[148] ありがとうございます。 投稿者:ゆ い 投稿日:2002/11/02(Sat) 12:52

 レスありがとうございました。なんとなく、社会科が好きになりそうです。HPの図書室自慢見ました。そんなたくさんの種類の本やマンガがあると、生徒の人も充実した時間を過ごせそうでうらやましいです。


[147] Re[146]: 社会が苦手 投稿者:コアラ 投稿日:2002/10/31(Thu) 22:23

ゆいさん。こんばんわ。

> 社会が好きになれる方法を教えて下さい。レス待ってます。

社会科を好きになる方法ですか。あまり得意でないと言うことは、良くわかっていないということで、社会科を嫌いだとかいうことではないです。きっと、なんとなくわかっているとか、なんとなく良くわかっていないだけで、授業で習ったでけで、そのままにしているのだと思います。
 解決策はただ一つ。毎日授業の復習と予習をすることです。
 今日やった授業の教科書のところを何度も読み返し、ノートも読み返してみる。授業でなんとなくわかっていたところが実は良くわかっていなかったことがわかったり、逆に「ああ、こういうことだったのか」と合点がいったりします。
 そのあと次の時間でやるところを教科書を何度か読み、できたら自分でノートにまとめます。これをやると授業はもう復習ですから、かなり良く理解できますよ。
 教科書って一度読んだだけではつまらないものですが、何度も読み返すと、結構奥が深いことが見えてくるのです。本を読むことがおっくうでなければ、この方法が一番です。
 社会科の授業のあった日だけで良いですから、続けてやってみてください。
 また少し余裕がでてきたら、歴史や地理の教科書やノートも読み返してノートを作り直してみると良いと思います。

 もしノートを作る時間的余裕がないのなら、毎日の授業のあとでノートと教科書を2度読み返し、そのあと次の授業でやるところを教科書を2度読んでみてください。毎日続けると、ぐっと理解度が深まり、授業も楽になり、だんだんわかるようになります。
 時間的には、復習に20分くらい。予習に15分くらいもあれば十分でしょう。
 好きになれるかどうかは、わかりませんが。

 この方法は、どの教科でも使えるものです。


[146] 社会が苦手 投稿者:ゆ い 投稿日:2002/10/31(Thu) 17:05

 こんにちは、はじめまして。私は社会が苦手な神奈川県在住の14歳の受験生です。もうすぐ高校受験があるというのに、どうしても社会が得意になれません。社会が好きになれる方法を教えて下さい。レス待ってます。


[145] Re[144]: 総合学習でさんすうを 投稿者:コアラ 投稿日:2002/10/16(Wed) 21:34

総合学習で算数。総合学習が設けられた目的もわからないままただ闇雲にやっているだけなら、ずっと工夫された算数の授業の方がいいですね。
 先日雑誌の座談会にでました。農山漁村文化協会の「食農教育」という雑誌で「総合学習でどんな力が育つのか」というテーマ。1月号に載るそうです。
 総合は教科を変える起爆剤だし、教科では捕らえきれないずっと大きな問題を学習する場。学習だから何をどんな教材で学習しこどもに何を獲得させるのかというカリキュラム形成が不可欠だけど、ほとんどなされていないということを出席した大学の教授が発言していました。また彼は教科できちんとしたカリキュラムをたて何を子どもに獲得させるかを明確に意識して教科の授業をやってきた人にしか、総合学習は推進できないとも言ってました。僕もまったく同感です。
 移動教室ですか。行ってらっしゃい。
 僕の方は26日の文化祭の準備でおおわらわです。


[144] 総合学習でさんすうを 投稿者:ののはな 投稿日:2002/10/15(Tue) 02:01

秋の教研がありました。
なにかしゃべれということで、1時間もらったのですが、欲張りになりました。
ちなみにわたしのテーマ「総合的学習で、楽しく分かるさんすうを!」でした。
近いうちにレジメ載せますので、コメント下さいね。
コアラさんってものすごくよく勉強なさってますよね。
わたしはどうも連想型のまとまりのない頭を持っているので一苦労です。
移動教室から帰ったらまた来ます

http://www03.u-page.so-net.ne.jp/sc4/shizune/


[143] 出会い 投稿者:コアラ 投稿日:2002/08/18(Sun) 22:42

 生きていくとき、出会いってあるんですね。あとから振りかえってみると、ほんとにたくさんの人との出会いで、今の自分は支えられている。同僚や保護者の人や生徒たち・・・・。いえいえ、地域の人たちや、いろんな場でも人との出会い。
 インターネットは、この出会いの場をぐんと広げてくれました。

 ののはなさん。お会いできてよかったです。


[142] お話ありがとう! 投稿者:ののはな 投稿日:2002/08/18(Sun) 21:24

こんばんは!
 先日はたくさん時間をありがとうございました!
 すてきな花の写真とほんとうにコアラのように穏やかなコアラさんと
 いっぱいおしゃべりができてよかったです。
 自由が丘に降りたのもはじめてでした。
 学芸大前止まりでした。
 贅沢に人生をすごしていらしゃるなってうらやましく思いましたが
 本当はそんな風に生きる生き方もあったんですね、って。
 
 強制人事がないってすごいことですね。
 職場の人間関係が大切ですよね。
 昔は東京も10年以上の人たちがたくさんいて、
 わたしには長老のように思えていましたが、
 地域のこと、生徒の親や兄弟のこと、いろんなこと知っている人がいることは安心でした。
 今は、みんな昨日や今日この地域に来ましたって感じで
 
 コアラさんの穏和さが生きる職場なんだなって
 ほんとうにうらやましい。
 ま、うらやんでばかりいても仕方ありませんね。

 わたしひょっとするとあと1年いられるかもしれない。
 同僚が「あなた病休取ったのだから、10年になっていないのでは?」って。
 教材をひとつずつ処分していたわたしの手が止まりました。
 組合に聞いてみよっと!

 新しいところで何かできるかもという幻想をもつよりは
 今のところでできることをやる方が実りあるかも。

 総合学習の取り組みを聞いているうちに、うちの学校も川に近いのだったって。
 そうできることはなにか探さなければ。
 江戸川の河川敷にも新八水路ってあるんです。
 以前、農産高校の先生たちでそこに住む生き物を調査したのですが
 いっぱいいたんですよ。
 環境課の職員の人に相談すればいいアイデアが生まれるかもしれませんね。
 いろんな可能性の目ざめさせてもらってありがとう。

 思いこんであきらめていてはだめですね。
 とりあえずお礼まで。
 

http://www03.u-page.so-net.ne.jp/sc4/shizune/


[141] Re[140]: おかしいよ! 投稿者:コアラ 投稿日:2002/07/21(Sun) 12:09

 ののはなさん。おひさしぶり。やっと1学期終わりましたね。

> 納め会で、教頭が「明日から夏休み、リフレッシュしてください」
> って言ったとたんに、すごいぶ〜いんぐ!
> そちらはどうなんでしょうね。

 川崎は組合と教育委員会とが馴れ合っているから、東京のような対立関係がありません。むしろ組合のほうが遅れていて、昔から各個人の自立的取り組みをつぶすために組合があったくらいで、今のような激変の時代となると、市教委の方が対応がすばやく進んでいて、組合は旧態以前で、組合の教研など参加したくないという状況です。
 私の職場のように、教委で教育改革を推進してきた人やそれに批判的な立場で組合の反対派として動いてきた人が混在する職場では、文部科学省や教委が推進する教育改革の功罪を、比較的自由な立場で論ずることができます(市全体ではないですよ)。

> 学校って特殊な世界、教員って井の中の蛙って言われるけれど
> 人ってみんなそれぞれの世界でそうなっているのではないかしら。

 そうです。地域によってまったく状況は違います。この意味で教職員組合も地域主義になっていて、日教組って単なる連合組織につぎないことが良くわかります(全教も?)。
>
> そうそう前回のコアラさんの質問に答えなければね。
> 6月教研って言ってます。区では、8月にも教研をやりますよ。
> 他には、毎月第1土曜日には学習会を開いています。
>
> こうした組合の教研の対して、勤務時間内にやることを認めないって
> 言い出している地教委がいるのです。
> 夏休み中の組合の合宿を研修と認めないとか言っている地教委もあるんです。
>
> 昨日の朝日新聞に「先生も家で休んじゃダメ−文科省、研修厳格化念押し」ってありましたが
> 問題は、官制研修以外を研修と認めないってことです。
> 組合の研修は認められないって言うのは??
> これってなんですか?
> 若い頃、授業がうまくいかなくて勉強したくてたまらないときがありました。
> 区の主催する研究会にいってもみんなごますりばかりしていて
> 本当の批評はしない。
> これでは勉強にならないと、「自主研」を始めた。
> でも、これを研修と認められないって休暇で参加させられた。
> それでももっともっとうまく授業がやりたかったから、いろんな所へ行った。
> 組合に入ったのもそこでの研究会に参加したかったから。
> で、組合の教研で公開授業をやることになった。
> 2進法のそろばんを作って授業をやる予定で、組合新聞にも載った。
> なのに校長に「生徒は貸せない」と公開授業は没になった。
> あの日の怒り、何十年たっても忘れない。
>
> 今回の教科書では、数教協の取り組みがずいぶんと取り入れられている。
> 何十年ものあいだ、多くの教師たちの実践と研究の積み重ねがあって
> 今がある。
> なのに、どうして民間の研究を認めないというおかしなことになるの?


 しかしすごいですね。組合が積極的にあるべき学校を目指して研鑚を積んできたのだから。しかし組合や民間教育団体が積み上げてきたことを文部科学省も取り入れざるをえなかったのだから、いまこそ協力してあるべき学校像を共通認識のもとにつくりあげ、学校を改造すべきときなのに、対立するってことが不思議。
 ようするに行政は組合が自立することを嫌っているだけ。だから本当に行政も子供の方を向いていないということがこれで証明される。

> 基本法について一言。
> 2001.11.26に出された中央教育審議会の「教育振興基本計画」のなかで
> 「平和」「個人の価値」「自立的精神」が削除されているのです。
> これってなにを意味するのでしょう?

 教育の「構造改革」もまた「守旧派」が勝利をおさめつつあるということでしょう。この三つの概念こそ21世紀に求められることなのに、21世紀への国際戦略のない日本は、旧来の構造を温存したままただ国粋主義という偏狭な民族主義に、それもアメリカに追随した民族主義へと走っていくということなのでしょう。
 この3つの旗印への転換は70年代初頭の中教審答申でも出され、日本が変わっていくべき目標として設定されていました。失われた30年。教育の分野でもまた、根本的変革は官僚や政治家にはできないということが明らかになりつつあるのだと思います。
 現状が本当におかしいとおもい、変えねばと思っている人々が共同して、どう変えるのか、どこへ向けて変えるのかということを、目標とプロセスとを作り上げていく作業を早急にしないと、日本という社会と国とは、音を立てて崩れていきそうな気がします。


[140] おかしいよ! 投稿者:ののはな 投稿日:2002/07/20(Sat) 23:13

こんばんは!
1学期終わりましたね。
納め会で、教頭が「明日から夏休み、リフレッシュしてください」
って言ったとたんに、すごいぶ〜いんぐ!


そちらはどうなんでしょうね。
学校って特殊な世界、教員って井の中の蛙って言われるけれど
人ってみんなそれぞれの世界でそうなっているのではないかしら。

そうそう前回のコアラさんの質問に答えなければね。
6月教研って言ってます。区では、8月にも教研をやりますよ。
他には、毎月第1土曜日には学習会を開いています。

こうした組合の教研の対して、勤務時間内にやることを認めないって
言い出している地教委がいるのです。
夏休み中の組合の合宿を研修と認めないとか言っている地教委もあるんです。

昨日の朝日新聞に「先生も家で休んじゃダメ−文科省、研修厳格化念押し」ってありましたが
問題は、官制研修以外を研修と認めないってことです。
組合の研修は認められないって言うのは??
これってなんですか?

若い頃、授業がうまくいかなくて勉強したくてたまらないときがありました。
区の主催する研究会にいってもみんなごますりばかりしていて
本当の批評はしない。
これでは勉強にならないと、「自主研」を始めた。
でも、これを研修と認められないって休暇で参加させられた。
それでももっともっとうまく授業がやりたかったから、いろんな所へ行った。
組合に入ったのもそこでの研究会に参加したかったから。
で、組合の教研で公開授業をやることになった。
2進法のそろばんを作って授業をやる予定で、組合新聞にも載った。
なのに校長に「生徒は貸せない」と公開授業は没になった。
あの日の怒り、何十年たっても忘れない。

今回の教科書では、数教協の取り組みがずいぶんと取り入れられている。
何十年ものあいだ、多くの教師たちの実践と研究の積み重ねがあって
今がある。
なのに、どうして民間の研究を認めないというおかしなことになるの?

基本法について一言。
2001.11.26に出された中央教育審議会の「教育振興基本計画」のなかで
「平和」「個人の価値」「自立的精神」が削除されているのです。
これってなにを意味するのでしょう?

http://www03.u-page.so-net.ne.jp/sc4/shizune/


[139] 更新しました 投稿者:木島平村いじめ裁判原告 投稿日:2002/07/16(Tue) 12:11

イジメ hp 更新しました。是非,ご覧下さい

http://www7.plala.or.jp/kijimadairaijime/i


[138] ちょっと質問 投稿者:コアラ 投稿日:2002/06/12(Wed) 23:21

 こんばんわ。ののはなさん。東京では6月にも教研をやるのですか。川崎では10月です。
 教育基本法の学習会。政府がこれを改悪しようとしているからですか?。この問題を考えるとき、この法律の考え方のどこまでが実現できていて、どこは実現できていないか?、または、この法律の考え方のどこまでが正しくどこまでは間違っているのか?。戦後の教育は、本当にこの基本法の考え方にのっとって行われてきたのか?。ということをきちんと検証すべきですね。簡単に言ってしまうと教育基本法は守るべき法律なのかということ。これの全てを無条件に守るべきものとしてしまうと、今の基本法改悪の動きの意味すら見えなくなります。
 基本法を根本的に見直すこと。これこそ攻撃の第一歩だと思います。

>「東京ではやっているから」ということで同じ方式が私立や他県で安易に実践され・・・
ってどんなことですか?。

>差別の拡大と固定化にないか役立てないか・・・
どう言う意味でしょう?。


[137] 石原・横山体制? 投稿者:ののはな 投稿日:2002/06/12(Wed) 22:39

こんばんは!
今日は6月教研。教育基本法の学習会でした。
講師から、教員に対して「なにがしたいのか?」という問いかけがあり、教師は絶句。
今、東京の教師は自分の人間性を剥奪され、
いったい自分がなにをどうしたいのかが見えなくなっているのかもしれませんね。
その東京の教育が検証もされないまま「東京都ではやっているから」ということで
同じ方式が私立や他府県でも安易に実践されてようとしているようです。
首都圏の教師として「敗者」になれきった諦めではいけないと思いました。
サッカーではありませんが「最大の守備は攻撃にあります」。
守りにはいるとしても何を守るべきか、今はそれさえもわからなくなっているのではないでしょうか?
わたしは、差別の拡大と固定化になにか役立てないかと、それのみを考えています。

http://www03.u-page.so-net.ne.jp/sc4/shizune/


[136] 忙しいが充実した毎日 投稿者:コアラ 投稿日:2002/05/31(Fri) 23:06

ののはなさん。こんばんわ。毎日見に来ていただいてたのですか。僕のほうは、ののはなさんのサイトに毎日いっていましたよ。すれ違いみたいですね。
 「跳べカッパ」読んでいただけましたか。5年も前の作品ですが、先日図書室に置いておいたものを読んでくれた生徒がいて、「気楽に読み進めていたら一気に読めてしまって、なんだかワクワクドキドキしたままです」という、うれしい感想を寄せてくれました。彼女は中1.今小説の執筆中。
 小説といえば、僕の学校の図書室では毎日数人の生徒が小説を執筆中。今年の文化祭では、小説コンクールがにぎやかになりそうです(僕も書きかけの小説がいくつもあるのですが)。小説を書いている生徒の半分は図書委員なので、放課後が毎日最終下校まで確実に、図書室はあいています。
 今は、修学旅行と合唱コンクールと総合の校外学習を同時進行で準備中。修学旅行は6月14・15・16。合唱コンクールは6月21日。校外学習は6月4日。毎日5から6時間の授業のあと、掃除をしてから、40分間は合唱の練習。そのあと30分間は修学旅行の班別行動の計画と校外学習の準備。そうそう毎日8時からは合唱の朝練習もありました。修学旅行は、クラスに関係なく好きにつくった3から4人の班でいきます。
 生徒たちはもうくたくたのようですが、楽しく張り切っています。
 そうそう。昨日の職員会議で10月26日の文化祭の実施要綱が決まり、準備開始。3学年は、今日の学年会で文化祭方針を決定。それから来週には、9月14日に実施する体育祭の応援ブロック抽選会もやるそうです。
 行事は目白押し。内容を少し縮小するとともに、長期にわたって計画的に準備していくことが大事ですね。そうすれば質は下がりません。・・・でもやはり忙しい。楽しい毎日ですが。


[135] いずこも同じ悩み、されど 投稿者:ののはな 投稿日:2002/05/31(Fri) 22:18

コアラさん!
こちらにここ数日、訪問しています。
「跳べカッパ」も楽しく読ませていただいています。
こんなお話が作れるなんて、おもしろい人だなって思います。
経歴からはとってもこだわりがありそうに思えて、それでいてひょうひょうと。
かとおもいきや、とってもまじめな先生で。
とてもおもしろい方なんだろうなって。
それにしても、いろんな教科を教えてこられたのですね。
感心したり驚いたりで。
数学しか指導した経験のないわたしには。はあ。
だから総合学習などにもすっと入っていけたのでしょうね。

ところで、たしかに学校へ行く日が減って
6時間授業が増えて学校はしんどいですね。
コアラさんが提案されているように、行事は軽くすべきでしょうね。
量を減らしても質を減らさないという方法を考えたらどうでしょうか。

うちの学校今、運動会直前!
今週から運動会特別時間割を組みました。
(授業時間確保のため学活、道徳、選択をカット)
来週月が予行、火が準備、水が本番。
その間に、全体練習が3回、学年練習が2回、
毎日1時間から1時間半の応援練習、団体種目練習。
4時半に生徒下校、部活動という日々。

運動会の練習量はこれまでの3分の2以下になりました。
しかし生徒はそれなりに充実感を味わっているようです。
生徒のなかには、しらけている子もいますが、燃えている子もいる。
まあ、いろんな出番があっていいいのでしょうね。
授業中いつもいらいらしていた子がはつらつとしているのを見るのはうれしいです。

身体が少し回復したわたしは去年ほどしんどくありません。
まあ、生徒の青春の日々を一緒に楽しませてもらっている
という心構えになったせいでしょうか。

時代は「量から質への転換」を求めているのでしょうと。

最近少し前向きにと考えるようになってきました。
やはりこうした考えになるには、健康が大切だなとつくづく思います。

コアラさんはずいぶん精力的にいろんなことをやっておられるようですね。
どうぞ健康にはくれぐれもご注意なさってくださいね。

こちらの図書室にもハーブを植えました。
窓辺に置いたラベンダー、レース越しの風がいい香りを運んでくれています。

http://www03.u-page.so-net.ne.jp/sc4/shizune/


[134] 何故 世の中がこんなに荒れてきたのだろう!? 投稿者:yononaka 投稿日:2002/05/28(Tue) 20:08

創刊号「世の中を良くしたい」80万部無料プレゼント中!!
このまま続けば10年後サミット離脱(経済・農生産業の空洞化)20年後 国(治安・少子化)の体もなさない。
世の中を良くしたい。役立ちたい。という理念で一個人が月刊誌を発刊したいのです。関心ある方々に読んで頂きたく無料で差し上げたいのです。詳しくはHPhttp://yononaka.jp
特に教育問題を取り上げています。 ご協力下さい。創刊号を見れば営利でない事がわかります。

http://yononaka.jp


[133] 木島平村立中学校いじめ訴訟 投稿者:kouki 投稿日:2002/04/06(Sat) 11:41

このたび、長野県木島平村立中学校でおきたいじめ訴訟についての
ホームページを開設致しました。訴訟を起こしてから、度重なる
嫌がらせや脅し、恐喝を受けており自分の身が危険にさらされております。
多くの皆様に実際にあったイジメを知って頂きたいと思います。
掲示板を設置しましたので皆様のご意見・ご感想をお待ちしております。
リンクはフリーです。

http://www7.plala.or.jp/kijimadairaijime/


[132] う? 投稿者:コアラ 投稿日:2002/03/14(Thu) 23:08

 みぃさん。溝○○?。もしかして溝呂木さん?。たしか材木屋さんの。
カンダムのページのどこに写真載ってました?。
 もしかして「分類」係の写真かな。

 是非お会いしたいな。待ってます。


[131] (無題) 投稿者:みぃ 投稿日:2002/03/14(Thu) 00:23

あんまり目立ってなかったけど・・・
名前書いちゃってもいいかな?もう名前変っちゃたけど・・・
溝○○です・・・わかるかな?(^-^;

今は結婚してて2歳になる子供もいます♪

今度子供連れて遊びに行きます♪


[130] 少し思い出した・・ 投稿者:コアラ 投稿日:2002/03/13(Wed) 22:41

> あっ!!
> 今、自己紹介見てきたけど・・・ザビって・・・
> 授業教えてもらった気する・・・
>
> ってか文化祭で西中の歴史調べてた時・・・
> 図書室で結構話したような・・・
>
 
 うん。話しただろうね。授業は1年の時から3年間、学年は全部受け持っていたもの。そして君が3年の時に始めて担任をはずれて図書館担当になったから、文化祭準備の時はいつも図書館にいたんんじゃあないかな。
 西中40年のグループか?。だれがいたっけな?。


[129] (無題) 投稿者:みぃ 投稿日:2002/03/13(Wed) 00:48

あっ!!
今、自己紹介見てきたけど・・・ザビって・・・
授業教えてもらった気する・・・

ってか文化祭で西中の歴史調べてた時・・・
図書室で結構話したような・・・

違うかな?!

