彼らは、代償たる死を背負いながら、新たな宇宙秩序を創造しなければならないのだ。
こうして『月歌物語』では、女性たちが物語構造の鍵を握ることになる。
滅びた街への「鍵」となる少女フィリアナは感情を凍結されている。これは彼女が半ば死んで作り変えられた存在であることを意味している。あるユーザーから送られた手紙には「本当はアーティクルとして設定したかったのではないか」と指摘していたが、それは正しい。彼女は「男に造られたる者=ピグマリオン」であり、感情を目覚めさせることが生命を吹き込むことなのだから。
聖都でPCに手がかりを与えるコーデ伯夫人は、父性原理に蹂躙され傷ついた嘆きの聖母である。聖都で起きる異界の冒険は神秘主義に必ず登場する、死と再生の儀礼を模している。暗がりに流れるせせらぎは子宮にたゆとう始原の水であり、かがり火は命の炎だ。このエピソードは少女の死と再生であると同時に、生殖行為の暗喩となっている。
エンダルディウムのエピソードは言うまでもなく母殺しだが、直接的には寺山修司の映画『田園に死す』の一シーンに触発されている。半妖精が胸にかき抱く槍は、地母神に抱き止められた男性原理の象徴として聖槍ロンギヌスやエクスカリバーのイメージとも重なるが、また世界樹をも暗示している。
またグスリダンやエノイルで暗示される女性たちは、地母神の暗い支配力の側面を示したものである。
これと反対にモラムスの「からくり道化」、ロードンの地精像、マダオの参議券は、都市を生み出した父性原理による創造の産物である。それらは程度の差こそあれ創り手の意志に背くことになる。彼らはプロメテウスの火による創造がもたらした罪の象徴、反逆する被造物=フランケンシュタインなのだ。さらにマダオの参議券のエピソードは(当初は意図していなかったのだが)、究極的媒介手段であるところの貨幣をめぐる寓話であると言えるだろう。
こうしてまき散らされたモチーフは終章で収束へと向かう。そこには死と生の相克が待ち受けている。
異界において「守護の聖櫃」は混沌の大門の姿で現れる。その形象はまた天秤を象徴示しており、その中心で混沌と秩序、死と生の支点となるのが世界樹である。
世界樹すなわち街の繁栄の代償として眠りにつかされた妖精が、この物語における原初の太母であることは言うまでもない。彼女は言わば地下に封じ込められたリリスであり、各章に登場した女性たちはその影に過ぎない。
妖精メリューンは街の歴史の始まりにして終わりである。街は彼女の微睡んだ夢であり、その目覚めによって一切は彼女の想いの中に回収され、連環した時間は断ち切られる。
こうして『月歌物語』は、一つの閉塞した世界を終焉させ、過去から未来へと向かう時間軸を志向する新たな世界がはじまる。その空間こそ、PCたちが自らの意志で運命を切り開いていく、新たな神話的空間に他ならないのだ。
初出 『ユルセルーム拾遺』(1996.12)
戻る