リンアート会戦の謎

−−−フィウモ・オトゥマイ『戦史』の批判的再検討


 『大旗戦争』はフィウモ・オトゥマイの『戦史』を基本資料としている。
 オトゥマイについては著述の恣意性を疑わせる手紙が残されているにも関らず、その内容は概ね信頼が置けるものと評価されてきた。しかしながら近年、戦史の解析によりいくつかの疑問点が浮かび上がっている。

 一例として2114年のヒュノー侵攻戦役が挙げられる。
 オトゥマイの記録に従うなら、ディアリムイ軍に側面を圧迫されたウェルユーンはバルグに近衛予備軍への牽制を命じ、自身は「大遠征艦隊」の主力を率いて森林部に転進、ディアリムイとの決戦を目指したとされる。

 しかしながらこの場合、『戦史』に語られた指揮官の意図と軍の位置関係が一致しないのである。
 図の位置において、ディアリムイ軍の主力は未だ「海の大艦隊」の側面を圧迫するには至っておらず、ウェルユーン軍の転進は唐突かつ無意味に遠距離である。またリンアート会戦後のディアリムイ軍の追撃も、非合理である。。
 この理由としてはウェルユーンが正確な地理を察知していなかったか、オトゥマイの記述に誤りがあるかのいずれであろう。
 確かに「海の大遠征艦隊」の能力は低く、道を誤った(あるいは偽情報をつかまされた)可能性も否定できない。彼らには大縮尺の地図もコンパスも無かったのだ。しかしながらウェルユーンとて古の妖精であり、森林の深さを見誤るかどうかは疑問である。それにこれでは何故、ディアリムイがリンアートを決戦地に選んだかという疑問が残る。彼はただ漫然と、敵を待ち受けていたようにしか見えないのである。
 ウェルユーンにしてみれば近衛予備軍を全力で攻撃する方が理にかなっており、それを放擲してディアリムイ軍に向かうのは極めて非合理である。またセルトーグ元帥のような老練な指揮官が危険な突出を行ったとも、ディアリムイがそれを看過したとも思われない。

 最も妥当な解釈は「海の大遠征艦隊」の進撃がオトゥマイの記述より速く、ユールを抜いていたとすることだろう。つまり「大遠征艦隊」は森林の中央部ではなく、北部を突破したのである。ディアリムイは記録に残されていない機動によってウェルユーンを挑発し、南下した彼女の軍を反転迎撃したと推測される。またセルトーグ元帥率いる近衛予備軍はユールではなく、首都近郊のクリーク地帯外縁でバルグ軍を迎撃したことになる。

 この解釈ならば、なぜウェルユーンがディアリムイの配置を脅威に感じたか明確になる。ディアリムイは敵をジレンマに立たせ、微妙な地点で攻勢を誘い、内懐に誘い込んでから撃滅した。これはフォン・マンシュタインの第二次ハリコフ戦を彷彿とさせる偉業である。
 では何故このような誤りが生じたのだろうか? 地理を誤ったのはウェルユーンではなく、オトゥマイではないかと思われる。リンアートで決戦がなされた事は確かだが、彼が参照したストラディウム東部の地図は距離が正確ではなかった。ためにオトゥマイはディアリムイとウェルユーンの意図に合致するように、近衛予備軍の配置を類推で勝手に書き換えてしまったのではないかと思われる。

 このようにオトゥマイの記述は、最も重要な決戦の記述においてすら疑問なしとはしない。「大旗戦争」は未だその真実はおろか事実関係すら十分に解明されたものとは言えないのであり、無条件に通説に従うべきではなかろう。

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