違ったらごめんなさい(=∇=;|||)


[128] こんばんわ♪ 投稿者:みぃ 投稿日:2002/03/13(Wed) 00:41

知ってるとゆうか制作にかかわってました♪

だからみんなの懐かしい写真とか見れて
一人で○○じゃ〜んって笑って見てました(笑)
自分の写真も出てたけど(Ψ▽Ψ*)イヤン♪

カンダムを解体したあとの缶つぶし・・・
微妙に楽しかった(笑)


[127] (無題) 投稿者:愛知県民 投稿日:2002/03/10(Sun) 00:24

さほどレベルの高くない高校で、過去5年の進学実績を見ました。

首都圏上位私立大学への合格はけっこういます。
しかし、愛知県内の国公立大学へは、たとえ一般入試でも内申4.5以上を除き、合格した人はいませんでした。
この高校で内申4.5以下でも、学力の上だけでは県内の国公立大学にはいれる生徒がけっこういます。

また、地域2番手のT橋東高校は、学校のレベルからすれば東大合格者がでて当然ですが、過去5年ほど1名も合格していません。

ここのことから分かるように、高校のレベルで国公立大学への足切が闇で行われているということです。

このような事態は否定できません。


[126] Re[125]: はじめまして♪ 投稿者:コアラ 投稿日:2002/03/06(Wed) 23:21

> こんばんわっ♪西高津中の卒業生です♪
> カンダムや壁画・・・懐かしかったぁ(笑)
> ちなみにみぃは文化祭で西中の40年の歴史を調べてました♪
> 久しぶりに学校に行ってみようかな♪

カンダムや壁画を知ってるということは、卒業して6年か7年ですね。
いつでもいらっしゃい。明後日は卒業式で忙しいけど。


[125] はじめまして♪ 投稿者:みぃ 投稿日:2002/03/06(Wed) 22:47

こんばんわっ♪西高津中の卒業生です♪
カンダムや壁画・・・懐かしかったぁ(笑)
ちなみにみぃは文化祭で西中の40年の歴史を調べてました♪
久しぶりに学校に行ってみようかな♪

偶然だけど・・・懐かしいものが見れました♪

よかったよかった(笑)


[124] いじめをなくすには? 投稿者:コアラ 投稿日:2002/02/13(Wed) 23:12

 竹中さん。こんばんわ。「校内放送でいじめっ子を呼び出しておこる」のですか?。それでいじめはなくなるのでしょうか?。疑問です。
 僕が担任をしていていじめがなくなった例を3つ。
 一つ目は僕はなにも出来なかった。親が気づいて本人になぐりかえせ。それでけがさせられたら告訴してやると。実際そうなりました。その家にいじめた連中全員と親全員、そして担任が呼ばれ、これで辞めなければ全員告訴すると言われました。これで完全になくなりました。
 二つ目。この時はいじめた生徒たちをカウンセリングしました。何度も何度も。やって見てわかったこと。いじめてる側も心に大きなきずがあるということ。そこを見つめる事が出来たとき、いじめはなくなりました。
 三つ目。クラス編制の時、いじめられてきた経験のある人を10人以上同じクラスにしました。そしていじめっ子の中心をそこに一人だけ入れ、あとは同調しない生徒だけでクラスを組みました。いじめっ子は一人小さくなっていました。
 いじめをなくすにはいろんな方法があるとは思います。


[123] Re[121]: 参考にしていただければ幸いです。 投稿者:コアラ 投稿日:2002/02/13(Wed) 23:02

中園さん。あなたのホームページを読みました。小説も一部ですが読んでみました。はっとさせられる部分が多かったので、さっそく本屋に注文をだしました。明日届くそうです。じっくり読みます。そのあと図書室に置いてみたいと思います。


[122] 教師について 投稿者:竹中かずき 投稿日:2002/02/13(Wed) 22:33

やっぱりいじめを止められない教師にも問題があるとおもいますそりゃあ本人がいじめられてるんだけど、ぼくの学校の野球部の顧問の体育の先生は校内放送で怒って、いじめっ子とよばれる部類の人を呼びだしたりしていました。やっぱしそれぐらいの教師がいないと変わらないとおもいます。それぐらい度胸がない教師は解雇でもできるような制度をつくってもいいとおもいます。前の社会の先生なんか授業わからないしちょっとしたことで口出してきて、不良にははっきりいわず、まじめな人には無意味に怒って、はっきりいっていじめゼロの社会には必要のない人間だとおもいます。もうすこし教師も勉強だけじゃなくて考えるべきです。いや考えてください。


[121] 参考にしていただければ幸いです。 投稿者:中園直樹 投稿日:2002/02/10(Sun) 13:23

 私は小三から大学二年までいじめられ続けた元自殺未遂者です。
 このたび、その経験を元に書いた小説「オルゴール」(文芸社)¥800(+税)が出版されました。
 この小説はネット外では200人以上の高校生大学生、不良、真面目、シラケなどのタイプに関係なく感動してくれている小説です。また、ネットを含めますと中学生二人、高校生二人、大学生二人が感動して泣いてくださっている小説です。

 私のHP「詩と小説の小箱」の方に、出版一歩手前の物がアップされています。読んで、いいと思ったら、図書室に置いていただければ、また、教材として使っていただければと思います。

 そして、いつかこのような小説が必要なくなることを心から願います。

http://www11.u-page.so-net.ne.jp/tk9/yu-ri/


[120] 統廃合 投稿者:田中 投稿日:2002/02/03(Sun) 07:59


第二次計画で何校かの学校が統廃合の発表がされています。
統廃合の学校はそれなりに社会のニーズに合わなくなり21世紀型に
切り替えを図ることはいいことだと思います。
しかし、発表をされた学校は第二次計画が平成11年に発表されているのに
学校の方は平成17年まで存在するというのはどうでしょうか?
東武練馬の駅から通うK高校などは新カリキュラムに該当する生徒は
1世代だけで学校は廃校となるため教師にも無力感が蔓延しています。
あれでは教師の心もすさんでしまいよい教育はできないでしょう。
また、生徒の立場からも将来無くなってしまう学校に入学する気持ちって
どんななんでしょう。
教師も生徒にも人間の心があるのでしたら統廃合の発表がありながら
4,5年も残していないで1年でも早く募集停止にして
新しい学校をスタートさせるべきです。
今後は統廃合の発表があった年で募集停止として、第二次計画の
統廃合校も前倒しして募集停止にすべきです。
人間が気の毒ですよ。


[119] いじめの手口 投稿者:rss 投稿日:2001/12/05(Wed) 23:42

 一日24時間,一年365日,他人の陰口悪口を言い続けている人は多い。
 そういう人は,神から与えられた貴重な時間を浪費しているだけでなく,加害行為をしている。
 一般人の認識としては,悪口というのは,暴力と違って違法ではないとしている。
 しかし,そうだろうか?
 あなたは他人に何を言われても平気か?
 たとえそんなことをいう人間が,どれほど下品で,馬鹿で,どうしようもない人間のくずだとしても,自分の人権を侵害されれば,戦うしかない。
 実はこの手法は,暴力団がよく使う手口で,カモにしたい奴を故意に怒らせるような発言で侮辱し相手が怒ったら,逆にそれをネタに脅迫するのだ。
 相手にしないことが最善の方法だとしても,しつこく挑発行為をしてくるのだ。
 それははじめから怒らせるのが目的だからである。


[118] Re[117]: 日本の学生だけが反政府デモを行わない理由 投稿者:コアラ 投稿日:2001/10/24(Wed) 22:32

> 日本の学生だけが反政府デモを行わない理由を知っていますか?文部省が国家に歯向かわない
> 初めから”あきらめる”子供を大量に作り出したからです。続きは僕のページをみてくださいね

ホームページを読みました。でもあまりに表面的な見方です。国家が羊のような国民を育てようとすることは今も昔もかわりません。1970年代以前の日本国家だってやってきたのです。
 ではなぜ今の学生が反政府デモを行わないか。これって日本だけの現象ではないでしょ。先進国と呼ばれる国ではとても弱いです。理由は簡単。政府に歯向かうイデオロギーが解体してしまったからですよ。
 そして日本だけの理由。それは政党の崩壊。国家の政策にまっこうから歯向かう政党がないから、国民の先端を行く学生も、何をどう動いて良いのやら指針がないのです。
 どんな学生運動もそれを主導するイデオロギーとその運動を組織する政党がなくしてはありえません。


[117] 日本の学生だけが反政府デモを行わない理由 投稿者:坂本豊 投稿日:2001/10/19(Fri) 00:50

日本の学生だけが反政府デモを行わない理由を知っていますか?文部省が国家に歯向かわない
初めから”あきらめる”子供を大量に作り出したからです。続きは僕のページをみてくださいね

http://www5d.biglobe.ne.jp/~jsy/


[116] 総合的な学習の時間の動き 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2001/10/06(Sat) 07:20

1 実施に当たっては教科の授業と違って35時間を必ず実施すること。
 教科の指導は35時間を標準とするので埋め合わせはしなくて構わない。
 埋め合わせの工夫として入学式後のオリエンテーションなどに2時間程度組み入れる、 通称試験休み期間などに1日組むなど。1日の組み入れは8時間と扱われる。

2 課題研究を総合的な学習の時間に置き換える学校の評価は数値評定とコメントによる 評価の両方を付ける。

3 評価を付ける上で数値のデータを使うのは構わないが生徒に示してはいけない。
生徒の自己評価を組み上げる評価法を工夫する。

4 指導要領には書かれていないが地域、PTA,保護者などの参画を計画することが
 望ましい。 

5 大学は入試の書類選考、推薦等に於いて「総合的な学習の時間」の作品、評価等を
 重視する模様。


[115] Re[114]: はじめまして 投稿者:コアラ 投稿日:2001/10/01(Mon) 23:00

kikutaさん。こんばんわ。写真が表示されないとのこと。一部資料をコピーして載せたさいにファイルの容量が大きすぎたものがあって、表示までに時間がかかるようです。ごめんなさい。


[114] はじめまして 投稿者:kikuta 投稿日:2001/10/01(Mon) 18:21

文化祭関係のサイトを探していて、こちらにおじゃまさせていただきました。
空き缶ガンダムなど、素晴らしい実践があるようなのですが、写真が表示されません。こちらの問題かもしれませんが、残念です。
また見に来ます。


[113] Re[112]: 政治の動きが見える時代 投稿者:コアラ 投稿日:2001/08/26(Sun) 21:41

shizuneさん。歴史教科書批判を読んでいただきありがとうございます。
なかなか現代史に到達しませんが、古代史の歴史捏造や古代史の捉え方の中に現代史を見る視点が隠されていると感じていますので、当面ここを丁寧に批判して行きます。そしてこの古代史の研究の歪みがこのような右翼的教科書の出現を許している1つの基盤だと考えますので、今の多くの教科書や日本古代史学会の定説も批判の対象にしています。これを終えればわりと楽に近代史・現代史に行けると思います(年内には終えたいが・・・)

>
> とにかく、日本図書でしたか、これの採択を押さえるのが目的で
> 事実ではない、極右の教科書を出してきたのでしょうか?
> それとも、帝国書院を次点で押すのがねらい?

 「日本書籍」ですね。共産党系の学者たちが執筆した教科書。今までの教科書の中で、もっとも日本の侵略についてくわしく書いている教科書です。
 今回の採択では結果としてこの東日本で最もシェアの高かった日本書籍の教科書と、同じ傾向をもっていて西日本で最もシェアの高かった大阪書籍の教科書の採択数を大幅に減らす結果になりました。そして同時にこれらの教科書ほど侵略についてくわしく書かず、あたりさわりのない表現になっていた帝国書院と東京書籍のシェアを大幅に伸ばす結果になりました。(僕の採点では、この2つが最低の教科書だったのですが)
 これは新しい歴史教科書を作る会が狙ったことでもありますし、同時に教育現場の危機的状況をも映し出していると思います。つまり教育現場では侵略を詳しく教えるのは「自虐史観」とか「赤」とか攻撃されるのを恐れて、なるべくこれに触れたくないという傾向が強まったことはたしかだと思います。ということは現場の教師が歴史を学ぶ意義目的を踏まえ、今の歴史教科書のどこが優れどこが問題なのかを主体的に検討し採択したのではないと言う事を示しています。
 言いかえれば現場には「歴史教育観」も「歴史観」もないということ。教科書があるから教科だから教えているという人が多数を占めているということを意味しています。
 私の批判文にも書きましたが扶桑社の教科書は内容に嘘があったり捏造があったり、あまりに偏った考えがあったりして教科書としては不適格でありますが、「何のために歴史を学ぶのか」という問題意識と「世界の中の日本という位置付けで日本史を考えよう」という視点は強烈にあります。問題意識としては正しいと思いますが、叙述の方法と結論が間違っているのです。
 日本書籍はこの2つの点では最悪だと私は思います。そしてこの2つの観点で優れており、記述も比較的正確に書かれていたのが大阪書籍だと思います。
 つまり日本の侵略の事実を最も詳しく書いた教科書と、「歴史を学ぶ意義」を意識し、「世界史の中に日本史を位置付ける」試みをしている教科書の双方が落とされたということの中に、扶桑社の教科書を批判する力が現場にはないことが如実にあらわれているのだと思います。
 勝負は次の採択です。全面改定には4年あります。そのときまでに扶桑社の教科書を批判し、そして扶桑社の教科書が問題提起したことに、彼らとは違った方法と結論を持って対抗する人々をどう現場に作っていくか。このことが大事だと考えます。
 だから僕の総力をあげて扶桑社の教科書を批判しているのです。それを通じてそれと対抗できる歴史観・歴史教育観をつくるために。

 ところで「扶桑」社の「扶桑」とは、日本をさす別称だということは御存知でしたか?。


[112] 政治の動きが見える時代 投稿者:shizune 投稿日:2001/08/26(Sun) 00:40

コアラさん!
歴史がとっても苦手なshizuneですが、
今回の教科書問題、とっても政治的で、
若い方たちが「これはおかしいぞ!」と関心を寄せ、
世の中の右傾化に歯止めがかけられたらと思います。
今日,TVでの小泉総理の力の入った発言、なんだか「談話」ではなく「演説」
ヒットラーのあの激した口調を思い出しました。

さて、そうした状況で、コアラさんが
「新しい歴史教科書」その嘘の構造と歴史的位置:この教科書の出現から何を学ぶべきか!

にエネルギーを注がれていることうれしく思います。
楽しみに読んでいます。
早く、現代史に近づきますように。
といっても「トロイ」の話はとってもおもしろかった。

わたしは今、「失われた文明」
(これは江戸川図書館にあります。いつも借りられているのでネットで予約と思っている)
また、「土曜ミレニアムのギリシャ文明」、「NHKの4大文明」
などのビデオを探しています。
こうしたことってビデオは有力ですね。
勉強が嫌いだったわたしでも納得します。
どこかで借りられるところあったら教えてください。

とにかく、日本図書でしたか、これの採択を押さえるのが目的で
事実ではない、極右の教科書を出してきたのでしょうか?
それとも、帝国書院を次点で押すのがねらい?

shizune


[111] こんな企画があります 投稿者:BAKU 投稿日:2001/08/18(Sat) 22:17

第4回FUJINO国際アートシンポジウム オープニングプログラム
ハイブリッドパフォーマンス「子供の領分」公演のご案内

フィールドワークイン藤野2001主催、藤野芸術の家共催で、
ハイブリッドパフォーマンス「子供の領分」公演を開催いたします。
現代の中学生をとりまく様々な社会問題をテーマに、国際的に様々な舞台を手がけている林英樹氏の演出で現役中学生たちと各分野で活躍中のプロアーティストたちが共演します。演劇、音楽演奏、映像表現、ダンスパフォーマンス、ライブペインティングなどが絡まりあいながら、現代の中学生をとりまく環境を浮き彫りにした意欲的で刺激あふれる楽しい舞台作品です。
ぜひお誘いあわせのうえご来場ください。

●日時:9月1日(土)18時〜/2日(日)14時〜
●会場:藤野芸術の家クリエーションホール
●料金: 大人2000円 高校生以下1000円(6歳以下は入場できません)

主な出演者:劇団流れ星(中学生の演劇集団)、室坂京子(サウンドスケープ)、吉本
直聞、伏木啓、(ビデオアート)、荒井修、MAIKO、滝康弘(ダンス)、吉永睦子(ラ
イブペインティング)内田久美子(ボイスパフォーマンス)、クルト・アップ、KYOU(
演奏)ほか


★チケット電話予約は藤野芸術の家0426−89−3030
(席数限定公演のため予約はお早めに)

問い合わせは
藤野芸術の家
0426−89−3030

http://www.din.or.jp/~fart


[110] 笑い・誉めあえる場に 投稿者:コアラ 投稿日:2001/06/21(Thu) 22:12

 学校もいろんな人があつまる場です。いつも必死になってまなじりをけっして一つの目標ばかりを目指すのではなく、笑顔で御互いを誉めあえる場でいたいとおもいます。そうあってこそ、ある場面で皆で一丸となって一つの目標に向かって行ける活力が自ずから出てくるのではないでしょうか。
 教師も生徒も関係なく、笑いあい、御互いの優れたところを誉めあえる関係で常にいたいものです。

 たしかに教師の労働条件は過酷です。一人何役でしょうか。「教科を教える」「人間関係の潤滑油役やカウンセラー」「行事の企画や指導」「校舎の管理や修理」「お金集めなどの事務的仕事」「部活動の指導」・・・。本来それぞれが独立の専門家によって担われねばならない仕事を、一人でいくつも持っています。ここは改善の必要があります。
 でも大事なのは心の持ちようではないでしょうか。生徒と教師は仲間です。共に学習しともに何かを作る。どちらの力が欠けても学校は成り立ちません。
教師は「管理者」ではなく「生徒の成長をたすける援助者」。彼らより少し先の人生を歩いていますから、いろんなアドバイスが出来る。それも友達みたいな・ちょっと年上の兄弟姉妹や・時には親子みたいな関係の中で、一緒に育っていくもんなのではないでしょうか。

 そんな心のゆとりが欲しいですね。それさえあれば、互いを尊重することができます。互いを尊重するということが互いの権利を認め合うということでもありますし、互いの権利をまもるために助けあうということでもあると思います。

 学校システムの現状は酷いものです。でもそれを変える為にこそ、笑いあい、誉めあえる人間関係が必要です。
 あまり気張らず偉ぶらず・肩肘はらずにぼちぼち楽しくいきたいものです。
 どうせこの世の中、どこでも大変なんですから。すこしでものんびり楽しく生きたいですね。


[109] 返信ありがとうございます 投稿者:ナゼ?? 投稿日:2001/06/21(Thu) 00:42

 コアラさん、shizumeさん返信ありがとうございます。

 教員が大変な職業だということは、よくわかるとは申しませんが理解したいと思います。昨日、学校のカウンセリング室に行って来たと友人が言っておりました。偶然、玄関で生徒指導の先生にあったので、少し話をしたら「そんな状態(不登校気味)だとは知りませんでした。」ということでした。不登校が始まって数ヶ月が経っているというのに生徒指導の先生がその事を知らないという事実に少々驚きましたが、「友人の子供の心を考えた指導を心がけます。」との言葉をいただいたようです。カウンセリングでは、「今思っていらっしゃることを全て吐き出してください。」と言っていただき、4時間かけて話を聞いてくださったようです。

 本人も友達のいる学校に行きたいと思っていますし、高校にも進みたいと願っています。2歳の頃から知っている子ですが、本当にまっすぐな子です。とってもいい子です。1日も早く笑顔で学校に通える日が来ることを願っています。

 ちなみに、髪の毛のことですが、担任の先生には茶色に見えるそうですが、親の目から見ると黒く見えるそうです。なぜでしょうね。私は見ていないのでわからないのですが。

 友人も、自分の子は自分が守ってやらなくてはと頑張っています。頑張りすぎて39度の高熱が上がったり下がったりの状態が1ヶ月近くも続きました。今、やっとそれも落ち着きました。
  
 小学校の教員になった優秀な友人が1年でリタイヤしました。学級崩壊を体験してしまった友人は学校を変えてもらいなんとか自分自身も立ち直り、教員を続けています。子供たちにとても慕われていた友人は、胃癌で30歳の若さでこの世を去りました。学校という場がストレスの吹き溜まりになってしまっている今、何をどうしていけるのでしょうか?

 教員のみなさん、お体ご自愛くださいませ。それから、子供たちの心の声を聞いてあげてください。よろしくお願いいたします。


[108] Re[106]: 中学校大丈夫? 投稿者:shizune 投稿日:2001/06/20(Wed) 23:30


> 友人の中3になる子供が今不登校になりかけて悩んでいます。
>その子は、授業や生活態度が良くなかったようで担任に目をつけらてしまったようです。
>修学旅行の前には、「管理しきれないので参加を見合わせてほしい」と担任から言われたそうです。
>そんな事が許されるのでしょうか?

> 不登校気味の生徒がやっと登校した時、担任はどのように対応するものでしょうか?

>その子は、「髪の毛が茶色くなってきたから美容院に行って黒く染めて来なさい。
>それが出来るまでは、学校に来なくてもいいです。」と言われたそうです。
> 今の学校はなぜそういう事が許されるのでしょうか?

