辺境民族誌
解題
ユルセルーム世界には幾多の“言葉ある種族”が居住するが、人間族はその生活空間の広範さと文化の多様性において、際立った存在である。人間族の多様な営みは“闇の中の炎”とも呼ばれる彼らが持つ、根源的な生命力と創造性の賜物である。
ユルセルームの人間族はおおむねにおいて、統一王朝に起源を持つ文明社会を形成している。これらの主流な社会はスィーラ古聖教や魔法を文化の基盤とし、農牧業を中心とする生産様式と貨幣経済を軸としている。
一方、発達した社会の辺縁部には、さまざまな小集団が独立した社会を形成している。彼らはその地域の風土に適合した独特の文化を発達させてきた。これら辺境の民が統一王朝の盛衰を眼目とした正史に語られること少なく、知られるところは余りにも少ない。しかし彼らは広大な“かりそめの大地”に一隅に息づき、その生を大地に刻みつづけている。あるいは遠い将来において、彼らが歴史の中に躍り出て、新たな役割を担う日が来るのかもしれない。
これら辺境の人間集団のうち、デュロン砂漠の砂人や極北の氷人については、ある程度知られている。本稿ではそれ以外の、知られることの極めてすくない三つの民を紹介する。
注
本稿は『辺境民族誌』(2001)の改稿である。本稿の記述は『ローズ・トゥ・ロード ナーハン・ラムザス編』(1985)の情報を基に独自の解釈を加えたオリジナル設定であり、オフィシャル作品とのかかわりは一切ない。
初出誌よりイラスト転載を快諾された百木幸七郎氏に改めて謝辞を述べさせていただく。
イラストの著作権は百木幸七郎氏にあり、氏の許可なく転載することを禁じる。
オバダイ族
巨足鳥を捕らえるオバダイ族の戦士。乗っているのは疾草竜。
民族
エスラムス山脈西北からタキット砂漠南部にかけて「アキラの地」と呼ばれる草原地帯に居住する独立不羈の牧畜民。
褐色の肌と黒い髪を持ち長身。その身体的特徴からもヴァロンの砂人を起源とすることは明らかであり、彼らの伝承もそれを肯定している。しかし彼らが砂人から分化した時期や経緯については明らかになっていない。
狩猟採集を営む砂人に対し、オバダイ族は牧畜を生業としている。このため彼らの言語は文法構造や基本語彙においてヴァロン語と共通するが、独自な語彙や語尾変化にはラムザスなど周辺文化の影響を見ることができる。
経済と文化
オバダイ族は天幕や日干し煉瓦の家屋に居住し、季節により居住地を移動する放牧生活を行っている。ギュノロンやナーハンの商人たちと交易も行うが、貨幣の使用は希で物々交換が中心をなす。
オバダイ族は一般的にオザン神を信仰するが、野の精霊を崇拝する者も多い。また男たちの中には、古デュール派に属すると思われる者もいる。
オバダイ族の主たる家畜は巨足鳥である。巨足鳥はラムザスにも見られる家禽だが、オバダイ族は牛馬を飼育せず、もっぱら巨足鳥の牧畜を行う。彼らは巨足鳥の卵や肉を食料とし、皮革や骨から衣料や骨格器を得る。羽毛や骨細工は交易品としても珍重されている。特有の食料としては、巨足鳥の吐瀉物を原料としたヨーグルト状の発酵食品がある。これはアキラの地に居住する巨足鳥のみに見られるもので、餌であるこの地域特有の草や虫が、特殊な発酵作用を促すのではないかと考えられる。
オバダイ族は草竜を飼育することでも知られる。草竜はアキラの地周辺でしか見られないが、これも特有の植生が関係していると見られる。オバダイ族の各家族は数頭の草竜を飼い慣らしており、家畜の警戒や狩猟に用いられる他、騎乗や車の牽引にも使用される。平坦な草原であるアキラの地は車の運用に適しており、オバダイ族は草竜に引かせた二輪戦車を愛用する。
