ユルセルームの農業2
『ユルセルームの農業』に対する考察
ユルセルーム学会員 林蔵
注記
『ユルセルームの農業』公開後、「ユルセルーム研究所」主宰の林蔵氏からこの問題に関する批判をお寄せいただいた。氏の反論は的確であり、筆者としても本論の指摘を無視してはならないと考えた。ここに氏の考察を感謝と共に掲載させていただく。
『ユルセルームの農業』には示唆に富んだ指摘がなされている。
全体として、説得力のある構成となっており、ユルセルームの農業形態が、筆者の指摘する形であってもなんら問題はない。
しかしながらここで、いくつかの論点に疑義をさしはさんでみたい。
まず、前提として、
1.小麦、および米の生物的、遺伝的特性が我々の世界のものと同じである。
2.小麦、および米の生産性の進歩の度合いが我々の世界のものと同じである。
の二点が確認されねばならない。
(さらに米そのものがあるかという問題が残っているが、これは旧ローズサプリ『ストラディウム編ワールドガイド』に記述がある)*編注
特に、2.については、農作物の品種改良、例えば倍数体の交雑や稔性の変化は長い歴史に裏付けられ、どの段階にあるかは特定しにくいという点、土質、特定の食虫や病気が存在するだけで生産性は大きく変化するという点、生産手段、体系の変化が収穫量に大きな変化を与えるという点で、両者のバランスにおいても我々の世界に近いものを設定しなければなるまい。
(小麦にせよ米にせよの面積当たりの生産量は中世から近代で一度、さらに化学肥料の登場により今世紀に一度と、大きく変わっている点を考えに入れる必要があるだろう。近年50年間でも麦の面積当たり生産量は2倍になっている。)
またあえて指摘しておくなら、『ストラディウム編ワールドガイド』に、ストラディウム本島では、南部は米の二毛作、北部は麦作と指定してあり、米の単作についての記述がない。これは米の生産収量が(我々の世界での常識に反して)単作では麦に届かないという可能性を考えねばならない。
ここではこれら前提が満たされているとした上で、以下話を進めていこう。
論文の、自然環境の部分については非常に納得しうる部分である。そうしてこの部分が「ユルセルーム世界の主要作物が小麦ではなく米である」という結論に至る最大の理由だろう。
これに反論するには前提の部分を棄却するしかない。ここでは論文の主旨に納得した上で、アンチテーゼとして考察を進めている。よって次に進もう。
暦法の部分には疑義をさしはさむ余地がある。まず、米主体の農業とするならば、『収穫祭』『蒔種祭』という名称が適することは確かである。小麦の場合、寒冷地では春播(春小麦)が主体となるが、世界的には秋播のいわゆる冬小麦が普通である。
しかしながら後半の祭日がヨーロッパで春夏、日本で晩秋を主とするという点と、植物と縁の深いメディート祝祭日が、グレゴリウス暦換算で5月第1週に行われるとういう点からもたらされる結論は、ユルセルームの農業祭日がヨーロッパ型、麦作型であるという主張の裏づけになりはしまいか?
またヨーロッパでも、春小麦やカラス麦、大麦、野菜などの畑作、葡萄など果樹の最大の収穫は主として秋であり、農業の単位が冬で一段落することから収穫祭という名称を持つ祭が秋にも多いこと(サワーン:11月1日のドルイド教の収穫祭、スコット:イスラエルの秋の収穫祭など)、そもそもharvestという古期英語が収穫期と秋という二つの意味を持つことを考えると、収穫祭が秋にあることすなわち米作主体の証明としては(もちろん否定しうるものではないが)乏しく感じられる。
三番目の図像資料の点では、これはむしろ畑作地域の図であると捉えられる。
 | ファライゾンの農村風景 |
論拠としては、耕作地はたしかに、透明感のある薄い水色、で示されているが、中央にある道、ないしは水路も同じ色で表されている。ここで、地形の高低差とその等幅等位の形状、また耕地への引き込み水路が見られないことからむしろそれは道路であると考えられ、図像を表した作者の意図がこの色によって地面を表しているとするべきである。とすると耕作地も水面ではなく地面であると考えられる。さらに図像の畝構造が格子状に植えられることが多い水田の様子と一致しないと言える。また、耕地面が水平に見えない所からもこの図像を水田とするには無理がある。
(道路や畝とした場合、サイズが家屋と比較した場合異様に大きいのが問題点ではあるが、遠近法に重点を置かないキュービズム的手法を愛する画家の手によるものかもしれない。)
よってこの図像は畑作地の図像としたい。
上記の理由から、また米作地域と箸文化圏とが一致しないこと、ユルセルームのさまざまな記述に箸が登場しないこと、などからむしろ以下の結論に従うべきであろう。
ユルセルーム世界のお姫様は、ナンでつつんだ米をカレーにつけているのだ。
編注
林蔵氏はユルセルームにおける稲作の傍証として『ストラディウム編ワールドガイド』の記述を挙げておられる。しかし同書は“静の公”グンドについて「公主の弟」と記述するなど後になって誤りが判明した記述が少なくない。同書が文献として信頼性に欠けることは、公平を期する為に明記しておく。
なお、筆者としては稲作ではなく麦作でも問題はないと考える。貧乏人は麦を食えばいいからだ。ただしその場合、根菜文化の観点からユルセルーム農業の検討を進めねばならない。
麦飯にはトロロがつきものだからである。
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