なぜさんの真摯な問いに、心がふるえています。
申し訳ありません!とわたしが謝りたいおもいです。
ほんとうに中学校はおかしな所。

しかし、長年教員をやっているわたしには
手のかかる(教師の指導に従わない、多くの生徒と同じ行動ができない)生徒を
宿泊行事から外したい、という教員の本音はわかります。

昔、シンナー中毒の女生徒を連れて行ったとき、まさに薬切れ状態になって、
新幹線の中で暴れ、本当に大変でした。その夜もまた、大変でした。
わたしは若かったので、一晩中相手をしましたが、彼女の担任は年輩の人で、
体力的にたいへんだったろう、と今のわたしは思います。
また、わたしの子どもは重度の喘息だったのですが、教員は宿泊行事参加に難色をしめしました。
しかし、さすがに同業者のわたしにはそれを言えず、連れて行きましたが、案の定、
無知な教員はうちの子どもに、発作を起こす環境を作ってしまいました。
ご苦労をかけたと思っています。

教員の労働条件は悪すぎます。
わたしには、3泊4日、寝ずにがんばれっていえません。
わたし自身の体力もありません。

しかし、だからといって、生徒から「教育を受ける権利」を剥奪する権利はないはずです。
手がかかる生徒も参加できるような行事でなければいけません。
手がかかる生徒が生き返るような行事でなければいけません。
と、わたしは思います。それは今のままの行事では、不可能です。

トリイ・ヘイデンさんの本を読まれたことがありますか?
この人の本を読んで感じたのは、
アメリカの学校では、「教員の仕事は限定されている」んだってこと。
日本の教員は何でも屋です。わたしと1日同行してみませんか?
昨日、教育委員会の人が私たちのt・tの授業を見に来ましたが
目を丸くしていました。
おどろかれて、わたしの方がびっくり。
世間では教員って楽な職業って思われているようですね。
いま、パソコンの指導員が来ていますが、私たちの仕事の雑多ぶりに驚いています。

で、結局は、教員が劣悪な労働条件で働かされていることのしわ寄せが
生徒に行っているのではないでしょうか?

わたしは今日、校長に「教員にきちんとした人権教育をしてほしい」と申し入れをしましたが、
それ以前に、教員に人権意識が育つように、人権を!って気持ちですね。

どちらが先かわかりませんが、とにかく、教員の質を上げなければ。
そのためには、最低限、労働基準法が守られるような職場でなければ。
生徒にも人権があるって、当たり前のことに気づける繊細な人もいる職場にならなければ。







しかし、公立の学校でそれを言ってはいけないですね。
生徒には教育を受ける権利がありますから、たとえ手がかろうともそうした生徒にも参加させるべきです。


[107] Re[106]: 中学校大丈夫? 投稿者:コアラ 投稿日:2001/06/20(Wed) 23:21

 ナゼ??さん。こんばんわ。
 多くの学校が髪の毛を染めた生徒にはそのように対応するでしょう。私の学校の多くの教員もそうするでしょう。
 今年定年で退職した校長がよくいっていました。どう指導するかは勝手だが、価値観が人によって違う。金髪はだめという指導をした結果受け入れられなかったら、その事実を教師が受け入れる必要がある。修学旅行や卒業式の直前になって急に指導しようとしたってだめ。長い信頼関係を背景にしても価値観の違いはなかなか越えられるものじゃあない。最後は金髪でも良いと。
 校長がこう発言してくれると、指導が極端にまで行かず、修学旅行に連れていかないとか卒業式に出さないとかいう異常事態だけは避けられます。
 学校の教師は井の中の蛙です。自分たちの価値観が社会で多数に支持されていたのは、数10年昔だということにまだ気づかない。いや日本国憲法が出来たときから学校の中の価値観が社会的に否定される日が来る事が定められていたということにも気づいていないのです。大多数は。
 不登校の原因を自分たちが作っているという自覚があれば生徒に対する対応は自ずから違ってくるでしょうね。すくなくとも温かい目で雰囲気で包もうとしますね。


[106] 中学校大丈夫? 投稿者:ナゼ?? 投稿日:2001/06/20(Wed) 11:35

 初めてこのホームページを読ませていただきました。こんなに真剣に学校教育について考えている先生がいらっしゃる事に安堵を覚えました。

 私の子供はまだ小学生ですが、友人の中3になる子供が今不登校になりかけて悩んでいます。ここ最近、行ったり行かなかったりしているようです。その子は、授業や生活態度が良くなかったようで担任に目をつけらてしまったようです。(そうなったのには、絶対原因があると思うのですが)先日あった修学旅行の前には、「管理しきれないので参加を見合わせてほしい」と担任から言われたそうです。その子は参加しましたが、何人か行きたいのに行けなかった生徒がいたそうです。何だか信じられない出来事です。そんな事が許されるのでしょうか?

 不登校気味の生徒がやっと登校した時、担任はどのように対応するものでしょうか?その子は、「髪の毛が茶色くなってきたから美容院に行って黒く染めて来なさい。それが出来るまでは、学校に来なくてもいいです。」と言われたそうです。言われた言葉はそのままではないでしょうが、そのような内容だったようです。

 なんだか私には、信じられないのですが事実なのです。今の学校はなぜそういう事が許されるのでしょうか?


[105] 保護者の授業 投稿者:コアラ 投稿日:2001/06/04(Mon) 22:59

 保護者が授業をやる。とてもいいことだと思う。でもなぜ「補習」なの?。どうして補習が必要なの?。しかも金のかからないボランティアとして。
 前に保護者に3ヶ月間授業をやってもらった。国際理解教育の一環として、在日韓国人の母親と、父親の仕事の関係で日本に韓国から来ていた生徒の母親に、韓国料理を教えてもらった。生徒たちはすごく楽しんだし、この授業を通じて韓国の事についていろいろ学んだ。授業をやったお二人にとっても収穫は大きかったようだ。在日2世の母親は自分の知らない韓国料理を教わって感激していたし、韓国人の母親は、長い間祖国を離れている人々の間に、昔の韓国料理が伝承されているさまに感激していた。そしてお二人とも「人に教えると言う事の大変さ」を学んだと話された。また一緒に授業をした教師は、「授業のむずかしさ」を学ぶとともに、「教師の専門性」って何という疑問にもつきあたったようだ。
 保護者にはさまざまな人々がいる。教師にはないさまざまなものを持っておられる。その力を生かす事は大事だし、なにより教育活動の企画・実践に保護者が参画する事に意味があると思う。


[104] PTAがボランティアで補習 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2001/06/04(Mon) 20:32

PTAも教員との飲み会ばかりでなく
生徒の補習をやるようにしたらどうだろう。
きっといろんな職業の親がいるはずだし、
主婦だって教師より高学歴の専業主婦はかなり
いるから、使える人はいるはず。ボランティアで
やってもらえば、財政的にも負担はかからないしね。



[103] お返事ありがとう! 投稿者:おとうさん 投稿日:2001/05/14(Mon) 22:00

当会のHPを覗かれている事と思いますが・・・

まず、当初の目的を達成する為に色々と東奔西走したわけですが
必ずぶち当たるんですよ!『行政の怠惰な対応』と『誠意の無さ』
に・・・

基本的には『住環境を守る』から端を発している訳なんですが
現在の社会性を追いかけている内に、某所『環境問題HP』を
知り、その流れに乗って自然と辿りついた1つが『貴サイト』
な訳です。

成長しきってしまった『社会』と言う大木の枝葉の違いこそあれ
『根幹は同じ』と言うのが、私の考えです。

世界が誇る、日本国の一地域社会の一員として
『小さいながらも、みんなの役に立てる様な、何かをしよう!』
と、動き出しているわけです。

故に恐らく『色々な他所』で、もしかしたらお会いしているかも
しれませんが、他所でも『ハンドル』は変えずにおりますので、
どこぞで出くわした時などは、声を掛けて下さいね!

http://www.mars.sphere.ne.jp/yoshicho/


[102] Re[101]: みなさん、お熱いですね! 投稿者:コアラ 投稿日:2001/05/02(Wed) 22:16

「おとうさん」。どうぞご参加ください。いろんな方の御意見が聞けたほうがネットの威力が倍増します。

> 色々と思い悩む、今日この頃
> 果して、一体『何が、いけない』事で
> 『何が、良い事』なんでしょうか!?
>
> 子供や社会に纏わる
> 様々な『環境』をアレコレと考えております。

 具体的にはどのようなことなのでしょうか。御教え下さい。


[101] みなさん、お熱いですね! 投稿者:おとうさん 投稿日:2001/04/30(Mon) 18:11

はじめまして!

教職員ではありませんが…
お仲間に加えて頂ければ光栄です。

色々と思い悩む、今日この頃
果して、一体『何が、いけない』事で
『何が、良い事』なんでしょうか!?

子供や社会に纏わる
様々な『環境』をアレコレと考えております。

良いお知恵があれば、教えてください!!

http://www.mars.sphere.ne.jp/yoshicho/


[100] 入学させてあげてください。 投稿者:QWERTS 投稿日:2001/04/12(Thu) 18:56

これをどう思う、この女性を入学させてください。

この女性(男性と書いてある新聞記事は失礼である)は、
1.戸籍上男性
2.既に他の高校を卒業している
という2つの問題があります。
1.については、A高校かB高校で、戸籍上男子なのだが女子生徒として入学した事例があります。
2.についても、C高校で既に他の高校を卒業した人が別の高校に再入学した事例があります。
以上のことから、この女性の再入学は認められるべきであります。

http://tsnews.tripod.co.jp/tokushima.htm


[99] Re[98]: 少人数教育 投稿者:コアラ 投稿日:2001/04/10(Tue) 23:32

 小人数学級編成を可能にするために法を改正した事はとても良い事です。しかし、現行の学級定員である40人を下回る人数を学級の基準にしたのではなく、「特例」として定めたことは多いに問題です。習熟度別学級編成は全ての教科において認められてはいませんし、全ての学級が運営困難なわけではありません。
 なぜ一律に学級定員基準を20人なら20人に出来ないのでしょう。本当に日本政府は教育にお金をかける気はあるのでしょうか。やはり「票」になるところにしか手厚くお金を配分しない今の政府の姿勢が、ここにも明確に現れていると思います。


[98] 少人数教育 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2001/04/07(Sat) 20:26

義務教育標準法改正案を可決〜少人数学級の編成可能に〜
公立の小中学校、高校で一クラス二十人程度の少人数学級編成を可能にする「義務教育標準法改正案」が二十二日の衆議院本会議で与党三党などの賛成多数で可決され、参院に送付されました。
改正案は現在の「一クラス四十人」という学級編制の基準を維持しつつも、児童、生徒の実情や必要性に応じて、四十人を下回る人数を学級の基準に定めることが出来るとしています。
具体的には
@教科に応じて習熟度別に授業を実施する
A学級崩壊や不登校の児童・生徒が多く、学級運営が困難
などのケースが対象で、きめ細かな指導が出来るように2001年度から五年間で二万二千五百人の教員を配置するのもです。


[97] Re[96]: じっくり子どもに考えさせる時間をくれ! 投稿者:コアラ 投稿日:2001/04/03(Tue) 00:54

文部科学省の推進する教育改革が玉石混交なのは「本気で教育改革を進める気がないから」と断言してしますと、事態の複雑な様相を理解できなくなります。文部科学省を一枚岩(古い言葉ですね)の組織だと考えてはいけません。政治の世界とどうように官僚機構にも「既得権益を守ることしか考えない」人と、「真剣に構造改革を進めようとしている」人がいます。そして政治の世界と同じように、利権を守る事しか考えていない人が多数を占めています。でも総論としては教育の構造改革が必要な事はだれでも頭ではわかっているので、利権を守ろうとしているひとも表面的には反対できません。だから「教育改革を進める」という方向になるのです。
 では利権を守ろうとする人たちはどうするかというと総論で賛成しておいて各論で反対するのです。だから各論は妥協の産物になり結局は構造改革は前に進まないと言う事になるのです。
 だから文部科学省の出してくる改革案のどの部分は総意であり、どの部分が妥協の産物かを吟味して対応しないとふりまわされることになります。指導要領でいえば、教科の目的やありかたの部分はとても格調高く構造改革を進めるものになっていますが実際の時間数や内容はほんとうに妥協の結果です。
 目玉になっている「総合学習」も改革推進の人たちの観点では教科全体の枠を壊して再構成するのが本来のねらいであったはず。たしかイギリスの中学だと思いましたが、数学とか国語とか地理や理科といった教科ではなく、学習を分野でわけていたはずです。それが「環境」であったり「人権」であったり「国際理解」であったとおもいます。そしてその分野の学習に今までの各教科がどう関わっていくかという形で教科が再編成されたと思います。つまり学ぶ内容をその目的に合わせて再編成し、もっと学ぶ目的を明確にし、学際的に学ぶ事で学ぶ意欲と基礎学力を高めようと考えたと思います。
 しかし既成の教科の枠を壊すことは業界団体や大学の既得権益を壊します。だから猛烈な抵抗にあい、教科の枠を壊すことはできず、「教科」として「総合学習」を設けてしまったのです。その結果として教科は時間数を削減され、内容も削減せざるを得なくなったのです。
 現在世界で行われている教育改革は「学び方を変える」ということで、学ぶ内容や学ぶ時間を削減するのではありません。
 このあたりが日本の教育における構造改革がうまく進まないことの根本的な問題です。
 ですから今すぐに文部科学省の言っているとおりに進めると大変な事になります。例えば社会科ですが、私の学校では一年生は現行どうりの週4時間。2年も現行と同じ週4時間。3年は少し減らして週2.7時間です。総合の時間は全学年週1時間であり、それぞれの工夫したカリキュラムに応じてまとめどりもできるようにしています。そのため〜線の教科は毎年少しずつ時間を削っています。
 昨年度は総合は一年は3学期のみ週1時間。2年は2・3学期に週1時間。3年は1・2学期に週1時間。一昨年は各学年どこか一つの学期に週1時間と言う具合に段階を追って進めてきました(その前に4年ほど、環境教育の委嘱を受けると言う形で、学活や行事をうまく組み合わせて(そして教科とも連携して)どう総合的学習として環境教育をやって行くかを研究してきました。その過程で各教科の目的やあり方を自分たちの頭で考え、カリキュラムを作るという方向で進んできました(HPの総合学習にむけてや社会科のページはその成果です)。
 すべての教科ができたかどうかは分かりませんが社会科は文部省の案を参考にしながらもその矛盾点や不充分な所は批判して独自にカリキュラムを作ろうとしています。学び方を変えたりテーマの取り方を変えれば、時間が多少少なくなっても学ぶ内容はほとんど変わらず、しかも生徒の学習意欲はかなり向上させる事が出来ます。まあ、一番のネックは高校入試がいまだにどれだけ覚えたか、つまり知識の量のみを重視して知識の質は問わないことが大きな障害になっています。
 こどもにじっくり考える時間を保証するためには行事なども根本的に見なおそうというのが私の学校の現在の合意事項です。おそらく部活の見なおしも必要になってくるでしょう。

 僕は文部科学省ばかりを責めるのは間違っていると思います。教員は何十年も自分たちがやっている事を根本的に問いなおす事をせずに昔どおりにやって来ただけだと思います。教科で言えば教えることの意味も考えずただ教科書を教えていただけ。・・・その結果自分で考える事も出来なくなった人が多数派を占め、教育委員会の人の多数も上からの指示待ちになっているのが現状ではないでしょうか。特に東京はこの状態がとくにひどいなと隣の町から見ていて思います。
 現状を真に憂いているのではなく、官僚的な押し付けに終止している教育委員会と、ただ現状を死守することしか考えていない組合という、どちらも構造改革をする気のないもの同士の対立という様相にしか、僕には見えません。


[96] じっくり子どもに考えさせる時間をくれ! 投稿者: 投稿日:2001/04/02(Mon) 22:51

コアラさんの論文じっくり読ませていただきました。
 「教育改革」の抱える矛盾
にはまったく同感です。

>文部省の推進する教育改革は、本当に玉石混交です。
>まあさまざまな相反する考えの対立に基づき、
>その妥協として出されているのですからしかたがないとは言えますが。

文部科学省は本気で教育改革をやる気はないのだから、ということでしょうか?
それにしても、いつも現場はふりまわされますね。
教務主任なんかもうげっそりして、端から見ていても気の毒。
「まあ、いつの日か揺り戻しもあるのだろうけど」と、職員室では多くの人が感じている。
でもこうなると、ほんとやる気がそがれますね。

ただ、子どもたちの立場にたつと一回しかない人生にどう責任取ってくれるんだよ!!
って叫びたくなります。
大阪のお母さんたちみたいに、今の教科書がベーターとは言えませんが。
時代のきなぐさい臭いを感じると、せめて、今のラインを守りたい、って気持ちにもなります。

>何を基準にして削減するのか。

そうですよ!怖いです。
今だって、現代史はほとんどやらないで終わっている人が多いのに。


社会科には、調べ物学習もあるし、「一体どうこなしているのか」と疑問です。
これは、うちの学校の生徒から去年聞いた話ですが、
先生は説明しないで、課題を生徒に振って、生徒が調べたことだけを発表するだけとか。
もちろんこれを話してくれた生徒は、こうした授業のありかたに疑問をもっています。
教師からは一貫した歴史観や、ものの見方捉え方を教えてもらいたいと思っているのに
なにもかも中途半端で不全感が残る、とこぼしていました。

なのに、今年からは週「3」から「2.5」に削減です。総合的学習のために。

わたしは図書館の担当もしているので、放課後調べもの学習をする生徒の対応に追われました。
もう少し日数があれば、調べようがあるのに、生徒も割り振られてすぐ翌日ぐらいに発表しなければならず、
お互いに困り果てました。


中学校には選任の司書教諭がいないので、文部省がいくらかっこいいこと言っても
こうして現場はへとへとで、お粗末なことしかできていません。
で、コアラさんもおっしゃるように暗記教科でないはずの社会科が、
知識の切り張りにすぎなくなっている現実がおこるのですね。

ここ数十年の間、学習指導要領が変わるたびに、子どもからゆとりを奪い、考える力を奪い
ここまで子どもをおばかにしておいて、いまさら、子どもに学力がない、っていうことない。


はっきり言って、今回の学習指導要領にはあきれかえっています。

中学の数学で言えば、3割内容カットって言われているけれど、あれウソですよ。
小学校の教科書50ページ分が中学に来ます。
中学の教科書はいたってシンプルですから、2.3ページにしかならないのでしょうが。
本来は時間をかけて、あれやこれやと取り組ませないと、抽象的な概念は身に付かない。

たとえば、円周率一つ取ってみて下さい。
あの概念を説明するのに、教科書は何行分しか費やしていない。
でも、あの概念を理解するにはどれだけの展開が必要でしょうか?
わたしは、夏休みの課題学習に出しましたが、生徒に興味を持たせればなかなか面白いところです。
それを「文字の利用」のところで、「はい!今日から円周率をパイとします」では
生徒に数学嫌いになれ!って言っているようなものでしょう?