草竜のような竜類は本来ユルセルーム大陸に存在せず、マスト大陸からデュラにより移入されたものと考えられている。おそらくオバダイ族は「大戦」の一時期デュラに服従し、その支配下で竜類の飼育を修得したのではないかと考えられる。統一王朝時代に溯る古記録には彼らについての資料が無く、四王国時代に入ってから頻繁に報告されていることも推測の正しさをうかがわせる。しかしオバダイ族の伝承にはこの間の事象はすっぽり欠落している。
社会
オバダイ族は家父長制の氏族社会を形成している。家族は夫婦とその子供からなる小家族を中心とし、十数〜数十家族で氏族を構成する。氏族はよい草地や水場をめぐり、頻繁に争う。飼料の確保は氏族の存続に関わるため、氏族長はことあるごとに互いの優劣を争い、しばしば草竜を駆っての決闘を行う。敗北した族長は氏族ぐるみて勝利者に服従する。しかし従属関係は流動的であり、永続的な支配関係が根づくことはなく、部族全体を統一する首長は存在しない。
オバダイ族の間には、彼らを荒野から連れ出し、乳と蜜溢れる楽園に導く救世主が予言されている。この予言は遥かな昔、彼らの祖先がヴァロンの砂漠を離れた折の記憶に由来するものと推測される。平素はこの伝承は不確かなものにすぎないが、天候不順による飢饉や氏族間紛争によって社会的緊張が高まると、この伝承が思い起こされることになる。
予言は男たちの中から指導者が出現し「南に火を点すこと」で伝説の救済者たる資格を明らかにするという。このため氏族の危機に際し、男たちの救世主たらんと欲する者が出現する。彼は「火に挑む者」と呼ばれるが、ひとたびある男が「火に挑む者」として注目を集めると、たちまち氏族長の権威は失われる。戦士たちは氏族の枠を超えて結集し、家族と共に戦車や荷車を駆って南方への遠征を開始する。戦士たちは投槍や弓・投縄を使用し、目的地に入ると荷車で円陣を組んでキャンプを固め、周辺地域を掠奪する。
「火に挑む者」はオバダイ族の危機の際に、無力な指導者を入れ替え富の再配分を促す、一種の非常装置と言えるだろう。しかし救世主候補者に率いられた遠征は、しばしば彼ら自身にとって不幸な結果を招く。「南に火を点す」という言葉の意味が明らかになるか、「火に挑む者」が倒れるまで掠奪遠征は続くが、予言の意味が明らかにされたことは一度も無かったのである。彼らの悲劇的な挑戦の繰り返しの裏には、彼ら自身が記憶から追放した過去、かつてデュラに服属した時代の傷が隠されているのかもしれない。
ラー族
祖霊ラーラーの降霊を行う巫女
民族
ナーハンの西北からラムザス草原南方にかけての平原部一帯に居住する農耕民。
身体的特徴は中肉中背、小麦色の肌を持ち髪は黒または暗褐色。ラムザス民族に近いがその言語はかなり異なっている。
ラー族の起源は定かでない。伝承によれば彼らの祖先は北方に住んでいたが、ラーラーの言いつけに従い「大いなる闇の道」を抜けて平原にやって来たと言う。おそらく統一王朝の頃にはグルラムス山脈近辺の高地に居住していたが、大戦により定住地を失って流浪し、様々な難民を吸収した末に現在の平原に定着したと推測される。
ラー族の名は、彼らの崇拝する精霊ラーラーの名を起源とする。ラーラーは彼らを生み出した祖霊で、様々な精霊との間を取り持つとされる。
経済と文化
ラー族は叢林の点在する、地味の痩せた乾燥性の平原に居住する。彼らはカラスムギ、アワ、ヒエなどの雑穀を中心に、豆類や根菜を交えた焼畑農業を行う。彼らの農具は簡素なものだが、様々な作物を組み合わせ年間を通じて収穫を得ている。
ラー族は囲壁をめぐらせ、内部の狭く入り組んだ集落に居住する。家屋や囲壁は草を混ぜた日干し煉瓦で建てられている。焼畑農業による連作障害のため、耕地や集落は長続きせず、一定期間で移動する。
ラーラーの祭祀は一家の長女が担う。長女は「オン」と呼ばれて家の祭壇を守る。各家のオンの最も重要な仕事は、甘露壷と呼ばれる素焼きの壷に貯まった朝露をラーラーに供えることである。
集落の中心に設けられた祠堂は、最年長のオンが巫女として管理し、各家のオンが交替で祠堂に供物を捧げる。オンのいない家や生理期間中の家は、集落の寄合いに参加することができないとされている。
