西方農村社会の考察
騎士と戦士と貴族
−−西方農村社会の一考察
ユルセルーム世界における人口の圧倒的多数は農村に居住する。彼らの生産が都市の経済を支えることを考えれば、農村社会の構成を見ることが、それぞれの社会のありようを知ることになるのは言うまでもない。
ここでは「薄暗がりの時代」におけるストラディウム農村社会の一例として、本島北部にあったラカ村の事例を取り上げてみる。
ラカ村はストラディウム平原北部、運河の北岸にある。周囲にはなだらかな丘陵が連なるが、運河からの水利もあり肥沃な田園が形成され、典型的なストラディウム農村の景観をなしていた。
ラカはそれぞれ十数戸の農家からなる、集落の集まりであった。耕地では麦作の他、野菜や果樹が栽培され、家畜として牛・羊・鶏などが飼育された。村の中心となる集落には集会所、神殿が設けられた他、雑貨屋や鍛冶屋など半農の商職人が居住していた。
いくつかの資料を見る限り、ラカ村の住民の大半を占めるのは、単婚家族による小規模な自作農だった。彼らは一、二頭の牛馬を用い、家族単位で土地を耕作した。
各集落には経営規模の大きな富農や小地主もおり、家族の他に雇人を用いて農業経営に従事していた。彼らから土地を借りて耕作を行う小作人もいたが、その数は村の中では少数だった。
小地主の代表がヴィンデスト家である。ヴィンデスト家は「昔ながらの気骨を堅持する」旧家で、一族からは代々騎士を輩出した。典型的なストラディウムの騎士階級と言えるだろう。
ヴィンデスト家は地主として小作農から地代を徴収したが、その所有地はさして大きいものではなかった。ヴィンデスト家の当主は騎士の特権として租税を免除されており、最低限の生活を保つことは不可能ではなかった。しかし租税免除は身分にふさわしい軍役を奉仕するためのものである。ストラディウムにおける騎士称号が非世襲であることを考えれば、家格を維持するには軍人にふさわしい教育を子弟に授け、装備を整えさせる必要がある。このような支出を考えた場合、同家のような軍務に従事する小地主の経済は、将校としての給与それ自体に大きく依存していた。
ヴィンデスト家を典型とするストラディウムの騎士の伝統的な性格−−国家と軍への忠誠、質朴な生活の尊重−−は、まさにこうした経済生活を背景としたものであった。
しかし大旗戦争前夜、軍を退いた当主が嫡子フェルノシェロスと共にラカ村に隠棲してから、ヴィンデスト家の経済は苦しさを増していたと伝えられる。
「薄暗がりの時代」の経済変動は、伝統的な騎士階級に危機をもたらした。彼らは伝統を捨て、新たな経済的現実の中に身を投じるか、さもなくば没落して農村に溶け込んでいくことを余儀なくされたのである。
ヴィンデスト家と深い関わりを有するのがアスルモルド家であった。アスルモルド家は「忠実な騎士従者として過去多くの栄誉を残している家柄」であり、「あの両家だけは一昔前の騎士・従者のつきあいをしている」と村人に言われていた。
このようにアスルモルド一族はそもそも、ヴィンデスト家に隷属する家人であったと推測される。彼らはヴィンデスト家の館に寄宿し、農地を耕しながら主人の世話をしたのであろう。しかし四王国期以降の緩やかな経済発展の中で、この関係は揺いでいった。彼らは主家から農地を分与されて農民として自立し、アスルモルドの家名を立て、さらに地道な開墾により富裕になっていった。
アスルモルド家は、家族と雇人による農耕を生業とする有力自作農であった。このクラスの有力農民は、村に課された兵役を進んで負担し、その代償として租税を減免された。「戦士の国」において兵役の負担は名誉とみなされ、村落の指導的立場を担うための条件でもあった。彼らは村長などの役職に就いて村の共有財産を管理し、非常事には村民を呼集して自警団を組織した。またアスルモルド家のエステイファのように、彼等によって養育される戦災孤児もあった。
アスルモルド家に代表される「戦士の家」こそ、封建的土地所有制度の衰退したストラディウムにおける、農村と軍隊の中核であった。
ヌクセン専制下、ラカの村には変化が訪れる。この頃、宰相ヌクセンは「伝統の回復」を名分に、大戦前に溯る旧家の復興を打ち出した。宰相はこれらの旧家に貴族の称号と家領を与えた。この措置はヌクセンの急激な政策に反発する保守派への懐柔策であると同時に、追放された諸公家にかわる権威として旧家を利用しようとするものであった。
復興された旧家の一つアマウライエ家は、ラカ村を家領として授与された。しかし宰相は同家が中央政界に勢威を回復することまでは好まず、一族にラカ村への定住を命じた。家名こそ保持していたものの没落著しかったアマウライエ家は、宰相の飼い殺しに甘んじざるをえなかった。
アマウライエ家のラカ移住は、同村の内部に波紋を呼び起こした。ラカ村はヴィンデスト家以下、宰相への反発が強かった。ヴィンデスト家の嫡男は幼少時、子供たちに命じてアマウライエ家の娘スィスレーヌに雪玉を投げつけたと言われている。
この事実はストラディウム村落の自治性を物語っていると言えるだろう。ラカ村の耕地はあくまで個々の農民や小地主の私有地であり、土地も人も、アマウライエ家の支配下にはなかった。同家は領主の名こそ持つものの、農民から土地を取上げたり、村民を裁く権利は無かった。彼らはいわゆる封建領主ではなく、租税徴収権を持つに過ぎなかったのである。これはストラディウムの貴族に恩典として与えられる「家領」に、大なり小なり共通するものだったであろう。
このようにラカ村の事例は、ストラディウム農村の性格を見ることができる。
端的に言えばストラディウムの村落は、農民たちの自治共同体であった。租税や兵役は村を単位に割り当てられたが、「戦士の家」を指導層とする農民は、合議により経済力に応じて負担を分けあった。
農民の経済活動や、彼らの土地所有権に対して、騎士や貴族が干渉することはほとんどなかった。彼らが村落に課す負担は一方的な命令ではなく、村落共同体と交渉して取りかわす合意というのが実態だった。清廉派や宰相の強硬な諸政策が忌み嫌われたのは、それが重税であるという以前に、共同体の自治を否定し権利を蹂躪するものだったからである。(*)
このような村落の指導層を形成する小地主や有力農民が、同時に将校や兵士として軍隊の中核を形成するのが、軍事国家ストラディウムの基本構造だった。言い換えればストラディウムは、武人としての忠誠と名誉によって、それぞれ異なる地域社会を束ね上げた国家だったのである。
それゆえ彼ら農民たちは国家の危機に対し、彼らと彼らの故郷を救うため、積極的に戦ったのであった。
(*)このような村落共同体の自治権について、サスフォーン村の事例が挙げられる。サスフォーン村は往古よりシスティファン公家の家領であり、公家と村民の間には一般の貴族の家領よりも深い結びつきがあったようである。システィファン家は首都から逃亡した後にサスフォーン村に潜伏し、ヌクセン失脚まで村民に匿われ続けた。たとえ内外に協力者がいたことを前提にしても、この事実は宰相ですら村落共同体の内部に踏み込むことが容易でなかったことを物語っている。
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