だんだん腹が立ってきましたので、これで終わりにします。
またまた、おもいつくまま書き連ねて、掲示板を汚してしまって申し訳ありません。

http://www03.u-page.so-net.ne.jp/sc4/shizune/


[95] Re[93][72]: 道徳 投稿者:コアラ 投稿日:2001/03/28(Wed) 23:40

零さん。書きこみをありがとうございます。[72]の教師の意識改革の会の方の道徳教育についての意見には私も賛成です。道徳は教科として独立に設置するものではありませんね。それぞれの教科の中で様々な事象についての知識を学び、その知識に基づいて生きて行く時の判断として身についてくるものだと思います。また社会の様々な場面での人との関わりの中で鍛えられるものだとも思います。教科として設置されると昔の修身を同じの徳目注入主義になります。
 文部省の推進する教育改革は、本当に玉石混交です。・・・まあさまざまな相反する考えの対立に基づき、その妥協として出されているのですからしかたがないとは言えますが。・・・・
 教科の時間を削ってその反面で道徳の授業時間を確保するなんぞは愚の骨頂です。ただ社会科では何が教えるべき事なのかが判然としていないのが実情です。そのため、学習指導要領が内容を削減するといっても何を基準にして削減するのか。・・例えば歴史など項目をいくら削除しても実態は減りません。最近では日本以外の国の歴史を削除して「日本に関係のある部分だけ」とか言っていますが、歴史は全て繋がっているのであり、日本は昔から世界の中の日本なのですから、日本と繋がっていない外国の歴史などありません。ですから通史をやっている以上は内容は減らないのです。
 このあたりを究明しないでただ時間だけを削減して行く今のやりかたはおかしいですね。歴史を考え今を生きるときの教訓をえることが出来なくなります。社会科はけして「暗記科目」ではありませんから、機械的にに削減はできません。


[94] (無題) 投稿者:おばさんA 投稿日:2001/03/27(Tue) 18:58

 中公新書「クラレ」の「論争・学力崩壊」「論争・中流崩壊」をお読みになりましたか。なかなか面白かったです。「教師意識改革の会」の方たちの言っていた統計資料も載っていました。
 旧文部省の役人が考えていること。現場の人たちが考えていることなどいろいろ知る事ができました。ただ、推論だけではなく実証的な検証が必要なような気がします。
 このホームページにいろいろな実態・現場で起きていることが集まると良いですね。そこから現場で起きていることが一地域の現象なのか・マクロ的な問題なのか見えてくるような気がします。
 なお、うちの中学の私立中学への流れについては、今年だけの現象ではありません。中2のうちの子が入学するときも2校あわせて約180人が公立にきたのは、113人でしたから。校区にある「一流企業」と言われているところの家族寮や地主の子供たちのほとんどは、私立にいってしまいましたから。この辺の問題は、「学力崩壊」などの論調と一致するところがあります。


[93] Re[72]: 道徳 投稿者: 投稿日:2001/03/26(Mon) 13:54

> 道徳教育というのは、既知→行為へと発展させる場。

> 学校で教えられる知識は問題解決のための道具。

> 道徳の本質は、知識とそれに基づく想像力。相手の立場になって考える。「心」と「知識」は不可分。
 道徳教育はそれ自体で教えるのではなく、全面主義で行っていかなければならない。
「理科」で環境問題を取り上げる、「社会」で福祉問題をとりあげる。
 学力によって得られた思考力、想像力が土台になる。それがない人間に心の教育も何もない。
> だからこそ、学力の向上、すなわち教科をしっかり勉強することが必然的に道徳の学習にもつながる。

こうした考えにいたく共感します。
なのに、来年度からは、教科を教える時間は減らされます。
わたしは数学を教えていますが、学習指導要領がどう変わろうと、教える内容は変わりません。
でなければ、問題は解けません。
暗記教科ならともかく。
で、教科の時数が4から3時間になるということは、教科としての困難のあれど、
ここで言われているように、道徳的なとりくみがまったくできなくなります。
たとえば、教室に行ったら、泣いている子がいた。
いじめがあったらしい。でも、それはそれとほっておいて、いそいで新幹線のように授業を飛ばす。

いきなり、飛び込んで脈絡無く語って申し訳ありません。
先生の考え、共感できるところおおく、勇気づけられます。ありがとうございます。

http://www03.u-page.so-net.ne.jp/sc4/shizune/


[92] Re[91]: 公立中学校の危機 投稿者:コアラ 投稿日:2001/03/18(Sun) 23:29

130名のうち77人しか公立中学校に行かないのですか。約6割。すごい少なさですね。私の職場では地域の3つの小学校からは9割は超えます(正確には9割5分かな?)。今年は特に多くて220名を越してしまい久しぶりの6学級。10年程前の荒れていたときはずいぶん入学者が減り男女の比率がすごくアンバランスで困ったときがありましたが最近は学校も落ちついているので入学者は安定しています。この地域は割と下町なので公立志向・地域の学校へという傾向は強いです。しかし公立中学の授業がいいかげんなことへの父母の批判は少しずつ強まっていると思います。本当に部活動をするために学校に来るみたいな所があり、教員も部活動を指導するために学校に来るような人が何人もいますから。
 高学歴を志向し出世を望む家庭のお子さんは学習のありかたをめぐる混乱の続く公立をさけてたしかに私立志向でしょうが、そうではない家庭はこの不景気の中公立志向が強まっていると思います。それでも現在のような状況を続けていれば少しずつ公立離れが進んで行く事はたしかです。
 Aさんの地域の中学校の場合はこれとは少し違い、昨年の夏の事件への学校の誠意のない対応が大きく尾を引いているのではないでしょうか。


[91] 公立中学校の危機 投稿者:おばさんA 投稿日:2001/03/18(Sun) 18:14

所得格差によって「階層の固定化」ができつつあると言う話ですが、今、小学生を持つ親の中には経済的に無理してでも私立に行かせる傾向があるようです。(うちの地域だけかもしれませんが)その理由は、2002年から始まる新学習指導要領による学力低下の心配や公立中学の教師の質の低下・いじめ問題などがあるようです。
 今度の1年生は、学区内の小学卒業生が約130名いますが、77名ぐらいしか入ってきません。実に半数近くが私立にながれました。これは、今年だけの特殊事情によるものだけではなさそうです。
 上の子供を公立中学に入れて、下の子供を私立に入れた方たちの話では「数学や英語のみならず理科とか社会の科目も中学3年の姉と一年の妹のやっているレベルがおなじくらい・・・これでは、大学入試にかなうはずがない」「公立中学は、クラブ活動をやりに学校へいっているようなもんだけど、私立は、勉強しに行ってるって言う感じ」「教師の教え方も知的好奇心を刺激してくれているなーと感じるけど、公立は、教科書教えるのがやっとと言う感じ」とその違いを言っています。
 また、小学校の時成績のよかった子供たちがかなり私立に流れてしまうため「低い学力や生活の基本的姿勢にかける子供が増えてきてしまっている。その辺の指導からやらなければならないので、大変になってきている」と言っている先生もいます。
 私立にやるほどのお金も子供の学力もない(塾に入れるお金もない)という層の子供たちが「新時代の日本的経営」の「不安定雇用労働者」になり、お金をかけた子供たちの一部が頂点と「安定雇用労働者」になると言う構図が進行しつつあると思うのは、私だけでしょうか。
 公立中学校として、魅力ある学校づくりをしなければ「無理してでも私立に行かせなければ、子供の将来は、期待できない」という家庭を増やしてしまいます。
 本当の学力と生きる力とは何かを真剣に考える時だと思います。


[90] Re[89]: 所得格差 投稿者:コアラ 投稿日:2001/03/16(Fri) 23:11

資料ありがとうございます。やはり階層の固定化が起きているんですね。そして学校教育はその固定化に多いに寄与しているわけです。
 高度成長が続き雨後のたけのこのように大学ができ2流だろうが3流だろうが大卒であれば就職がどんどんできた時代が終わった今、家庭の属する階層によって教育力というか文化が違うというあたりまえの事実が、長い忘却の期間を超えて、今また人目に触れるようになってきたのだと思います。


[89] 所得格差 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2001/03/16(Fri) 19:23

4年位前の資料なんですけどね。
 東大の学生の親御さんの年収が、平均で880万。
 京大他、旧帝大で760万
 早稲田、慶応の6大学私立で740万位。
 関関同立、関西名門私立で710万位。

 首都圏、関西圏以外で660万(国立)、540万(私立)
 と言う集計がありました・・・・・。やっぱ、それだけ教育投資出来る家だから一流大学に行けるんだろうな・・・・

尚、先の調査は東大の大学院のデータです。


[88] 階層差の真実の姿があらわれただけ 投稿者:コアラ 投稿日:2001/03/13(Tue) 22:30

 87で「教師の意識革命の会」さんが述べた事に疑問があります。1979年と1997年とで高校生の家で学習する時間が減り、しかも階層の低い家庭の子供ほど勉強しない傾向が現れたとのことですが、ほんとうにそういう調査がなされたのでしょうか。もしなされているのならそのデータは何を見れば良いのか教えてください。
 また高校生が勉強する時間が減った原因を「受験プレッシャーが弱まった」からとされていますが文章全体の流れから判断するとこの受験プレッシャーが弱まった原因を「ゆとり教育」と考えられているように思えるのですがいかがでしょうか。
 僕は子供たちがあまり勉強しなくなったのは勉強した所で先が見えているからだと考えています。たしか20年前頃でしたか東大生の保護者の階層を調査した人がいてそれをその20年前ぐらいと比べたところ東大生の保護者の階層がより高い所に集中する傾向があり、大手企業の役員や中央省庁の課長以上などの層に集中してきているという趣旨の記事を読んだ記憶があります。つまりとんびは鷹を産まないのです。努力すれば立身出世が出来豊かな生活が手に入るという幻想を皆が持っていた高度成長期が終わったとき前以上に階層格差が拡大し固定化している事が明らかになったのだと思います。そしてこんなことは調査しなくても日常的に生活感覚としてわかることだと思います。
 立身出世の幻想があったときはやりたくもないつまらない勉強にとにかくとりくんでいたが今やその幻想が破れてどんどんやらなくなったというのが実情ではないですか。高級官僚や企業トップの腐敗した姿が赤裸々になったのもたしか80年代以降だったと思います。だからこそ受験に大きな夢をたくす人が減ったのだと思います。
 もっとも今でも学歴主義ははびこっていますから高い地位を狙える家庭の子供の多くは今も狙っています。だから格差が広がっていくのでしょう。
 でも昔だってそんなにみんな勉強していたわけではないと思うのです。昔だって階層の低い家庭では勉強する環境になかった。6畳一間に親子7人なんて家庭では下の子供たちがうるさくて勉強どころではないでしょう。
だからさきの調査の高校11校というのがどこの高校でどんな学力レベルの学校かがきになりますね。
 さいきん子供の学力が低下したと大騒ぎしその原因を全て「ゆとり教育」のせいにする論が横行していますが、それより勉強する価値がなくなったと見るべきだと思います(もっとも何を持って何を基準にして学力をはかって学力低下というのかについても疑問がありますが)
 僕は子供たちがおもしろくもない勉強をしなくなったことは良い事だと思います。本当に面白い事だったら、そして本当に必要だと思ったことなら教わらなくたって自分で勉強します。人間ってそういうものだと思います。
 これからさきの世の中は高度成長の中で隠されて見えなかった階層格差がもろに見えてくる時代だと思いますし、それは資本主義の社会なら当たり前のことだとも思います。階層格差は教育の力などでなくせるものではありません。


[87] (無題) 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2001/03/13(Tue) 19:41

「子ども問題解決」型の発想から生まれた教育改革は、
子どもたちの学力低下と、勉強をしない子どもたちを生み出しただけだった。
「ゆとり教育」という世間受けのよい改革を実行し続ければ、
階層分化と不平等拡大を生む。それは将来の日本にとっての大きなマイナスだ。 

 先般の衆議院選挙の際、新聞報道や各党のホームページなどをもとに、各政党の教育政策について一瞥するする機会を得た。そこで感じたのは、おしなべてどの政党も、受験競争や学歴社会の是正、いじめや不登校、あるいは少年事件の防止といった、「子ども問題解決」型の発想を共有しているということであった。

子どもたちの勉強時間や学習意欲の面での
不平等と階層格差が拡大している
日本ではほとんど政策論議にのらない問題だが、教育における不平等が拡大している。同一の高校11校で1979年と97年に行なった調査によれば、家で勉強する時間は、全体で減少傾向にあるだけではなく、親の学歴による差が拡大している。つまり、かつて受験競争が激しかったころは、どんな家庭の子どもでもある程度勉強していたのが、受験プレッシャーが弱まったことで、階層の低い家庭の子どもほど勉強しない傾向があらわれたのである。
階層差の拡大は、勉強時間にとどまらない。子どもたちの学習意欲の格差も広がっている。「授業がきっかけとなってもっと詳しいことを知りたくなる」かどうかを、1979年と97年とで母親の学歴別に見ると、97年ではそう思う生徒が全体的に減っているが、減少が甚だしいのは、母親の学歴の低い家庭の子どもである。「授業がきっかけでもっと学びたい」というのは、教育改革が掲げる「自ら学び、自ら考える」勉学態度である。
 ところが、今より詰め込み教育が顕著であった1979年と比べても、97年の高校生の「自ら学ぶ」意欲は減退し、しかも、どんな家庭に育つかで、そこに大きな格差が生じているのである。このような格差が、彼らが大人になったときにどのような社会の不平等と結びつくか。教育改革ではまったく議論されないが、無視できる問題ではない


[86] Re[84]: 地域教育会議について 投稿者:コアラ 投稿日:2001/03/05(Mon) 22:30

 その掲げる理念に反して地域教育会議が学校と教育委員会を守るものでしかないのには理由があります。まずこれを主催する教育委員会自身が地域住民に選任されたものではなく、その実態は事務局の長である行政の人間の教育長が実権を握っています。そしてその教育長配下の職員の多くは教員上がりなのですから地域住民の意見を代表などできるはずもありません。そして本来であれば行政の長としてこれらを選任し監督するはずの市長も川崎では教員上がりなのですから学校をそして教育委員会事務局の暴走を止められるはずもありません。
 現在の地域教育会議の委員の多くは学校関係者が選任されるようになっていますからこれも学校を守るものでしかありません。
 今の地域教育会議は学校運営に携わるものではなくそれにかかわる事項を協議する場に過ぎません。このことは私の職場の管理職がちらっともらした言葉で「親なんかを学校運営に参加させたら教育がおかしくなる」という言葉がその性格を端的に物語っていると思います。
 地域教育会議を本当に親と地域住民と行政と学校が同じ権利をもって学校運営に参画する円卓会議にするにはまず行政の長から変えなければならないでしょう。
 学校にも行政にも関係ない人を市長に選任することから学校改革は始まると思います。


[84] 地域教育会議について 投稿者:おばさんA 投稿日:2001/03/04(Sun) 23:02

 「生徒を主人公にした」学校にすべく地域住民と学校と教職員が同じテーブルにつく・・・と言う言葉を読んだときなんか聞いた事があるなと思いましたが私の住む地域にある「地域教育会議」の理念でした。しかし、実態は、一部の熱心な人をのぞいて、町会の役員とか、PTAの役員とか地域の有力者(教育に理解あるとのことですが)がやっていて、本当に事件事故があったときや重要な問題についてきちんとした対応は、されていません。今年はいろいろな事があったせいか、新学習指導要領のせいかよくわかりませんが小学校から公立中学に入る新一年生が極端に減ります。地域から見放されつつある「公教育」とは・・・と考えてしまいます。


[83] Re[82]: 校長の評価 投稿者:コアラ 投稿日:2001/03/03(Sat) 21:37

いつまでも教育委員会・校長と組合・教職員が角つき合わせている時ではないと言う意味で同感です。ここまで学校に魅力がなくなったいまこそ「生徒を主人公にした」学校にすべく、両者が同じテーブルについて学校のどこをどう変えていったら良いのかを協議すべきです。このとき大事なのは保護者など地域住民とも協議する事です。生徒を支え、彼ら彼女等にとって楽しく意味のある学校にするためにはサポート役である親・地域住民と行政と教職員とが手を組んでいくことが大切です。これが出来ないときは学校はお終い。


[82] 校長の評価 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2001/03/03(Sat) 14:30

学校に競争原理が用いられることは
良いことなのですが、どうも日本では生徒の成績が良くなる
を評価したくないようで、校長の評価はいかに組合を
押さえ込むかが評価され、その結果自分の学校のカリキュラムは
全く知らないが、卒業式で国旗国歌がキチンと出来たかが
評価される。組合が足をひっぱり校長も学校の本当に大事な事より
組合対策が最重要課題となる。
こんな事が続く限り生徒は私立に行くだろう。
今は景気が悪くなったので多少公立に流れているが、景気が
良くなったら一気に差は広がる。


[81] Re[80]: 卒業式 投稿者:コアラ 投稿日:2001/02/28(Wed) 23:33

卒業式などの学校行事になぜ君が代を歌ってはいけないのか。君が代を歌う事が戦前の天皇制賛美になるのか。そして君が代を歌っていれば天皇制を賛美し日本の現状を無批判に容認する人間になるのか。
 今の日本国民の大部分にとって君が代はただの面白くない歌です。国って何とか愛国心って何とか、多くの人は考える事もした事がないと思います。不毛な君が代論争と闘争をしているより、日本の過去を正確につかみアジアの人々と共に進む道を考える事を教育の場でやったほうが生産的だと思います。
 もっとも政府や文部科学省のおしつけも異常ですね。別に学校で歌っていなくたって良いではないか。ワールドカップやオリンピックになれば皆自然に歌っているし、歌わないからといってそれで日本人と言う一体性が失われるわけではない。・・・・もっとも日本人としての一体性がないから無理矢理強制してくるのかもしれないが、権威主義と強制でそれができると考えている事自体が時代遅れだと思う。もっと参加型・創造型の儀式を作った方が効果的だと思う。愛国心を育てると言う意味においても。


[80] 卒業式 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2001/02/28(Wed) 22:00

この時期になると卒業式の国旗、国歌の扱いで
組合の教員は共産党か社会党の国旗、国歌の認識の文章を読み
校長は官僚の作った文章を読む。話は必ず平行線。
組合のマニュアルは、何故か校長にも渡っていて芝居のような
職員会議はいたずらに時間だけが過ぎていく。
芝居の議論につき合わされる中立の立場の者はたまらない。
校長も押しつけなら、君が代は国歌でない、とする
組合の主張も私には押しつけの聞こえる。

これだけ社会認識と大きなズレのある教員認識。いい加減に
組合はまともな建設的見解は出せないものか。

成人式も態度が悪く廃止論が出る中
卒業式も廃止して校長室にひとりずつ証書をもらいに行くように
するなど方法も考えたほうがいい


[79] Re[78]: コアラさんへ 投稿者:コアラ 投稿日:2001/02/26(Mon) 22:39

うまくいくと良いですね。またその後の状況を御知らせください。


[78] コアラさんへ 投稿者:にぃ 投稿日:2001/02/25(Sun) 11:36

おへんじありがとうございました。
私のクラスのある男の子の母親が動いてくれるそうです。
これからの行方はまた掲示板に書いていきたいです。
私はこんな腐った学校を、学校は進学校だとか明るく伸びのびだとか言って、来年度の生徒を募集していることが許せません。
学校に絶望しています。このままでは学校に殺されてしまうかもしれない。


[77] Re[76]: 聞いてください 投稿者:コアラ 投稿日:2001/02/25(Sun) 00:26

一番大事な事は校長に対して「事実を明らかにしろ」と要求する事ではないかな。いったいA君とB君の間には何があったのか。なぜ事態も明らかにすることなくB君が悪いとかクラスが悪いとか決め付けるのか。またなぜ担任は学校にこれないのか・・・・など。
 文面からさっすると君は事態を知っているように思えます。A君がB君の退学を望んでいない・・・とのくだりなどから判断すると。
 もし知っているならそれを武器に校長に対して前記のような質問状を出し、答えがないならまた答えが不充分なら知っている事実を公表すると言う手が良いと思います(ただしA君の了解が必要です)。
 文面から私立高校だと思いますが私立は公立と違っていじめがないなどということを売りにしていますからいじめがあったというだけで学校のイメージダウンなので過剰反応をしているように思います。
 だとしたら校長に事態を明らかにしろというのは挑戦状をつきつけたも同然になるので、それなりの覚悟が必要でしょう。今度は自分が攻撃されると言う自覚が。でも理不尽な事には反撃をきちんとする事が最大の防御だと思います。


[76] 聞いてください 投稿者:にぃ 投稿日:2001/02/24(Sat) 22:41

学校名は今はいえません。

高校2年生です。

まず、この話では
A君・・・イジメの被害者
B君・・・イジメの加害者

c先生・・・私達の担任
d先生・・・私達の英語の先生

校長先生
F先生

がでてきます。

うちのクラスでは、3学期、いじめがあったことが発覚しました。
当事者の二人しか知らず、他のクラスメイト、(私も含め)担任、他の先生方も気づくことは出来ませんでした。

そしてそのことは、A君の意思に反して、全校生徒に知られることになりました。
校長先生が、実名を挙げず、集会で言ったのです。
そしてそのとき校長は、「だれもその子たちにこんたくとをとるな」といいました。

そして、A君はみんながいじめのことを知っているという事を知らないままです。
二人は今学校にきていません。

そして、私達の担任も今学校にきていません。公には「病気」ですが実際は彼女が学校へ行くと、B君の退学を決める会議が開かれるからなのです。

そして副担任であったd先生は来年度中等部に人事異動になることが決まりました。
彼は私達の柱であり、また校長の意見に対しきちんと反対の意見を述べてくれました。

ある日、集会が開かれました。
「誰かかA君に電話をかけた、かけたものはなのりでなさい。」
というのです。

そして今日、校長とF先生が朝やってきて「今日から彼に副担任をしてもらう」ということになりました。
なぜいきなり副担任が変わってしまったかは「事情」があったそうです。(校長曰く)
そして、校長は「これからはなんでもF先生に相談しなさい」といいましたが、
もし相談したらそれらはすべて校長の耳に入ります。

それは他の先生に相談した場合も同じ。

私達のクラスでは「先生を、c先生 d先生を除いて信頼するな」という結論に達しました。



いじめの実態は、あきらかになっていません。
「公表できない」そうです。校長曰く。

そしてB君の退学をA君は希望していないのです。
元々彼らはとても仲が良かったのですから。

ところが校長は、「Bが悪い」「5組(私達のクラス)が悪い」
の一点張りです。

なんだかわけがわかりません。
ただ、私達の信頼していた先生はみんな遠くに行ってしまいます。
とても悲しいです。

このままでは、A君もB君も学校にこれないし、私達は校長のファシズムのなか進学するだけの
マシーンになってしまいます。大げさだと思わないで下さい。これらはすべて本当なんです。

どうしたらいいんですか。助けてください。


学校側の対策としては、生徒みんなに嫌われてる教師にいじめのHRを開かせ、えんえんと怒鳴らせました。
私達にはその程度だけです。私達の意見は誰も聞きません

いつも校長は怒鳴り、停学、退学を武器にします。



[75] 日本の要 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2001/02/22(Thu) 20:44

13時ごろに森喜朗首相の早期辞任のうわさ。そして、ロイター通信が13時30分ごろに官邸筋が森首相辞任のうわさを否定。

でも、過去の事例で行くとこういう噂が出ると結構先が短いですよね。

HP今作成中です。しばらくお待ち下さい。


[74] Re[68][67]: 志望校って? 投稿者:QWERTS 投稿日:2001/02/17(Sat) 17:40

私は、公立高校を二校以上受験出来る様、複合選抜を勧めております。67.68の問題は複合選抜により解消されます。
複合選抜スレッド作りました、書き込んでいってください。

http://www.kakiko.com/u/rev/revolut/1010.html


[73] Re[72]: 道徳 投稿者:コアラ 投稿日:2001/02/11(Sun) 22:11

そのとおりです。教科の学習の中で得られた学力に裏打ちされた想像力・思考力がもとになってこそ道徳はあり、道徳は教科の知識の学習と一体のものでなけらばなりません。特別に道徳として学習するものではないと思います。