スィーラに対する信仰は極めて希薄である。祠堂にはスィーラも申し訳ていどに祭られているが、供物や祈りを捧げることはほとんどない。彼らはスィーラをラーラーに従属するものであるかのように考えている。このようなスィーラに対する無関心は、ユルセルーム世界でも極めて特異と言えるだろう。
ラー族は祖霊のお告げで定められた、極めて多くの禁忌を持つ。集落や家族ごとに特定の動作をしない、特定の日に外出しない、特定の食物を食べない、など様々な禁忌がある。禁忌を破った場合の罰も、魔除けの所作から追放まで様々なものがある。
またある種の禁忌を共有する結社が、複数の集落にまたがる広い範囲で形成され、ラー族の成人男子はいずれかの結社に加入している。さらに禁忌の複合から新たな禁忌が生み出され複合することがある。このような十重二十重の複雑な禁忌(部外者にとってはほとんど支離滅裂で「見えない迷宮」と表現した者もいる)が生み出されたのは、多品種小収穫の農耕形態に起因するのかもしれない。
社会
ラー族は家長である成人男性と兄弟、ならびにその家族からなる大家族を単位とし、この大家族がいくつも集まって集落をなす。典型的な集落は人口二百人内外である。
各家の竈の上には彩色された仮面がかけられている。この仮面はラーラーが宿るとされ、先祖代々伝えられる家のシンボルであり、住居や集落を移動する際には、他の家財は置き捨ててもこの面だけは運ぶ。「お前の面を割る」という言葉は、ラー族にとって最大の呪詛とされている。
部族全体を統一する首長はおらず、ラーラーへの崇拝儀礼を共有することで集落が緩やかにまとまっている。北方の集落はラムザスの首長、西方の集落はナーハンの諸侯に貢納することもあるが、一時的なもので永続的に従属する例はない。どのみちさしたる産物に乏しいラー族の地に興味が払われることはあまりない。
種蒔きや収穫など農事の節目や、集落全体に関わる問題(見知らぬ旅人を迎え入れるか、など)の際には、巫女による託宣が行われる。巫女はオンたちの詠唱する祝詞(その正確な意味はオンだけの秘伝とされる)に合わせて輪舞し、トランス状態に入るとラーラーからの託宣を得る。オンたちはこのような祝詞の他、まじないや儀式魔法、集落の禁忌についての知識を代々継承する。
ラー族の社会は表面上、家父長制社会に見える。しかし男性たちは(あるいは男性ほど)複雑な祭儀と禁忌の網に縛りつけられている。複雑に絡み合った禁忌に整合性をつけ、新たな事態に合わせて禁忌を読み解くのはラーの託宣であり、オンによる託宣の解釈である。ラー族社会を支配しているのは、オンたちの秘密結社なのかもしれない。
ウツーネ族
狩を行うウツーネ族の猟師
民族
リラーの針葉樹林地帯に棲息する狩猟民族。体つきは小柄でがっしりしており、黒髪で赤みがかった色白の肌を持つ。身体的には氷人に類似し、その言葉もゲリオン語からの派生とみられる。しかし広大な地域に分散して居住するため方言が非常に多く、氏族が異なれば会話に支障をきたすことも多い。このため氏族には「話す人」と呼ばれる一種の通訳が存在するが、手ぶりや木石を利用した信号で意志疎通を行うことも多い。
経済と文化
ウツーネ族は広大な針葉樹林帯の中で自給自足の狩猟採集生活を営む。彼らは黒曜石の石器を使用し、樹皮を剥いで作った円錐形の天幕を住居とする。狩猟は丸木や骨で作られた短弓や投槍、吹矢などの簡素な道具で行われるが、武器の先端には毒が塗られることもある。鹿・猪・狐・貂・毛長象・毛犀などを狩猟し、キノコや果樹、草などを採集して食料とする。
広大な森林の間を移動して生活するため、ウツーネ族は地勢や天体に非常に詳しい。彼らは子供の頃から星を見上げて育ち、木々の間から洩れる天の光をたよりに森林の間を移動する。ウツーネ族は星について多くの独特な伝承を持つが、最も尊ぶのは言うまでもなくハウクスである。彼らはハウクスを「天の瞳」と呼び、転変し続けるこの星の色と輝きを、行動の道標としている。