追伸:ところで「教師のの意識革命の会」さんのホームページのアドレスを教えてください。


[72] 道徳 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2001/02/11(Sun) 08:04

学校教育の日本柱になっているものには2種類あります。つまり、教科教育と道徳教育です。つまり、道徳は現在のところ教科ではない。学校で教えられるのは教科としてではなく、道徳の時間として教えられます。もちろん文部省検定済み教科書などというものもありません。小学生のときに使っていた教科書のようなもの。それは資料と呼ばれるものなのです。では、一体、教科と道徳の違いは何なのだろうか?その質問自体に答えるのは容易なことです。教科教育というのは未知→既知へと変化させる場。そして道徳教育というのは、既知→行為へと発展させる場のことです。

 さて、学校で教えられる知識とはなんなのか?それは問題解決のための道具ということになります。例えば、医学知識というものは病気・怪我を治すという、問題解決のための道具(=医学)ということになります。逆に言えば病気や怪我がなければ医学という知識は必要ないわけです。J.ピアジェの発達理論によれば、感覚運動期から具体的操作期とよばれる11歳くらいまでは学習できる内容は単純なもののみであって高度な論理的思考は11歳を超えてからということになっています。もちろん、その間にも基本的なことはそれこそ理由なしにでも教え込まなければなりません。

 教科から得られるもの、それはJ.デューイによれば形式主義と実質主義ということになります。つまり、教える内容よりもそれによって見につく能力(想像力、思考力など)と実社会で直接役立つもの。(物理学、英語、など)です。

 そして、道徳の本質は何か?それは、知識とそれに基づく想像力なのです。簡単に言えば相手の立場になって考えるということです。本来、「心」と「知識」は不可分のものであって、政府が最近、心の教育をなどと言い過ぎる欠点はそこにあるのです。道徳教育はそれ自体で教えるのではなく、全面主義行っていかなければならないのです。「理科」で環境問題を取り上げる、「社会」で福祉問題をとりあげるなどです。知識だけではどうしようもないのは当たり前。しかし、その学力によって得られた思考力、想像力が土台になることは間違いないことなのです。それがない人間に心の教育も何もない。

 道徳の科目化が政府の人間の中で取り上げられています。こんな馬鹿げたことはない。私のホームページにも載せてありますが、科目にすれば成績がつけられる。道徳1とか・・・。その子は人間的に駄目だといわれるのと同じ事。道徳をたの教科からわけるところからそもそも間違っているのです。教科でもって道徳教育しなければならない。だからこそ、学力の向上、すなわち教科をしっかり勉強することが必然的に道徳の学習にもつながるということです


[71] Re[70]: 数値化しない評価 投稿者:コアラ 投稿日:2001/02/10(Sat) 23:23

全ての教科で評価は数値化しないようにすれば良いのではないでしょうか。というより普通は何をどれだけ学んだかは数値化できないと思うのです。数値化は一定の知識を覚えたかどうかと言う事ぐらいしか測定できないと思うのです。評価はレポートで、指導者がその問題意識の深さや広さ、物事の理解の程度、そして成果と課題について具体的に批評するという程度で良いでしょう。


[70] 数値化しない評価 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2001/02/10(Sat) 07:40

総合など数値化しない評価を
どうするか、というテーマが新たな教育課題だそうです。


[69] カナダの学校に行きませんか? 投稿者:前田容子バッフェル 投稿日:2001/02/08(Thu) 05:59

 こんにちわ。私はカナダのバンクーバー在住の前田容子バッフェルと言います。カナダ人との結婚を機にカナダに移住して10年になります。
 現在はバンクーバーにオフィスを構える留学情報センターで日本人対応のカウンセラーをしています。仕事内容は、学校紹介、入学申し込み代行、ホストファミリー紹介、空港へのお迎え、等をしています。
 当留学情報センターは、皆様にご紹介する学校側から紹介料を頂いておりますので、学生の皆様からは斡旋料をお取りしません。学校の授業料のみで、以上のサービスを無料でさせて頂いております。
 皆さんのお役に立ちたいと願っています。
 我が家でも現在ホームステイをして頂けます。近くに小学校、中学、高校、
英語学校があります。
 興味のある方は気軽にメイル下さい。
E-mail:space_canada@hotmail.com
http://hello.to/space_canada/

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[68] Re[67]: 志望校って? 投稿者:コアラ 投稿日:2001/02/06(Tue) 23:30

生徒の志望校ですがまず基本的には本人の希望です。それに保護者の意向です。たとえそれが今までの入試データからして無理と分かっていても、教師にはそれをやめさせる権利はありません。ただ過去のデータを詳しく示して、これこれの理由で合格する可能性は少ないということを知らせ、できればもう少し可能性の高いところに変えるか、第2希望で確実な所を受験するかのどちらかを薦めます。それでも本人と保護者が受験すると言うのならそれ以上言う事はないです。(私はこのように対応してきました)
 一般に教師は安全圏確保に走ります。落ちて後で文句を言われたり落とすような指導をしたと管理職から怒られるより安全圏で行った方が安心と。でもこれって教師の都合ですよね。
 岐阜県と神奈川県とではどこが違うのかよくわかりませんが、その担任は2学期までの成績で判断しているのではないでしょうか。内申点が過去のその学校のデータから見るとかなり不足している・・・とか。あとは入試の点数をどう読むか。そして高校側が入試の点数をどの程度重視するのかではないでしょうか。
 一度保護者の方から担任に「志望校を変えなければいけないと判断した理由」を具体的に示すように聞いてもらったらどうでしょうか。


[67] 志望校って? 投稿者:かずひろ 投稿日:2001/02/05(Mon) 23:03

はじめまして、ひげおやじさんとこのリンクページから寄せてもらいました。
私、岐阜県で塾の講師をしてます。
うちの塾の生徒なんですが、志望校を下げろって、毎日担任の先生から言われてるんです。それが、誰がどう考えてもその生徒の志望校は無茶な選択ではないんです。かなり余裕で合格圏にいるんですよね。
お母さんと僕で励ましてるんですけど、あんまり言われるから本人も落ち込んで自信なくしちゃうし・・・。
確かに、その子は担任の先生と合わなくて印象は決してよくないと思いますが、3学期は本当に努力したんです。
学校の先生って、生徒の志望校をどのような基準できめるんでしょうか?
不思議でしょうがないんですけど、差し支えない程度に教えていただけないでしょうか。

http://homepage2.nifty.com/3249236/


[66] Re[65]: 校長 投稿者:コアラ 投稿日:2001/02/05(Mon) 21:55

> 自分の学校の各教科のカリキュラムがどうなっているのかって
> しってる校長ってどのくらいいるのでしょうか?
>

おそらくいないでしょうね。そして知ってみたところでそれを批判検討できる力を持った校長もほとんどいないでしょう。なにしろ今までは文部省が定めた通りにやっていれば良かったのですから。独自にカリキュラムを作れる教員だって極少数だと思いますよ。


[65] 校長 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2001/02/05(Mon) 21:26

自分の学校の各教科のカリキュラムがどうなっているのかって
しってる校長ってどのくらいいるのでしょうか?


[64] 総合的な学習の時間に期待するもの 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2001/02/04(Sun) 08:29

高等学校では今年度から新学習指導要領の移行措置が実施され一部の高校では試行的に実施され、また多くの高校でま平成13年度に試行の計画があり、この1年間じっくりと計画が練られました。しかしながら、総合的な学習の時間の実施にあたっては様々な検討課題が残されており、各学校でも苦悩があることが推察されます。総合的な学習の時間は各教科、科目の指導内容と異なり、具体的な内容や教科書もなく教師のほとんどがこうした性質の教育体験をもっていないことが不安や戸惑いに繋がっている。また、教育活動を展開する上でも学校の教室やスペース、情報機器設備などの容量の面、さらには教師の専門分野外の内容を指導する場合の指導の関わり方やチィームティーチング等の指導体制の確立、よりよい学習条件を求める上での予算面の後押しなど。指導の関わる先生が理想的な総合的な学習の時間を実施する上では乗り越えるハードルは多くある。
我が国でも近年急速に社会構造改革が進み、こうした変化は今後益々加速していくことが予想されます。そうした変化の中、学校教育に求められているものは、これまでの知識注入を中心にした教育だけでは不十分であることに社会全体も気づき始めこれまではあまり時間をかけられなかった体験型、問題解決型の学習を重視する必要性が求められてきました。むろん、これまでのような知識注入型の授業が軽視されるものではなく、教科科目の指導の充実とともに総合的な学習の時間による潜在的な学習意欲や興味関心を引き出す教育が両者一帯としてこそ教育的効果は高まるといえる。
総合的な学習の時間の実施にあたってはすぐに完全なスタイルができるとは思えません。
今後、様々な実践事例の研究や学校間の意見交流など、継続的にねらいや目的が十分達成
されているか検証を何度も行い改善が加えられるべきでしょう。

テーマの設定は誰もが当たり前のことを行うより、独自性のある、ある意味非常識なテーマが
でてくることを期待したいですね。






[63] レス 投稿者:QWERTS 投稿日:2001/01/30(Tue) 17:46

ライチュウ改めQWERTS

>1 掃除のときいちいち体操着に着替えさせる。「けじめ」「作業にふさわしい格好」だからだそうです。

理屈は通ってるが、面倒だろう。

>2 教室で着替えるのに男女一緒に着替えさせる。空き教室を更衣室にしましたがかぎをいちいちとりにいかなくてはならないため実際は、つかわれていない「案外上手にきがえるもんですね 」などといっています。

これ良かった、女子の下着が見れて。

>3 したがって、こどもたちは、暑いなつでも制服の下に体操着を着て、ブラウスを着て、ジャンバースカートをはいて、汗だくになっています。

体操着着るからたいそう暑いのだね。これ。

>4 冬でもコートも着ずにいます。子供に聞くと「先輩の許可がないと着られない」そうです。

これは校則という問題より、先輩の態度の問題です。学校が悪い訳ではありません。

>5 運動部の部活は、ほとんど毎日あって「つらくてもがんばる」根性が強調されます。そこから落ちこぼれると「内申書に響く」ということがまことしやかに伝えられています。

中学レベルではある程度休日を入れないと故障するよ。
内申書に直接響く事はないと思うが。

対応策 (三河学区)
すでに高校受験マニア(爆)
東海や滝、城西、三河高校などは内申影響しませんし、
豊田工専もあまり影響しません。
公立では岡崎、岡崎北、蒲郡東、蒲郡あたりは試験の点数重視です。
逆に内申重視は時習館、国府、豊丘、新城東、小坂井。

6 教師の暴力やセクハラは、泣き寝入りするか、個人で闘うしかありません。PTAに問題提起をしても「教師の人事問題にかかわることは取り上げません」といわれてしまいます。

これについては後程。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwkd6020/qwerts/


[62] Re[60]: 全人教育 投稿者:おばさんA 投稿日:2001/01/30(Tue) 01:29

全人教育という理念については、よくわかりませんが、私は子供は、今の世の中に生きているのですからそれと切り離して存在していないとおもっています。したがって、つまらない校則を押し付け、セクハラや子供を死なせても平気な今の教育現場は、社会の反映であると思っています。そして、つまらない校則すら変えることができない中に国家主義的な教育や奉仕の強制が始まったらとかんがえるとぞーっとします。だから、わたしは、ささやかですが、親として大人として、そうした現実にNOの声をあげていきたいとおもっています。それは、現在を共に生き、未来を生きる子供たちに変革のエネルギーと思想と行動を伝えていくのが大人の仕事であると考えるからです。教育現場だけではなくあらゆる場面で大人達が抵抗の思想を伝えていければよいなと思っています。
 
>  
>


[61] Re[60]: 全人教育 投稿者:コアラ 投稿日:2001/01/29(Mon) 18:07

批評を読んでいただきありがとうございます。
 お尋ねの「全人教育」についてですが、現在これを教育理念・目標として掲げている学校の実践を否定するつもりはありません。その目標に向かってさまざまな取り組みがなされることはむしろ歓迎します。
 言いたいことは現在のような差別に満ちた・抑圧と支配の世の中において「全人教育が可能」と考えている事への批判です。
 今の世の中は人間をたいへん歪めます。人間の活動を様々に歪めます。そして人間を「消費する商品」として見なす風潮はますます強まり、それは一部の人の考え方などではなく、「社会体制」として内在的にもっている性格なのではないかと私は考えます。
 また私のこのような考えに同調されなくても結構ですが、学校の教育活動だけで「全人教育」が実現できると考えるのは完全なユートピアです。そう言う意味で「幻想をふりまく」ものとして批判的に見る必要があるでしょう。教育活動と同時に必要なのは、今の社会のありかたを変える試みです。
 「全人教育」を目指す人々はこの点を忘れがちです。教育活動だけで実現できるものであるかのように言ってきました。
 このスローガンが生まれた18世紀や、この取り組みが多いになされた20世紀初頭(日本では大正時代)と第2次大戦後の時期ならいざ知らず、この理想を真剣に実現しようと骨をおってきた人なら、社会を、政治や経済の仕組みをかえることと一体でなくてはこの教育理念は実現しない事は感じているのではないでしょうか。
 私の主張は、このことを再認識した上でどうするかを考えようということです。


[60] 全人教育 投稿者:学生H 投稿日:2001/01/29(Mon) 09:14

はじめて投稿します。
批評「教育改革の抱える矛盾」のなかの『「全人教育」という幻想』で、「全人教育」という啓蒙主義的理想論〜市民革命が絶対王政に対して全ての人民を資本家のもとに結集させるためのスローガンにすぎず、戦後の冷戦構造が生まれる前の人民戦線的・ニューディール的状況の中でのみ実現されるかのような幻想をふりまくものである』とありますが、どうもよく分かりません。「全人教育」を教育理念や目標として掲げている学校は現在もたくさんありますが、そのような学校の取り組み方をも批判する考えなのでしょうか?
よろしければ、コメントをお聞きしたいと思います。

 


[59] 中学校2 投稿者:おばさんA 投稿日:2001/01/27(Sat) 15:05

「どうして掃除のとき体操着に着替えなくてはいけないのか 靴下は、白でなくてはいけないのか、体育館履きがきねられていて、それを入れる袋まで統一いなくてはいけないのか、通学用のくつは、白の運動靴でなければいけないのか」と子供が教師に質問をしたところ「伝統だから」と答えたそうです。小学校のとき、下着のパンツのような体操着と名札をつけての登校は、「危険ではないか」という声があがり変わっていきました。小学校の方が、体操着にしても通学服や靴にしても自由でした。確かに思春期のこどもたちという問題がありますがなんの根拠もなく作られている「伝統」と言うおしつけは、やっぱりへんです。「地域教育会議」とかこどもの権利条例とかがありますが、これって、機能してるんですか。いやだな、と思っても声をあげていかなければ変わらないと思いますが、声が押しつぶされたり、かき消されたりしているなかで声をあげ続けるには、かなりのエネルギーがいります。ぜひ、皆さんの知恵をお寄せください。 


[58] Re[56]: 中学校の不思議 投稿者:コアラ 投稿日:2001/01/27(Sat) 12:22

 学校というところはおかしな所です。私の勤める学校は昔は朝登校するとジャージに着替え、一日中ジャージでした。わけを聴くと「清掃のとき着替えさせるのが面倒だから」でした。でも体育で汗まみれでもそのままでした。やがて学校が落ち着いてくると「制服があるのだから普段は制服で」となり、清掃も制服で上着を脱ぐとなりました。転勤してきた人から文句が出ますが、その理由は「今までの学校と違うから」であって、何か別の考えがあってのことではありません。総じて教員は習慣でしか物を考えないようです。
 更衣室も1箇所しかなくクラス数も多いため使用できず、教室で男女一緒の着替えとなり、皆服の下に体育着を着たままです。生徒と話すと「制服があってもいいが選べるようにして欲しい。制服かジャージか体操服の中から選ぶとか、制服も女子もズボンでもいいとか、半そで短パンも加えるとか、季節とこのみに合わせて選べると良い」と言います。
 校則は生徒の手で毎年見なおし改正できるように規則で定めてありますが、この新規則を作った時の生徒には「自分たちで作る」という意識があり、3年間ほどは毎年見なおしが進みましたが、担当教員が変わるにつれ、見なおしが形式化し、しだいに規則そのものが忘れ去られ有名無実になりつつあります。
 校内に教員による「人権委員会」はありますが、メンバーの人権意識は低く、教師自身自分の権利すら知らない状況では、生徒の人としての権利を基礎に学校生活を考え直すということにはなかなかなりません。
 早く学校運営を教師と生徒と保護者と地域住民の共同決定と共同管理の形に法的にも移行する事が望まれます。そうすれば教師の中の当たり前の発想ができる少数派がもっと動けるようになると思います。


[57] Re[56]: 中学校の不思議 投稿者:公彦 投稿日:2001/01/26(Fri) 00:26

公彦@中学生です。

>1掃除のときいちいち体操着に着替えさせる。
>「けじめ」「作業にふさわしい格好」だからだそうです。

僕の学校では体育の時以外は、いちいち、体操服に着替えたり
する習慣はありません。まして、ただでさえ、掃除の時間に
遅れて来る子が多いのに、体操服に着替えたりしてたら、
よけいにけじめが悪くなります。

>2教室で着替えるのに男女一緒に着替えさせる。
>空き教室を更衣室にしましたがかぎをいちいちとりに
>いかなくてはならないため実際は、つかわれていない
>「案外上手にきがえるもんですね 」などといっています。

僕の学校でも、最近まではそうでしたが、男子生徒が
覗き見をし、一学年二クラスなのでA組には男子、B組には
女子と着替える場所を指定するようになりました。
それにしても、けじめについて、そうじでの体操服については
うるさいのに変なところでけじめが悪いんですね。どうも
胡散臭いですね。

>4冬でもコートも着ずにいます。子供に聞くと
>「先輩の許可がないと着られない」そうです。
>5運動部の部活は、ほとんど毎日あって「つらくても
>がんばる」根性が強調されます。そこから落ちこぼれる
>と「内申書に響く」ということがまことしやかに伝えら
>れています。

あ〜、僕のとこにも、そういうのいました。
えらぶって、後輩いぢめる「先輩」。
コート着させないのは、身分をはっきしさせるため
でしょう。これが、「アホらしっ」で済ませずに、
「後輩」が迎合してしまって、悪循環を引き起こして
しまうんです。僕なんかは、もう耐えれず逃げて
その先輩が卒業してから、しばらくまで幽霊部員に
なっていました。逃げも有りですが、はっきしとした
先輩に対する姿勢、ノーならノーと言える姿勢を
持たないと、悪循環が延々と続いていくと思います。
内申点どうのこうのの通ぶった先輩の言葉なんかに
踊らされる根性を持つより、そういう先輩をぶっ倒す
ぐらいの根性をもってほしいと、先輩の身分になって
後輩が先輩に迎合して、へーこらしているのをみて、
僕なんかはそう思いました。


[56] 中学校の不思議 投稿者:おばさんA 投稿日:2001/01/23(Tue) 22:20

子供が中学校に入学して、不思議をたくさん感じました。おなじことを思っている人も多いようです。
1 掃除のときいちいち体操着に着替えさせる。「けじめ」「作業にふさわしい格好」だからだそうです。
2 教室で着替えるのに男女一緒に着替えさせる。空き教室を更衣室にしましたがかぎをいちいちとりにいかなくてはならないため実際は、つかわれていない「案外上手にきがえるもんですね 」などといっています。
3 したがって、こどもたちは、暑いなつでも制服の下に体操着を着て、ブラウスを着て、ジャンバースカートをはいて、汗だくになっています。
4 冬でもコートも着ずにいます。子供に聞くと「先輩の許可がないと着られない」そうです。
5 運動部の部活は、ほとんど毎日あって「つらくてもがんばる」根性が強調されます。そこから落ちこぼれると「内申書に響く」ということがまことしやかに伝えられています。
6 教師の暴力やセクハラは、泣き寝入りするか、個人で闘うしかありません。PTAに問題提起をしても「教師の人事問題にかかわることは取り上げません」といわれてしまいます。

とりあえず思いつくものを書きました。皆さんの学校は、どうですか


[55] Re[54]: 統廃合 投稿者:コアラ 投稿日:2001/01/19(Fri) 23:33

生徒数をごまかすなど、そんなことが出きるのですか。文部省監査や大蔵省監査でひっかるのではないですか。以前私の職場が大蔵省(?)監査のとき、出席簿からクラスの緊急連絡表・給食のミルクの注文数や副教材の注文数まで調べられましたが。


[54] 統廃合 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2001/01/19(Fri) 22:59

例えば島には生徒数が島の中学生そのものが80ぐらいしか
いないのに160人ぐらいの募集をして教員の数を多く
集めています。2,3人しか受講者がなくても講座を設置し
教員の授業時間を無理矢理多くして多くの教員が必要な数字の
トリックが用いられている。
また、島の中に普通科以外に農業科や家政科が設置されている
学校は生徒は4,5人しか集まらなくてもクラスを設置し専門の
農業や家庭科の教員が10人近く集められ過剰雇用になっている。
そうした学校では教員ひとりに一部屋づつの準備室が用意され
教員は大名身分で生徒は数人。しかも卒業生は全く農業や家政の
分野には進まず、勉強しない生徒の受け皿となっている。
全く使われない施設、維持費は膨大、生徒数は一桁、教員は
過剰雇用。このような学校は都民の税金の無駄遣いの典型ですから
早期に統廃合すべきです。


[53] Re[52]: ちょっと考えたこと 投稿者:コアラ 投稿日:2001/01/14(Sun) 22:15

> 日本は個性が足りないと言われるが、個性よりは自分の考え方を発揮していく
> ことが大切である。正当なことを追求することが大切で、
> 人と違うことをわざわざやるのではない。変わったことを
> するのはアンバランスになるだけである。
> デジタル化社会の中、人の五感を高めることが大切である。音楽、美術、スポーツ
> の教育は重視すべきだろう。

同感です。ただ1つ付け加えます。国語教育が大事です。ただし今の「解釈中心」の国語ではだめです。国語の時間を増やし半分は『読書』。思いっきり好きな本を読む時間。もう一つは『表現の時間』。ここでは自分の考えを文章にしたり詩にしたり発表したりします。読書の時間の中で読んで気に入ったものの感想もいいでしょう。一つのテーマでみんなで議論するのもいいでしょう。
 このような学習を通じて、自分の考えと言うものが熟成されてくるのだとおもいます。


[52] ちょっと考えたこと 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2001/01/14(Sun) 09:40

国際競争力を維持するには
「変化の方向性に敏感になること」「自己変革すること」
既成概念にとらわれてこだわるのは駄目である。
IT革命を推進する上で、インターネットは使いっぱなしにできることに
することが絶対必要である。日本では2600万人がインターネット人口で
これはまだまだ増えるだろう。NTTは至急、音声通信とデータ通信の料金を
分離してデータ料金は定額制にするべきである。
現在はドッグイヤーと言われ1年で7年分の変化が起こる。
イギリスが元気になったのは民間でできることはすべて民間に任せたことにある。
日本は個性が足りないと言われるが、個性よりは自分の考え方を発揮していく
ことが大切である。正当なことを追求することが大切で、
人と違うことをわざわざやるのではない。変わったことを
するのはアンバランスになるだけである。
デジタル化社会の中、人の五感を高めることが大切である。音楽、美術、スポーツ
の教育は重視すべきだろう。


[51] 授業でのコンピュータの使い方について考えてみませんか? 投稿者:NECA(Nippon Educational Computing Association) 投稿日:2001/01/09(Tue) 10:24

来る1月13日アメリカ最大規模の情報教育会議NECC(National Educational Computing Conference) http://confreg.uoregon.edu/necc2001/ へ出場への公開最終審査が東京で行われます. 10名の先生方の実践が発表されます.他の学校でどんな教育,どんなコンピュータの使い方が行われているのか聞いてみませんか? 発表は日本語,入場無料,ゲスト審査委員は学研『Pasotea』編集長石井清人氏です. 事前の申し込みは必要ありません。多数の先生方,学生さんや教育に関心のある方のおいでをお待ちしております.
日時:1月13日〔土〕 開場&受付開始12:30〜 開演13:00 終了17:15 注意>解錠の関係で、13時開演とともに受付けを終了します。開場へは時間の余裕をもってお越し下さい。
場所:東京オペラシティタワー48F アップルコンピュータセミナールーム 東京都新宿区西新宿3-20-2 京王新線 初台駅下車8分 http://www.apple.co.jp/employment/map.html
後援:財団法人日本視聴覚教育協会 社団法人日本教育工学振興会(予定)
協力 アップルコンピュータ株式会社 こねっと・プラン推進協議会 株式会社サイバーネットワーク

http://www.neca.gr.jp/


[50] 哀れな世代1981年度の反乱 投稿者:ライチュウ 投稿日:2000/12/22(Fri) 22:19

18歳未満750禁止・自動車任意保険値上・再試験導入
高校受験内申重視・高卒者就職難・大学単位認定難化
初任給据え置き・国民年金免除廃止・徴兵制・MARCH価値低下
IT技術要求・次の世代に先に反乱起こされた・・・・
ドキュソ減らすためにやったそうだが
ドキュソ減らずに引きこもり増加
どれもこれも81年度に限って 反乱おきてもおかしくない
(何処かのページでカナダだったらとっくに革命が起こっていると書いてあった)
http://village.infoweb.ne.jp/~fwkd6020/hamakada/

http://village.infoweb.ne.jp/~fwkd6020/hamakada/3/000.htm


[49] Re[48]: 総合的な学習の時間の実施にあたって 投稿者:コアラ 投稿日:2000/12/14(Thu) 22:46

総合的な学習の時間の設定は、私はカンフル剤だと思っています。かなり強力なショックを心臓に与えて、その鈍った動きを活性化させようというもの。いわば劇薬です。しかし現場にこの劇薬の使用の仕方を分かっているものがどれだけいるのだろうか。教科書もない・何をするかは定められていない・要は教員側の創意工夫・子供を動かせ・子供の学ぶ意欲を信じろ育てろという言い方でやられても、学ぶ力を育てろと言われても、今まで何十年とただ教科書に載っていることをただ口移しのようにして詰めこんで来ただけの教員が絶対多数を占めている中でどれだけ総合的学習がその本来のねらいにそって実施されるだろうか。私の職場の同僚を見ていても、行き当たりばったりで無計画な活動をしているだけ。生徒のほうはあまり強制されずに比較的好きな事がやれるぶんだけ好評だが、それでいったいどんな認識が深められ、どんな力がついたのかは全く予測も評価も出来ない状態で推移しているのが実態。文部省が提示した「環境」「人権」「国際理解」などの柱の意味も深く論議はされていない。
 今まで少しでも文部省の進めてきた単なる受験のために過ぎない知識詰め込み教育に疑問を感じ、それと違った真の教育を目指してきたものが、この総合学習を中心とした教育改革の推進役をやるしかないでしょうし、このことを通じてしか、教員の意識改革はできないように思う。
 大事なことはこれらのテーマを深めるために既存の各教科がどんなことを個別にやってきたのかを点検し、それをもっと効果的に学習するためには、どの教科とどの教科とを、そしてどの単元とどの単元とを組み合わせて学習するのかを、きちっと考えて組んで行く事です。そして同時に今までの必修教科や選択教科の内容や学び方も根本的に見直されなければならないと思う。
 しかし、今の入試体制がそのままであれば、この取り組みもあまりに大きな障害にぶつかり頓挫するのは必定。早期の入試体制の根本的な変革が望まれる。


[48] 総合的な学習の時間の実施にあたって 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2000/12/13(Wed) 20:16

総合的な学習の時間については、私たち教員にとっても教科書や事例のない授業を進める必要があり戸惑いや不安がある。さらに指導体制の確立や条件整備をどのように進めていくのかについて、十分に議論が尽くされていない課題が多くあり教員自身の意識改革の必要もある。
 しかし、教育改革が国家政策の最重要課題であり、今回の教育改革において総合的な学習の時間は改革の目玉である。総合的な学習の時間はこれまでの教科指導とは授業の性質が大きく異なり、生徒達の学力を「学んだ力」から「学ぶ力」へ比重を高め、教員だけでなく生徒にも学習に対する意識改革を促すこととなるはずである。むろん、これまで一般的に行われていた知識注入型の授業が否定されるものではない。高校生の知識は学問の到達水準という観点から未熟であることは当然であり教科指導は十分行う必要がある。同時に総合的な学習の時間は、これまで機会の少なかった潜在的な学習意欲、興味や関心を引き出す教育として車の両輪のごとく行われることによって教育的効果は一層前進するものと考える。さらに各学校の教育課程全体は慎重に議論され、教科指導、総合的な学習の時間、特別活動は三位一体となり生きる力を育成するように取り組まれるべきである。具体的に実施された後も各学校で十分な検証を行い、ねらいや目的が成果を上げているかを自己評価することが重要である。
総合的な学習の時間全体に言える事であるが、問題意識の醸成や課題の決定、資料を検索する、発表を行う等、どれをとっても基礎学力無しには成立しえない。本領域の活動を行う事によって、生徒が更に基礎学力の充実を図るようになり、それが再び本領域に還元されるのが理想である。このためには、生徒に対する動機付けを教員が工夫する事が欠かせない。


[47] Re[46]: 中学校教師Kさんル−ル作りに同意見です 投稿者:コアラ 投稿日:2000/12/10(Sun) 16:59

私の職場では総合学習の導入を視野に、ここ5年ほどかえって行事を増やしてきました。春に一日校外学習を設けて環境学習や地域学習をできる時間としたこと。また9月の体育祭は準備のための1週間は授業をカットして体育祭準備に専念してきた事。さらに10月の文化祭の前の1週間は午前中授業として午後を全部文化祭準備時間とし、この期間に校外に調査や学習に出かけることを可能にしたこと。そして3学期には1年生は職業講話を設け、地域の方に協力してもらいさまざまな仕事について語ってもらう時間としたこと。2年生は一日職業体験を設け、同じく地域の企業などに協力してもらって様々な仕事を体験できる場としました。そして行事の準備のしかたも生徒が企画運営する方式を出きる限り取り入れました。例えば体育祭は1〜3年の縦割りクラスにして応援団を作り、応援を自分たちで考えたり、屋上から垂らす大きなマスコットを自作したり、ダンスや組立て体操も生徒たちが内容を考えるようにしています。係にもボランティア方式を取り入れています。文化祭も生徒の委員にボランティアを加えた運営委員会を設けて実施し、クラスや学年や有志団体・個人でも参加できる体制で臨んでいます。毎年ロックバンドや自作劇やコントなど多彩な出し物で楽しくやっています。
 ずいぶん前から生徒が主体的に関われるような体制をつくることを目指した結果です(校則も生徒の手で毎年再検討されるよう規約に条文を入れてあります)。


[46] 中学校教師Kさんル−ル作りに同意見です 投稿者:RF川崎 投稿日:2000/12/09(Sat) 10:53

 「ル−ル作り」について私も賛成です。新教育課程のもとで総合学習などが叫ばれていますが、現場では、学校5日制にもとづいて、行事の精選が数年前から言われ、様々な行事の削減とともに、
ひとつの行事に向けての取り組む時間が少なくなってきています。
 当日の見栄えばかりを気にして、それまでの過程を大切にしていないのではないでしょうか。Kさんが言われるように、遠足などの
行事もそうですが、体育祭、また文化祭なども、何をやるかなどの
子どもの話し合いなどが十分とられずに、教師側の一方的な内容に
なりがちです。
 中には、合唱コンク−ルでは無理矢理に歌わされたという気持ちしか残らず、教師側だけが満足してしまうケ−スもあります。何のためにやるのかから、もっと子どもと話し合う時間が必要です。
 川崎市では子どもの権利条例が議会で提案されるそうですが、その中身として、教師、親、子どもの組織を作ろうとしていた原案に対して、子どもを省く内容になっています。「子どもが主人公の学校作り」について、もっと真剣に議論していく必要があるのではないかと思っています。今、私自身は現場で、子どもが一番内容的に参加できる文化祭の灯を消さないようにと、毎年、劇などをやってきていますが、他の学校ではどうでしょうか?


[45] 先生の取組みを発表しませんか? 投稿者:NECA 投稿日:2000/12/06(Wed) 11:53

NECCは小中高校の教師のための全米最大規模の情報教育をテーマとしたカンファレンスです.Nippon Educational Computing Association (NECA)はNECCの日本交流窓口として活動しています.コンピュータをはじめとする新しいテクノロジーを使ってどうやったら良い授業が出来るか,どんな新しいコミュニケーションが開けるのか,教育制度はそれぞれ違ってもこの会議を通して深めてみませんか?.現在この会議で日本を代表して実践事例を発表していただく先生を選出するコンペの参加者を募集しています.大規模なシステムであったり,公的な予算のついたプロジェクトである必要はありません.また,英語が堪能であるとか,コンピュータに精通している必要もありません. 独創的な授業実践で,熱意と夢をもった,多くの先生のご応募をお待ちしています.まずはinfo@neca.gr.jp まで名前.都道府県.学校名.e-mailをお知らせ下さい.そしてメール配信のNECAニュースを覗いてから是非参加をご検討ください
問い合わせ先 Nippon Educational Computing Association (NECA)
〒104-0051東京都中央区佃2-1-1 Century Park Tower #3609
E-mail info@neca.gr.jp

http://www.neca.gr.jp/


[44] Re[43]: 定員割れの大学と同じ 投稿者:コアラ 投稿日:2000/11/19(Sun) 22:05

 やはり底辺の生徒たちをかかえて苦闘しているのですね。私は教科の枠も壊し生徒の興味や自主性に任せるのが教育であるとは思いません。教育はある力をつけるという目標のために組まれたプログラムによってなされるものだと思っています。・・・しかし現実の生徒たちは、今の学校教育によってズタズタにされ学習する意欲も失い、その結果として酷い低学力に陥っています。日本人なのに満足に日本語も読めないまま、漫画すら読まない子供たち。・・・この現実を前にしたとき、このように意欲を削がれた生徒たちの学ぶ意欲を再び起こさせるには、教科の枠をはずした自由な活動が当面は必要なのではないでしょうか。そこで学ぶことは従来の「教育」という考え方からすればほとんど役に立たないかに見えるものかもしれませんが、そして就職ということにはすぐには役に立たないかもしれませんが、学ぶ意欲を喚起し、学ぶことを楽しいと感じる人に戻すためには、それでも良いのだと思います。・・・・今各地で行われている試みは(文部省が進める改革も含め)、この壊れかけた学校と学ぶ意欲を失った生徒という現状から出発して、それを変えて行く試みだと考えます。


[43] 定員割れの大学と同じ 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2000/11/19(Sun) 21:25

将来的に時間数の少なくなる、理科、数学、工業、商業、農業の
先生には情報の免許を、家庭科の教師には福祉の免許を
取ることを奨励しています。この動きは特に職業科の教師には
企業のリストラにも匹敵する危機感を与えているのですが、
それによって職業科はどんな酷い生徒でも受け入れて、全員を
卒業させることで存続意義を強調しているのですが
中身は何でもありになっていて、教育している学校を見ることは
職業高校では珍しいです。
卒業はさせても就職は50%以上できなくても、今は不況だから
で済ませてますから。


[42] Re[41]: 現在の職業高校について 投稿者:コアラ 投稿日:2000/11/18(Sat) 23:20

都立高校はそんなにひどいのですか?。私の職場の近くにある神奈川県立の工業高校はいろいろと工夫し、授業内容もさまざまに工夫しているようですし、市内の市立の工業高校は学科として科学科という理系の特進コースを設けて以来学校全体の新入学者のレベルがあがっていったと聞きます。また市内の底辺レベルの普通科高校は綜合学科に変身し、さまざまな系を設けて、生徒の興味を深めるコースを設けています。それ以来学校が変わったそうです。
 神奈川の高校の動きを見ていると、普通科も職業科も従来のものとは様変わりしてきて、何を学びたいのか考えていないと学校すら選べないようになってきていて、ただ漫然と高校に進学するという意識ではどこにも行けないようになっていくのではないかと思います。


[41] 現在の職業高校について 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2000/11/18(Sat) 06:44

大半の学校は普通科の勉強に
ついていけない生徒が実習が中心のため、お茶をにごす程度の
ことしか行われてなく、その分野に就職する生徒はほとんどいない
という現状。
職業高校の存続意義はあるのでしょうか?
特に、農業科、家政科あたりは教師の趣味に生徒を
つき合わせているというのが実態ですが。


[40] 複合選抜 投稿者:ライチュウ 投稿日:2000/11/14(Tue) 22:40

更新しました、良かったら見に来てください。
複合選抜(愛知県高校入試)のしくみと改善案、攻略法などを載せています。
同時に鉄道論のページも更新しました。
安ナントカさんが「のび太のコピー」と言う名前で他の掲示板を荒らしております。気をつけてください。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwkd6020/hamakada/3/000.htm


[39] Re[38]: クラブ活動は? 投稿者:コアラ 投稿日:2000/10/25(Wed) 23:22

クラブ活動をやる生徒は減っているわけではないと思います。「全員入部制(授業時間のクラブをやらない変わりに放課後の部活動には全員加入という制度)」ですから実態がつかめないのですが。いわゆる幽霊部員と言うのがかなりいるとおもいます。運動部が主体ですので、毎日日曜日もなく練習に明け暮れるのについてはいけない生徒も多いと思います。それ以外は結構やっていると思います。指導者に力のある教員が多いせいか運動部はとても強く、市内でも2・3番に入ります。少ない文化部の活動も活発です。
ただ地域と一体になった指導体制は、これは掛け声だけですね。実際に助けてもらっているのは野球部のみ。それも昨年顧問が変わってからは、かえってやりにくいようで、最近では地域の人に指導してもらうのはやめたよう。部活動は完全に教員の労働奉仕でなりたっています。
地域との連携は、文化祭や総合学習や進路の職業体験学習などで助けてもらっています。昨年は総合学習の一環として地域の在日の御母さんに韓国の料理を習いました。手話や点字も習っています。


[38] クラブ活動は? 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2000/10/25(Wed) 22:48

最近はクラブ活動をやる生徒はやはり減っているのでしょうか?
地域との一体となった指導体制という、かけ声だけは大きいの
ですが、、、


[37] Re[36]: 様々な指摘から 投稿者:コアラ 投稿日:2000/10/24(Tue) 21:43

教師にも様々な人がいます。たしかに丸暗記ではない教育を行っている人はいます。でもこれは極少数派でしょう。自分自身の問題で言えば、そのような教育を受けたのは高校でのこと。小中学校では面白いと思った授業はほとんどなかったな。だいたいいつも予習をしておいたから授業を受ける前にほとんどの事は理解していたと思う。でも高校は面白かった。様々に工夫したすばらしい授業をしてくれた教師が何人もいた。でもやはり全てではなく一部ではあった。
学校で一番大事なのは小中学校だと思います。この学び始めの所で学ぶ事が面白くなるかつまらなくなるかはほとんど決まると思います。・・・でもきついですね。一人で何教科も教える事は。
中学校に入って生徒たちは良く言います。中学校の方が面白いと。私の職場は比較的そのあたりを工夫した教師の多い職場ですし、諸行事の持ち方なども市内の多くの中学校とも違います(このあたりはこのホームページの各所の記事で分かると思います。そうでなければ市内随一と言われた荒れた学校から約10年でさまざまなことで市内一といわれる学校に変貌させる事は出来なかったと思います)。生徒たちから聞いた小学校の様子や近隣の小学校を参観したときの様子、そして組合の教育研究会などで垣間見た様子から察するに、小学校は大変です。深刻な崩壊の様相を呈していますね。・・・・いつも冗談交じりに言っています。中学3年間のうちの最初の1年半は、生徒をまともな中学生にリホームする期間だと。中学校は実質1年と少しだけ。あと2年は欲しいねと。
 今の青年たちの学力がかなり落ちている事は中学段階ですでに深刻な問題です。数学的な考え方を日常で使えない。いや日本語を使って論理的に考える事もできない。それどころか日本語する理解できない生徒が山ほどいます。それを訓練しながらしか日々の学習は進みません。といってただ単に基礎訓練だけでは面白くもありませんから、興味を引くような課題を与えそれを解く過程で様々な力をつけられるように工夫します(僕の工夫については社会科の授業のコーナーを見てください)。
 制度が悪いから社会のしくみが悪いから、教師に力量がないからといって何もしないわけには行きません。学習の途中の段階からでもまだ生徒たちの意欲を引き出し力を伸ばす事は可能だし、これが教師の仕事なのですから。
 しかしこの事は個人的な取り組みでは限界があります。やはり組織的にやらねば効果は小さくなります。たとえば僕個人が社会科の中で出来る事は限られています。例えば国語力。やはり中学校の国語の授業を変えて行く事が同時に行われる必要があります。もっと表現活動中心に変えて。そしてあらゆる教科の学習内容と学習方法が変えられる必要があります。・・・ここ5年ほど。校内の研究会を通じてこの問題を議論してきました。そして教科内での討論だけではなく、教科をこえて研究授業をやったり討論をしたり、いろいろやってきました。すこしづつ授業も変わりつつあるし、教師の意識も変わりつつある。
 でも大きな壁がありますね。中学校教育には。・・・最大のものは高校受験。今の高校選抜のシステムとテストのないようとやり方が変わらないと、どうしても中学の授業は知識暗記型にならざるをえません。したがって様々に課題を設け考えて行く授業とは別に、入試対策用の授業も組まざるをえません。なのに総授業意時間が削られるのですからたまったものではありません。
 やはり制度の壁は大きいと思います。
 それから今の文部省の改革路線はアメリカ型なのでしょうか。私には1920年代のヨーロッパの自由主義教育運動からかなり学んでいるように思うのですが。
 それから日本のベンチャーの企業家たちの多くが海外留学の経験者だということをあげて海外との比較も必要との論拠とされましたが、そう単純にはいかないと思います。留学期間の長さにもよりますし、個人の資質にもよります。まあ違いを言えば日本の学校はここ20年ほどの間にかなり硬直化して自由にものを考える雰囲気がなくなってはいると思います。単純な授業時間の比較ではなく、授業内容や学習方法、そして学ぶ場の雰囲気なども比べてみる必要はあるとは思います。


[36] 様々な指摘から 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2000/10/24(Tue) 20:56

文章から推察するに
教育の問題を「教育という社会の構造」と「教師の資質」
ととらえているように思われます。
まず、海外との比較という点ですが最近よく提示されている
海外との授業時間数のことを言っているうですが、
世界からの留学生の多い、スタンフォード大学やマサチューセッツ
工科大学の先生たちも15年前は海外の留学生では日本からの
留学生が最も優秀だったが、現在は豪州、インドの学生が最も
優秀で日本の留学生は年々能力が落ちていることを指摘しています。
現実に日本のベンチャーの起業家の孫さん、沢田さん、南部さん
などは現在40歳前後、日本で最も受験競争の激しい時期の
人達で海外留学経験者です。
更に文部省の教育改革の路線にしても骨組みはすべてアメリカ型
教育ですから、丸々すべてが日本に当てはまるとは言えなくても
予想をする上では説得力あるサンプルになります。海外の教育の
比較研究なしには人に理解を求めることは難しいです。