ウツーネ族は“猛き”ガルパニや“疾く過ぎる”ザリを信仰することが多い。また氏族ごとに“片牙の”クブツ、“銀牙帝”ガロード、“蒼空の”サーラといった動物霊を守護者として崇拝し、狩の獲物を必ず捧げる。氏族の崇拝対象ではなくとも、これらの存在には畏敬を払い、ことあるごとに拝礼を欠かさない。
ウツーネ族の信仰では“蒼い瞳の”フェンリュリライが特別の位置を占めている。北の空をオーロラが覆った時は、フェンリュリライの城が地上に降りた時と考えられ、その間はとりわけ身を慎む。後述する「星渡りの祭」でも、フェンリュリライは少なからぬ役割を果たしているようである。
ウツーネ族の間には「西の黒き人」と呼ばれる魔法使の伝承がある。「黒き人」は姿形を自在に変え、言葉で人を死にいたらしめる邪悪な呪術師とされ、非常に恐れられている。「黒き人」の正体はデュラから送り込まれた手先ではないかと推測されるが、このためウツーネ族は余所者を非常に警戒する。見知らぬ者を見つけると素早く身を隠す。また余所者との会話を警戒し、完全に信用するまでは言葉を用いようとしない。
社会
ウツーネ族は夫婦と子供の小家族を単位とし、広大な森林地帯の中を移動しながら狩猟採集生活を送る。数十の家族から氏族が形成されるが、広い地域に分散しているため、数家族以上がまとまって行動することは少ない。
リラー南部に住む氏族はラムザス人や商人とも交流があり、毛皮や鹿角を食料や鉄製品と交換する。この交易を通じてウツーネ族は金属器を調達するが、とりわけ鉄製の鏃や手斧は喜ばれる。商人たちが持ち帰る品の中には、大鰭獣(タウ)や大角鹿(エルウ)など、ツンドラや氷海に棲息する獣の毛皮もあり、ウツーネ族が極北の氷人とも交流があることを推測させる。
また東方の氏族の中には、エルダの妖精と交流するものがいるらしく、魔法の力を帯びた装身具を持っている者もいる。彼らの中の「森と話す人」は、エルダにいたる秘密の道を知っていると言われる。
ウツーネ族は年に一度、氏族の聖地に集合し祭礼を行う。この聖地には氏族の守護者を模ったトーテムが立てられている。氏族はトーテムの回りを周り、水を注いでトーテムを清める。それから全員で毛長象や毛犀などの大型獣を狩り、トーテムに供物を捧げて宴会を開く。宴は数日間続き、この時に成人の儀式や婚姻が執り行われる。
ウツーネ族の特別な祝祭に「星渡りの祭」がある。これは占い師の伝承にもとづき、ハウクスがある色と光の遷移を見せた時に行われる。従って間隔は一定しないが、数十年から百数十年に一度という非常に希なものである。
占い師の観測した予兆から40日後、占いに定められた場所に部族全体が集合する。彼らはそこにある木の枝を払い、一本の柱とする。そして祭儀を行った後、氏族の若者たちが柱を登る。若者たちが登るに連れ、柱の回りには小さな無数の光が集まり、ゆっくり回天しながら虹色の光の渦に変じ、北の空へと登っていく。この時、柱の上端にいる者は、光の渦に乗って天空に渡っていくという。
星空を渡る若者たちが何処に行くのかは語られていない。一説には“蒼い瞳の”フェンリュリライの座す瑠璃の城だともされる。いずれにせよ、彼らはそこで試練を潜り抜けねばならない。失敗した者は永久に帰ることができないが、首尾よく成功すれば星のカケラをその手に得て柱の頂上に帰還する。彼は星のカケラを柱の上から地上に降り注ぎ、大地を祝福する。ウツーネ族によれば、「星渡りの祭」は彼らの最大の義務でありう、彼らはこうして地上を祝福するため、神々によって生み出されたのだといわれる。
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