次に「教育の構造」や「教師の指導方法」に問題があるから
勉強しないこどもが増えるのは当然だ、ということでは何の解決
にもなりません。学力観にも新しい学力観なるものがありますが
所謂、従来の学力が低下していることは大変な問題ですよ。
教育を取り巻く環境が悪い、教師に力量がない、そんな教育しか
受けていない、と言ってもその生徒達も20歳になれば社会人
として責任を果たさなければならない立場になるのですから
打開策を打ち出さねばならないし、教師は能力を高めるための
方法を模索しなければなりません。

教師の問題ですがコアラさんの周囲やご自身の受けてきた教育は
そんなに丸暗記教育しかできない教師としか会ったことがないんで
しょうか。私の知っている教師には色々と工夫をし味のある
指導をして学問の本質を教えている先生はたくさんいます。
まぁ、これも学校と同じですべてではないということなんでしょうが、、、

最近、高校の教師が定年後の再就職先を捜すのに結構苦労していません。
何故かというと、企業や大学が、国語、英語、数学、理科の教師
などが補習や再教育のために雇われているのです。
学校関係者の立場と実社会の立場では学力低下問題については
ギャップがあると同時に社会は危機感を持っているのです。

私自身も受験勉強の時代に、問題を1番からやらないこととか
記号にしるしを付けなさい、と記号を丸で囲みなさい、の解答の
仕方の違いを教わったりしましたが、そうした能力でなく
考え方や学問の面白さを学ばせ知識と教養を高める教育を
見失ってはならないはずです。


[35] Re[34]: 本日の日本経済新聞の一面 投稿者:コアラ 投稿日:2000/10/23(Mon) 22:07

> 現在の教育の問題の原点をまさに的確に指摘しています。

私もこの記事を今朝読みましたが、「現在の教育の原点を的確に指摘している」とはおもいません。現象の表面だけをなぞったレポートに過ぎないと思います。おそらくこの間の日経新聞の論調から推察すれば、「ゆとり教育が日本の教育を破壊した」と今後の結論はなるのではないでしょうか。ちょうど彼方の意見と同じく。
私は「ゆとり教育」に問題があるのではなく、もはやそれさえ実現できないほどに力の衰えた学校現場をつくってしまった後になって、その根本的な反省と総括にたって、徹底的に学校を作りかえる事をせずに、「ゆとり」などと小手先の妥協策でことたれりとした文部省の姿勢にこそ問題の原因があるのだと思います。そして同時に単なる学歴だけを追い求め立身出世をはかる手段として教育を捉えてきた日本の国民の多数派が、そのことの間違いにも気がつかずにいまだにより高い学歴を得るための手立てを教える役割を学校に期待し続けているがゆえに、ただ知識だけを詰め込んできた教育の本質は変わらず、上からの強引な改革が現場をさらなる混乱に追いこんだのだと思います。
 日経の記事に「漢字が読めない」とありましたがそれは当然です。今の教員の多数は、すでに漢字が読めない。意味がわからない。原因は義務教育段階でただ機械的に多数の漢字を暗記させてきたからです。これは「ゆとり教育」がはじまる前からです。漢字には字の形に意味があり読みにも意味があるわけですが、そんなことにお構いなしに棒暗記させてきました。その上小中学校の国語の授業はたんなる文学作品の解釈授業に出しており、学校の授業によって本を読む事がつまらなくなり、かえって生徒たちを本から遠ざける結果となっています。そして学校の国語の授業で表現活動と言うのはほとんどありません。これじゃ日本語を使えなくなる訳です。数学も同じ。どう考えるのかということを抜きに、また数と言うものの実態をつかむことなく九九を棒暗記してきた。そんな日本語もつかえない数の意味もわからない、考える力もない教師たちにいきなり「考える力をつける」授業をしろといって、教科の教える内容や教えかたの改善をすることなく、ただたんに教科の枠を超えた学習をしろだとか、体験学習をしろだとかいって、その上必修教科の授業時間も削減する。しかも小学校は一人の教師でほとんどの教科を教える。・・・・これで現場が混乱しないはずはありません。わからない生徒を大量に作り出したままで改革が暴走するのですから、生徒の学習意欲がさらに低下するわけです。
 「ゆとり教育が日本の教育を壊した」のではなく、戦後の受験一辺倒の教育が学校を興廃させ、その生命力を奪ったところに、「ゆとり教育」という混乱した処方箋の間違った強力なカンフル剤を打ったのですから・・・・。学校が死なないはずはありません。
 また今の教育論議ですぐ諸外国と単純な比較をしがちですが、それぞれの国の教育制度はその歴史が違い、単純に授業時間を比較しても何の意味もありません。それより大事なのは子供たちが学習する事にすでになんの意味も見出していないと言うところが問題なのではないでしょうか。
 「中学生の4人に一人が学校外では数学を全く学習しない」ことがそんなに問題ですか。意味もわからず楽しくもない学習を家でするわけがないでしょう。私は4人に一人がという数字にすら疑問を感じます。私の現場の時間では2人に一人ではないですか?。家で学習する子供なんて今の授業の内容や方法のままなら2〜3割に落ちて当然だと思います。

>
> 私立高校の教育は歪んでますかね?
> 私立でも様々で経営手段として人を集めて飼い殺し状態に
> している学校もあるのは事実ですが、学問の本質を極める土台を
> しっかり指導しているのも事実です。若い能力を引き出す教育は
> 木目細かくじっくり時間をかけて生徒を伸ばしかつ、保護者など
> に評価されていることを、歪んだ教育で片付けては
> 公立高校はいつまでも中の教師の自己満足だけで
> 外部からは全く評価されないで終わってしまいます。
> 都立でトップクラスと言われる赤坂見附の学校やウエストの日本語
> の高校ですら「ゆとりの教育」といって3年生の午後は
> みんな予備校で受験勉強することが、真の教育なんですかね。

ようするにあなたが言っている事は私立でもちゃんとした教育を行っているところはあるということでしょ。でもそれは公立でも同じです。都立にそう言う高校があるかどうかは知りません。またわたしは「ゆとり教育」が真の教育だとは言ってはいませんよ。

 今大事なのは何をどのような方法でいつまでに学ぶことが必要なのかをきちんと論議する事でしょう。子供を鋳型にはめ込む事しかしなかった文部省の改革が良いわけなどありません。しかしその文部省自身の混乱は、真の教育とは何かを議論し作り上げていくおおいなる契機にと転化できると思います。そのためにはこれまでの教育のありかたを丁寧に再点検してみることが大切だと思います。レッテル貼りや単純な外国との比較はもう無用です。


[34] 本日の日本経済新聞の一面 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2000/10/23(Mon) 20:35

現在の教育の問題の原点をまさに的確に指摘しています。

私立高校の教育は歪んでますかね?
私立でも様々で経営手段として人を集めて飼い殺し状態に
している学校もあるのは事実ですが、学問の本質を極める土台を
しっかり指導しているのも事実です。若い能力を引き出す教育は
木目細かくじっくり時間をかけて生徒を伸ばしかつ、保護者など
に評価されていることを、歪んだ教育で片付けては
公立高校はいつまでも中の教師の自己満足だけで
外部からは全く評価されないで終わってしまいます。
都立でトップクラスと言われる赤坂見附の学校やウエストの日本語
の高校ですら「ゆとりの教育」といって3年生の午後は
みんな予備校で受験勉強することが、真の教育なんですかね。

全く勉強をしない子どもを最近10年で3倍に増やしてしまった
責任はどこにあるというのでしょうか?


[33] Re[32]: 組合 投稿者:コアラ 投稿日:2000/10/22(Sun) 23:11

たしかに今の組合は硬直化し、なんでも反対の姿勢をとる阻害物に成り下がっています。文部省の教育改革を利用して、さらにそれを推し進め、今の学校のありかたを根本的に変えるぐらいの構想が欲しいです。
 ただあなたの御意見の中で、「進学を重視した私立高校に公立高校が対抗する必要あり」には理解に苦しみます。極論を言えば、今の受験体制に順応した歪んだ教育は私立にお任せし、公立は真の教育を行う場になるべく特化して良いと思うのですが。中学校までの踏みつけに去れてきた若者たちを、その力を蘇らせる場に公立高校がなったほうが良いと思います。・・また「ゆとり教育が勉強しない都立高校生をつくった」と言う言いかたにも賛同できません。あまりに不正確な言い方です。これは昨今の教育内容削減反対論=学力低下論と同じく、今の受験で歪められた知識教育のあり方を肯定しかねない物言いだと思えるのですが。


[32] 組合 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2000/10/22(Sun) 22:46

これも現在は百害あって一利なしですね。
教育改革の最大のブレーキになっています。
これがおかしな情報を職場にながすと
公立はますます私立に踏みつぶされます。


[31] 東京の問題 投稿者:教師の意識革命の会 投稿日:2000/10/19(Thu) 19:46

東京では完全に私立高校の落ちこぼれを都立高校が拾う、
という構造が確立しており、都立高校は完全に崩壊しています。
人は踏み続けられると負け犬になるように、
都立高校の教師は完全に負け犬になっています。
制度の改革だけに望みを託す教師ばかりで、自立する意識に
欠けた教師が多く、また、そうした流れを容認してきた
都の教育委員会にも責任があります。
チャレンジスクールや単位制など底辺の教育には熱心だが
進学を重視した私立高校に対抗する学校は全く進められていない。
受験を否定し、ゆとりの教育を目指した結果は
世界の先進国で一番勉強しない生徒を生み出したのは
間違いない事実である。賛否両論ある議論であるのはわかるが
ゆとりの教育は勉強しない都立高校を作ったのは間違いない事実だ。
間違った教育のスタートは、ゆとりの教育、の路線にあることに
早く気付くべきだ。


[30] 大検を廃止せよ 投稿者:野比銅鑼衛門 投稿日:2000/10/01(Sun) 17:22

ある三河学区の全日制の高等学校では、国公立大学を受験したいのなら、大検にしろと言ってくる。なぜだろうか。そもそも全日制の高等学校に在学していると、大検を受験できない。それでも大検にしろと言ってくるのは、その高等学校の卒業資格では、原則として私立大学しか受験できない(正確には国公立の大学側が手間を省くため底辺校出身者を浪人生を含めて採点していない。)のだ。だからといって別の高等学校を受験し直すにしても、評定が足らずにこれまた合格点に達しない。(三河学区の場合)

また、朝鮮人学校、外国の高等学校卒業者が大学受験その他高卒以上が必要な受験を受験できないのは、大検があるからと文部省は言っている。とはいえ、日本の中学校を卒業していないと、大検の受験資格も無い。

さらに、定時制高等学校、通信制高等学校のレベルダウンも、大検が関与している。なぜだろうか。それは定時制高等学校、通信制高等学校が卒業しにくい点にある。大検は全部合わせて52単位だが、定時制高等学校、通信制高等学校は80単位も取らなければならない。そのためそれらの人気が無くなって、定時制高等学校、通信制高等学校は人気が落ちるのである。せめて、6ヶ月で15単位まで履修可能とし、単位数を60単位まで落とした方が良いだろう。

4年前、愛知県の豊川閣豊川学園高等学校定時制から名古屋帝国大学理学部に合格して人がいた。定時制からはその人1人だけだったらしい。そこの全日制課程からは東京帝国大学に1名、名古屋帝国大学に2名が合格した。ちなみ主婦殺害事件のあった高等学校である。

更に大検が国家の管理教育に使われる危険性がある上、大検の合格者は東京近郊に集中しており、地域間格差を生み出す結果となっている。

その他大検は高等学校卒業後は受験できない為に、てるくはのるを出現させてしまった等問題点が多いので廃止すべきだ。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwkd6020/dora/index.htm


[29] 某都立高校の実態 投稿者:ryouta 投稿日:2000/08/12(Sat) 12:09

別に俺のページじゃねーけど君が本気で学校を変えたいならこのページはみるべきだと思う。悲しい現実かもしれないがこういう学校もあるんだよ。URL入れとくよ。

http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=maue


[28] Re[27]: 教師目指してます! 投稿者:サイト管理者 コアラ 投稿日:2000/08/03(Thu) 14:17

教師ってやりがいのある仕事ですよ。大変ですけど子供たちのキラキラとした目の輝きが活動のエネルギー源です。「もっとキラキラした目を見たい」。この気持ちが大事ですね。大学での学習を充実したものにしてください。


[27] 教師目指してます! 投稿者:きら 投稿日:2000/08/03(Thu) 01:07

私は現在大学1年生で、教師を目指しています。
ちょうど今、学校で「教育論」を学び、元教諭、元校長、元教育委員会幹部の方々から色々な話を聞かせていただいてます。
私も教師になれたら生徒達と一緒に「楽しい学校」が作れたら・・・と思っています。
時々、このページをのぞかせていただきます。


[26] Re[25]: 学校を楽しくする会より 投稿者:サイト管理者 コアラ 投稿日:2000/07/01(Sat) 23:14

学校を楽しくする会ですか。いいですね。また人権を無視した校則や慣行をなくしていくとりくみをなされているそうですばらしいことです。今後の御便りを楽しみにしています。


[25] 学校を楽しくする会より 投稿者:niketann 投稿日:2000/07/01(Sat) 14:53

今日は,私は学校を楽しくする会をこっそりと運営している
公立学校の教師です.私達ちのグループでは,メンバーのほとんど全てが生徒で作られています.今取り組んでいることは,学校の中に当たり前のようにある,人権を無視した校則その他不文律の決まりを取り壊して行く取り組みです.これから,時折グループの生徒たちからの言葉が届きますので宜しくお願いします.今日は,自己紹介まで.それでは,さいなら.


[24] Re[23]: 森喜朗首相の時代錯誤的暴言 投稿者:サイト管理者 コアラ 投稿日:2000/06/04(Sun) 23:18

森首相の「神の国」発言は、彼の本音が出てしまったものと思いますし、巨大与党の存在に奢った結果でしょう。これは自民党支持者の間でも不評であり、支持率は一挙に急落し、総選挙になっても森首相の応援演説すら断られ始めています。これは当たり前の事です。自主憲法制定を党是とする自民党であっても、戦前の天皇制国家の否定は前提条件だからです。私は彼の発言はけして容認できませんが、こんな時代錯誤の発言が飛び出す背景のほうにこそ注意を払うべきだと思っています。でも残念ながらマスメディアの報道を見る限り、野党各党もマスメディアもここまで目が行っていませんね。
 この超右派とでもいうべき森首相が出てきたのは利益誘導型政治を主導し、日本の政治の構造改革が必要になってもあいかわらず利益誘導政治を続けようとする勢力がそれを代表する小渕派を担いで、従来比較的疎外された位置に置かれていた自民党右派にまで、その存立基盤を広めようとして右派との妥協を図った結果だと思います。そして政権安定のために公明党まで抱き込むことにしたときに、その公明党の現体制護持の踏絵として君が代日の丸の法制化を右派からつきつけられそれに妥協してしまった結果、いっきに自民党右派の戦前体制回帰型の政治姿勢が自民党政治の全面に出てしまった結果として、森内閣はあるのだと思います。「神の国」発言以来担いだはずの小渕派が森との距離を微妙に変えているのは、このことの持つ危険性を小渕派自身が感じ取っているからにほかなりません。しかし、この無責任さこそ責任追及されなければなりません。政治の経済の構造改革が必要だったときにそれをボイコットし、従来の利益誘導型政治を何とか維持しようとした結果が、戦前の亡霊の跋扈を招いたのです。「神の国」発言を追及するときにはこの観点を抜いては、自民党流の二枚腰にまんまと逃げられますね(もう逃げられているかも)。
 また安さんの「文部省解体論」ですが、これは文部省と自民党・および自民党右派とを一体のものと見誤っています。「政府が教育を授ける権利をもつ」との発言や「教育勅語を擁護する発言は」文部省ものではなく、自民党右派のものです。多くの、現在教育の構造改革を進めようとしている文部省官僚には迷惑な話しだと思います。(神の国発言の時の宮内庁の一官僚の「迷惑。憲法を守ると発言されている陛下の御言葉を何と考える」という抗議発言のようなものが文部官僚から出ていないのは、復古的考えの官僚が文部省には一部いるということの現われに過ぎないと思います)私は現時点において文部省解体というのは現時点において天皇制解体というのと同じくらい非現実的な意見だと思います。現場はもう120年におよぶ国の統制で死んでいます。自分で考えられる「教師」は、ほんの一握り。文部省を解体してしまったら、教育の構造改革は進みません。とりあえず、現在の改革にさまざまな不充分なところはあるにしても、私は当面は文部省を支持していきます。
 現在のような体制の危機の時代には、支配勢力の間に矛盾が起きるということを肝に銘じ、自民党を一つのものと考えたり、官僚と自民党とを一体のものと考えたりしない方が賢明だと思います。


[23] 森喜朗首相の時代錯誤的暴言 投稿者:安 寛治 投稿日:2000/05/18(Thu) 02:52

 「日本は天皇を頂点とする神の国だ」と言う森喜朗首相の暴言を聞
いて、「時代錯誤だ」と思った方々が大半であろうと思う。こんな皇国史観を唱える者が「教育改革国民会議」の座長では、戦前の悪夢が甦ってしまう。
 私が教育権を国から解放すべきだと言うのは「権力性悪説」に基づくもので、権力者が教育界を支配して、国民を洗脳する恐れが大きいからである。現に戦前の権力者は、国の教育権を武器に皇国史観を煽って、国民を侵略戦争に駆り立てたからね。
 昭和前期の皇国史観と軍国主義は、教育勅語のように、国が教育を統制していた為に蔓延したのである。ところが今でも国が教育権を握っており、今のままでは昭和前期の轍を踏みかねない。にも関らず、「国が教育を“授ける”権利」を憲法や教育基本法に明記するとは、正に皇国史観の時代に逆戻りではないか。
 文部省を解体して教育権を国から解放し、128年に渡る国家統制教育を清算しよう!

参考網址
http://www.edugeo.miyazaki-u.ac.jp/reform/r794.html
豊島耕一「文部省廃止論」
http://pegasus.la.saga-u.ac.jp/UniversityIssues/edscmin.html
豊島耕一「教育科学技術庁は、文部省より権力的だ」

http://www.sinsyakai.or.jp/syutyo.html
新社会党主張録 森政権が「政府が教育を“授ける”権利」を憲法に
明記せよと主張


[22] Re[21]: (無題) 投稿者:サイト管理者 コアラ 投稿日:2000/05/05(Fri) 23:40

『歴史を習う人々に何かを教えるという事では無く、何らかの考える機会を与えて上げられればそれで十分ではないでしょうか。人間はあき盲ではないのですから、何らかの機会があれば自分でいろいろ調べ、自分で考え、判断していくと思います。』
 これはこれからの歴史教育のあり方としてとらえればそのとおりだと思います。でも自分で考え自分で判断していくようにはほっておいてなるものではないと思います。いや正確には今までの教育は自分で考えないように人間を矯正してしまったのだと思います。人間には本来自分の力で考え判断して行く力があるのにも関わらずです。
ですから『歴史を習う人が、教えられた事をそのまま鵜呑みにすると考える事は、ある意味でとり越し苦労では無いでしょうか』とい釆女さんのご意見は逆に今までの学校教育の恐ろしさを軽視したものだとおもいます。釆女さんはご自分で探究されてきたようですが、それは学校教育で歪められなかった幸運な人と思うのです。多くは考える事を停止させられてしまっていると思います。

 ちょっと勘違いした部分がありましたね。釆女さんのおっしゃりたい事は『自分と他人とを比べて常に優劣をつける』教育が人間本来の持っている大切なものを失わせたということですね。そうであればこれは同感です。この結果人から学という大事な事が出来なくなっていますし、人の心を推し量る事もできなくなっています。そしてこれは歴史認識を深めるうえでも障害となることです。(私のいいたかったことは自分と他人とを対比させて行くのではなく物事を客観的に対比させて考える事がない弊害の方を述べました)
 


[21] (無題) 投稿者:釆女 正人 投稿日:2000/05/05(Fri) 22:26

コアラさんへ
 歴史を習う人が、教えられた事をそのまま鵜呑みにすると考える事は、ある意味でとり越し苦労では無いでしょうか。歴史を教えるということはその人々に何らかのモチベーションを与えられるかどうかが、教える人の役割ではないでしょうか。私自身の経験を少し述べてみます。(これから述べることは何ら特殊な事ではなく、人が本来持っていることだと私は考えますが。)
 私が戦争の特攻隊を言うものを知ったのは小学校の頃、未だ敗戦の後遺症が目に見えていたときです。1例を挙げると傷痍軍人というものが街角で不自由な体で人の好意によって生きる糧を得ていた頃の事です。その時、人々になぜそうしているのかを聞いているうちに特攻隊というものを知ったのです。(これがモチベーションではなかったかと今は思います。)
初めてその存在を知った時は、怖くなかったのか、なぜ親を泣かせる事をするのかという感想を持ちました。
その後興味に惹かれて調べるうちに日本人の滅私奉公の考えを西欧には無い独自のすばらしい考えだと考えるようになりました。
しかし、ある講演会でそのような考えを打ち砕かれる機会を得ました。そこから今日に至るまでいろいろ歴史を自分で調べ、未だ続いていますが今はその感想を述べる場所ではないので省きますが、私の指摘したいことは、歴史を習う人々に何かを教えるという事では無く、何らかの考える機会を与えて上げられればそれで十分ではないでしょうか。人間はあき盲ではないのですから、何らかの機会があれば自分でいろいろ調べ、自分で考え、判断していくと思います。ただしそれを可能にするのは、おっしゃる通り自己確立を得るための何らかの努力が必要ですが。しかしこれは歴史教育とは違いますね。
 それとまた、ちょっと誤解されているようなので申上げますが自分と他の人を対比させて考える事は私は間違っていると思います。私はコアラさんであり、またコアラさんも釆女正人という人間だと思っています。(極論ですが)でもこの想いがないと意見の交換は、他人の攻撃という側面を持ち勝ちです。そうなれば意見の交換など最終的にできなくなりさびしいものに終わってしまうのではないでしょうか。
 歴史教育で言う想いの共有化はこの根本なくしては到底実現不可能と考えますが如何でしょうか。
(今日は幾分思考が乱雑になり申し訳ありませんがお許しください。)


[20] Re[19]: 歴史教育の怖さ 投稿者:サイト管理者 コアラ 投稿日:2000/05/05(Fri) 17:44

釆女さんへ
確かに歴史的事実は一つです。ではどうして一つの事実に違った解釈が可能なのか。

>  ではどうして人はこのように本来一つしかない事実を色眼鏡で見てしまうのでしょう?私は次のように考えます。(独善といわれるかもしれませんが)
>  人の話を聞いたり日常の出来事を見聞し、悲しいと感ずる、また感動するなど非常に簡単な人間としてのあり方を今の日本人は忘れているのでは無いでしょうか。これは宗教方面の教えとも似ていやなのですが、自分と他人という風に常に何かと対比しながら物事を考えるという教育が、本来人が持っている大切なものを忘れさせているのでは無いかと考えます。
>  人は他人に対してはうそをつけますが、自分自身に対してはうそをつけません。これが歴史を正しく認識する根源ではないでしょうか。(うまく表現できませんが)

 たしかに「何かと対比しながら物事を考える」という教育が欠けています。でもこれは今に始まった事ではないと思います。明治以来(いやもっと前からかも?)日本の大衆教育は(エリート養成のための教育は違ったとおもいます)与えられることを「真実」として疑う事を許さないものでした。それは戦前の教育でも戦後の教育でも同じです。しかも戦後の教育の方が「科学的・客観的」という名の下においてなされてきたので、これを乗り越えるのは大変です。そしてこのような教育が「上から(権威ある人からと置き換えても良いですが)与えられた歴史観」に疑問を持たない体質を作り出している事も、釆女さんのご意見のとおりだと思います。
 ではなぜこのような教育が長い間行われてきたのでしょうか。それは教育に社会が要求するものがそうであったとしか言いようがありません。戦前の教育は「天皇制国家の歴史的正当性」を認識させる歴史教育でありましたし、遅れた後進国である日本が欧米に追いつくために国民の知的レベルをあげるための国民教育でありました。そして戦後の教育も「科学的認識を育てる」という面は強くはなりましたが、欧米に追いつく国民教育であるという根本は変わりませんでした。ですから歴史教育においても「科学的な正しい歴史」が一方的に押しつけられていくものになったのだとおもいます(それに立身出世のための受験競争が拍車をかけました)。
 私は歴史観・歴史教育と言うものはその時代その時代の社会的なまたは国家的な要請でその性格も目的も変わってくるのだと思います。そしてこの中での個々人が社会や国家の中でどのような位置をしめどのような立場に自覚的に立っているかで歴史を見るときの視点や目的が違ってくるので、一つの事実を違うものとしてとらえてしまうのだと思います。
 このところ何年も騒がれている「自虐史観」論者などは、日本のアジア侵略の事実を押し隠し「強い軍隊を持った世界国家」を夢見る立場から歴史を見ているので、侵略の事実をなるべく小さく見ようとするのだと思いますし、アメリカの残虐行為として原爆投下を非難するのだと思います(これはけして原爆で犠牲になった庶民の悔しい思いに寄り添ったものではなく、大日本帝国再生のために庶民感情を利用するものでしょう)。
 歴史をどう見るかはその人の社会的立場や思想です。ですから自覚的に生きている人であればそのひとの見方はその人にとっては真実であります。そして自分の社会的位置に無自覚な人は歴史を見るときに視点がないために右往左往することになり、しばしば嘘の歴史を真実だと誤認させられます。
 釆女さんが「人は他人にたいしてはうそをつけるけど、自分にはうそをつけない」と言われ、「これが歴史を正しく認識する根源」と言われましたがそれは自分が自分を認識していて初めて出来る事です。自分がなんであるかがわからなければ、いろいろな人の歴史観に左右され何時までも歴史の闇のなかをさまよう事でしょう。
 歴史教育の役割は、この自己の社会的位置をまだ自覚していない子供たちに歴史の見方をつかませるものであり、それを通じて自己の社会的位置を認識させるものだと思います。したがってこれはやりようによってはとても怖いものです。歴史を見る視点を持っていない子供に嘘を認識させる事など簡単な事だからです。そして同時に自分の真の姿に気づかず幻想の姿を真実と認識させる事すら出来るのです。戦前の歴史教育も戦後の歴史教育もこの意味でどちらも恐ろしいものであったとおもいます。
 公立学校に通っている子供の大部分は庶民層に属します。私はこの子供たちに、庶民の立場から、権力などもてないしかし社会の根幹を支えている普通の人の立場・感情から歴史を見る事が出来るようにしたいと思います。そのためには歴史的事実をそのつながりの中で客観的にとらえるとともに、その事実の中にこめられた人々の思いを自分の思いと重ねて行く事が大事だと考えています。


[19] (無題) 投稿者:釆女 正人 投稿日:2000/05/05(Fri) 01:21

コアラさんへ
 正しい歴史というものは人それぞれによって違って当然のものではないでしょうか。なぜならご意見にもあるようにその人の立場、教育、思想、習慣が皆違うのですから。しかし歴史の事実は一つしかない、それをどう判断するかの違いにより正しい歴史がいろいろできてしまうのではないのでしょうか。
 ではどうして人はこのように本来一つしかない事実を色眼鏡で見てしまうのでしょう?私は次のように考えます。(独善といわれるかもしれませんが)
 人の話を聞いたり日常の出来事を見聞し、悲しいと感ずる、また感動するなど非常に簡単な人間としてのあり方を今の日本人は忘れているのでは無いでしょうか。これは宗教方面の教えとも似ていやなのですが、自分と他人という風に常に何かと対比しながら物事を考えるという教育が、本来人が持っている大切なものを忘れさせているのでは無いかと考えます。
 人は他人に対してはうそをつけますが、自分自身に対してはうそをつけません。これが歴史を正しく認識する根源ではないでしょうか。(うまく表現できませんが)


[18] Re[17]: 歴史を学ぶについて 投稿者:サイト管理者 コアラ 投稿日:2000/05/02(Tue) 22:47

釆女さん投稿ありがとう御座います。
「実体験に基づいた貴重な歴史認識を生徒と教師が共有する」。これは現代史においてとても重要です。また「正しい歴史を教える」こともとても大事だと思います。ただ後者の「正しい歴史」については何が正しいのかが問題になってきます。人はその社会的立場や思想などにより「正しい」と判断する基準が違うので、「正しい歴史」とは人によって違ってしまいます。私は歴史学習で最も大事なのは「自分は何物なのか」ということについての自己認識ではないかと思っています。ここを確立して行かないと歴史を見る視座ができません。言いかえればこれは「自分にとって歴史を学ぶ事はどんな意味があるのか」ということでもあります。
 私は戦争体験を体験者から聞く、それは被害者からでも加害者からの反省をこめた体験でも、どちらでもとても意味のある事だと思います。これは歴史を現実に人間の身に降りかかった事として感覚的につかむことができることで、自分がその時代にいたらどうなっていたのかという、歴史を自分自身の問題としてとらえるきっかけとなるからです。ただし、被害の体験を聞くだけでは本当に戦争を自分の問題としてとらえるには不充分です。なぜならもし自分がその時代に生きていたら「被害の側」になる可能性もあるが同時に「加害の側」になる可能性もあり、被害の体験を聞くだけではこの後者の加害の側になる可能性を認識できないからです。広島に原爆が落とされたのは日本が外国を侵略し征服し支配する事を長い間続け、そしてそれを拡大しようとしていたからです。そして広島は軍都広島だったからこそ原爆の標的になったのです。きついいいかたになりますが、原爆でなくなった方々は被害者であったと同時に加害者でもあったのです。ここを認識するためにはどうしたらよいか。ここが問題なのです。
 私はこんな風に考えています(まだ授業としては実施していませんが)。戦争に到った経過を学び日本がアジアの国々にしてきた事を学び、そして戦争を始めた意図を学んだあと、アメリカが原爆を落とすに到った経過・理由を学び、そして原爆を落とされた広島の惨状を学んだあとで、「もし自分がアメリカ兵でエノラゲイ号に搭乗して日本に原子爆弾を投下しろと命令されたらどうするか?」という問いについて討論してみることがいいのではないかと。これは迷いますよね。日本の犯罪も原爆が生み出す犯罪もどちらも知った上で原爆のボタンを押すのか押さないのか。このような問いをシュミレーションして始めて歴史は客観的につかむ事が出来、しかも自分自身の問題としてつかむ事が出来、その過程で自分自身の立場・自分がどこに立ったら良いのかということが問われ、そしてそれを選択する。その結果出てきた歴史認識、これこそ正しい歴史になるのではないでしょうか。


[17] 歴史を学ぶについて 投稿者:釆女 正人 投稿日:2000/05/02(Tue) 10:06

 初めてメールを送ります。歴史教育の必要性につき考える事があり、偏見かもしれませんが投稿します。
 私は今でこそ年齢は40代ですが、中学校、高校で歴史を勉強しその中に非常に興味をひかれることが原因となり現在に至るまで日本人の歴史を勉強しています。今回はそのことの原因となったある授業を話したくなりました。高校は松山の高校で当時国語の先生で被爆体験を持ち(広島の原爆です)その様子を社会勉強の時、話してくれた事がありました。本人の実際に見聞きした事、どうしてそうなったのかをかいつまんで話されたのですが、そのあまりのむごさに1クラスの全員がそれこそ45分間私語も無く聞き入っていました。これを機会にクラス全員で原爆の周辺を調査し、なぜそのような悲劇になったのか歴史を振り返り、学園祭にて発表したりしました。
 今の教育に欠けているものはそのような実体験に基づいた貴重な歴史認識を生徒と先生が共有できないことではないでしょか。
その気になれば広島に行けば語り部が居り、韓国に行けば当時の日本の行なった事実が向こうの人の視線から教えられます。
 今の日本の状況は、歴史を振り返りなぜそうなったのかを考える事で少しは良くなっていくのではないでしょうか。
大層な事を言うつもりはありませんが、高校生、中学生の子供を持つ親として、歴史を正しく教えるということを日頃考えているので失礼とは思いましたが投稿しました。


[16] (無題) 投稿者:たこやき 投稿日:2000/04/24(Mon) 00:41

こちらこそ、うれしいです。

コアラさんとは、
これからも、いろいろと、しゃべってみたいです。

そして、いろいろと、教えていただきたいです。
また、正直に、自分の考えをぶっつけてみたいです。

よろしくお願いします。


[15] ネットがあればそばにいるのと同じ 投稿者:サイト管理者 コアラ 投稿日:2000/04/23(Sun) 22:55

たこやきさん。私も感激です。歴史教育の目的。意見を同じくする人を見つけたのはたこやきさんで二人目。一人目は昨年度一緒に授業をつくった26才の同僚。昨年は本当にいろんなことを討論しました。27年間の教員生活で初めての経験です。
 でもインターネットがあればたこやきさんのように面識がなくても意見交換が出来る。今後もいろいろと討論しましょう。


[14] Re[13]: 歴史を学ぶ意義 投稿者:たこやき 投稿日:2000/04/23(Sun) 12:48

コアラさんの「歴史を学ぶ意義」を読ませていただいて、本当に、嬉しくなりました。100%と言って良いほど、「同感」です。

まあ、愚痴になりますが、こんな風な話題を交換できそうな仲間が、わたしのまわりには、あまりいない・・・・。「歴史を学ぶ意義」・・・。子どもよりも、まずは、一人ひとりの教師自身が、わかっていかなくてはいけないような気がします。


[13] 歴史を学ぶ意義 投稿者:サイト管理者 コアラ 投稿日:2000/04/22(Sat) 22:12

たこやきさんのご意見はそのとおりだと思います。
「学級崩壊は学級が崩壊させてもいいものだからおこる」と言うご指摘は慧眼だと思います。子どもたちにとってその学級が(その担任が、そしてそこにおける子ども同士や子どもと教師の人間関係が)意味のあるものと実感できていれば壊れないと思います。そしてそれはご指摘のようにたんに授業が楽しいということだけではなく家庭を含めたもっと総合的なものであるはずです。この意味で教師は学校全体のあり方や家庭との関係、そして地域との関係、さらには家庭や地域や学校との子どもたちとの関係に気を配って行く事が大切だと思っています。
 歴史学習の意味についてのご指摘も同感です。歴史は単なる知識ではないし教養でもないと思います。それを学ぶ意義はそれをシュミレーションする事にあると考えています。なぜなら今もまた歴史の一部であり、今を生きるということはそのときそのときの与えられた歴史的条件のもとで日々歴史的選択をしていることに他ありません。でもこの「選択」はとても難しい。今を客観的に見られないからです。でも歴史上のことなら見られます。そしてそれをシュミレーション(この場合は追体験が適当かも)することで、そのときそのときの社会状況や政治状況、そして人々の暮らしや考え方や感じ方、そういうものをしっかり捕まえる事が出来ると思います。さらにこの「体験」を通じて現代に生きるわたしたちが今を生きるときの基準ともなる認識や感覚や思想を身に着ける事も出来ると思います。そう言う授業を目指したいと思っています。


[12] Re[10]: すっごい! 投稿者:サイト管理者 コアラ 投稿日:2000/04/22(Sat) 21:54

お褒めの言葉をいただきありがとうございます。まだまだ未完成の部分の多い授業ですが、今後も生徒たちのキラキラする目を楽しみに、いっそう精進して行きたいと思います。


[11] Re[9][8][7][6][5][4]: あきまへん 投稿者:たこやき 投稿日:2000/04/22(Sat) 02:33

今の子どもの暮らしとかけ離れた昔のことなど授業していても意味がないと言う事なのか

「歴史は、子どもの生活と密着しています。」
「むしろ、積極的に、密着させていくべきです。」
そう言う立場で、レスします。

歴史で何を学ぶのか。歴史に何を学ぶのか。
そういう部分への"こだわり"が大切だと思っています。

コアラさんの「中学校の社会科」でも実践には、はっきり言って、敬意を表します。(だからこそ、議論をなげかけてみたくなたのかもしれません。)

「学級崩壊」を語ろうとするとき、「わかりやすい授業」、「楽しい授業」は、重要なキーワードです。でも、それだけで、防げる問題なのでしょうか。その部分への、疑問を投げかけたつもりです。

学級崩壊を考えるとき、「何故、子どもは、学級を崩壊させようとするのか」を考えなくてはなりません。その理由のひとつには、「授業が楽しくないから」とか「授業をうける意味がわからない」とかいうような、"授業実践"に関わる部分も否定はしませんが、はたして、それが、本質的な課題なのでしょうか。

わたしは、そうは思いません。

多くの場合、それは、子どもの精一杯の自己主張であって、本質的な課題は、家庭の状況にあったり、教師と子どもとの間の不信感にあったり、学校と地域との関係のまずさにあったり・・・・<様々様々>、するのだと感じています。つまり、「授業で子どもはかわる」と言う感覚は大切ですが、でも、それだけで「学級崩壊」が解決できるとは、とうてい思えません。

学級を「崩壊」させようとする子どもにとっては、「学級は、崩壊させても良いような存在でしかない」ところに、問題の本質があるような気がしてなりません。極論になるかもしれませんが、担任との人間関係が深く結びついていればいるほど、その子は、学級を崩壊させようとしないはずです。学級の集団が大切であればあるほど、その子は学級を崩壊させようとはしないはずです。そういう部分のファクターを抜きにして、「学級崩壊」は語れないんじゃないかなと思っています。

歴史学習の中で、いわゆる「知識」だけを伝達していこうとするなら、それは、「子どもの生活とかけ離れた学習」と言わざるを得ません。(コアラさんの実践は、明らかにその域を超えていると思っています。)しかし、それだけではなくて、いわゆる"薄っぺらい史実"を超えた部分で、それぞれの時代に「人々はどう考え、どう生きたのか」とか、その時代の制度や仕組みをふまえつつ、「現実的な部分で人々の意識や生活はどうだったのか」、歴史学習の集大成として「現在に残された課題は何なのかを、子どもがどう捉えたのか」などの視点を教育活動の中に取り入れていくことができれば、「歴史学習は、子どもの生活と密着していく」と思います。

歴史学習を充実させていくことは、「学級崩壊」の問題を解決していく一助になると思っています。(自分も、歴史学習を大切にしていきたいと思っています)しかし、それは、歴史学習を充実させさえれば学級崩壊の問題を解決できるということでもないと思います。

要は、それが、先に述べたような、子どもの生活と密着した部分で実践されているかどうかにかかっているのだと思います。


[10] すっごい! 投稿者:はるぴー 投稿日:2000/04/21(Fri) 11:08

主婦です
なんとなくインターネットをいたずらしていましたら
興味が湧いて覗いてしまいました。
うちの子も社会が好きでとにかく先生の授業が大好きで
した。他の授業もこんな風に教えていただけたらきっと
皆が学校大好きになるとおもいます。先生の言葉使いもきちんと優しくかたりかけておられとても素敵でした
こんなことしか言えませんがこれからも沢山つたえて良い
教育現場を作ってください。


[9] Re[8][7][6][5][4]: あきまへん 投稿者:サイト管理者 コアラ 投稿日:2000/04/20(Thu) 22:18

> > 教室の授業と子どもの生活とどこがかけ離れていますか?。具体的に御教え下さい。
>
> すみません。もしも、わたしの文が気に障ったのなら謝ります。
> (相手にとっても聞きごこちのいい文の書けない奴だと思って下さい。)
>
> ただ、逆に、教えてくださいよ。
> コアラさんの"教室の授業"と、「子どもの生活」の、どこが密着しているのですか?

私の聞き方が悪かったみたいですね。わたしにはたこやきさんの「教室の授業と子どもの生活が」かけはなれていたのでは学校をかえようなんてできない」というご指摘の意味がよくわからないのですよ。今の子どもの暮らしとかけ離れた昔のことなど授業していても意味がないと言う事なのか(そう言われると歴史を学ぶことの意味は?という議論になりますが・・・)そうでないのか?。とにかくたこやきさんの言葉は短すぎて判断に苦しむのです。もう一度詳しくご意見を展開してみてください。


[8] Re[7][6][5][4]: あきまへん 投稿者:たこやき 投稿日:2000/04/19(Wed) 23:57

> 教室の授業と子どもの生活とどこがかけ離れていますか?。具体的に御教え下さい。

すみません。もしも、わたしの文が気に障ったのなら謝ります。
(相手にとっても聞きごこちのいい文の書けない奴だと思って下さい。)

ただ、逆に、教えてくださいよ。
コアラさんの"教室の授業"と、「子どもの生活」の、どこが密着しているのですか?


[7] Re[6][5][4]: あきまへん 投稿者:サイト管理者 コアラ 投稿日:2000/04/18(Tue) 23:46

> 教室での授業と、「子どもの生活」とがかけ離れていたのでは、
> 「学校を変えよう」なんてこと、できないのじゃないかな、と
> いうことですよ。

教室の授業と子どもの生活とどこがかけ離れていますか?。具体的に御教え下さい。


[6] Re[5][4]: あきまへん 投稿者:たこやき 投稿日:2000/04/18(Tue) 22:43


> 「もっと子どもの生活と密着した部分」とは具体的には何を指しておられるのでしょうか。是非御教え下さい。

何を指すも何も、「子どもの生活」とは、その言葉通りですよ。

教室での授業と、「子どもの生活」とがかけ離れていたのでは、
「学校を変えよう」なんてこと、できないのじゃないかな、と
いうことですよ。


[5] Re[4]: あきまへん 投稿者:サイト管理者 コアラ 投稿日:2000/04/15(Sat) 22:27

> コアラさんが取り組んでおられる実践だけで、
> コアラさんが掲げておられる目標が達成できるとは思えないです。

ここに私の実践全てが載せてあるわけではありませんが、そのとおりです。私もそう思います。それに一中学校の実践だけでは不充分です。
>
> もっと、子どもの生活と密着した部分で考えていかないと、
> テーマは達成できっこないですよ。
>
「もっと子どもの生活と密着した部分」とは具体的には何を指しておられるのでしょうか。是非御教え下さい。
> 今日は、簡単に感想まで。


[4] あきまへん 投稿者:たこやき 投稿日:2000/04/14(Fri) 23:38

コアラさんが取り組んでおられる実践だけで、
コアラさんが掲げておられる目標が達成できるとは思えないです。

もっと、子どもの生活と密着した部分で考えていかないと、
テーマは達成できっこないですよ。

今日は、簡単に感想まで。


[3] リンクさせていただきました。 投稿者:KZYKYSD 投稿日:2000/03/21(Tue) 21:35

「がんばれ!先生」へのご訪問ありがとうございました。
さっそく、リンクさせていただきました。ご確認ください。
今後のご発展をお祈りいたします。

http://members.tripod.co.jp/ganbare_sensei/index.html


[1] 正式開設しました 投稿者:サイト管理者 コアラ 投稿日:2000/03/18(Sat) 22:25

 授業記録がとりあえず1単元ぶんできたので、正式開設しました。未完成ですが見てください。また、掲示板も開設しましたので、ご意見・ご感想など書いてください。誌上討論も大歓迎です。