〔芸術の危機ーヒットラーと退廃美術〕95.8.15


 1937年にナチスドイツが、当時のヨーロッパを風靡していた抽象美術の傾向を「退廃美術」とよび、ドイツの公立美術館に所蔵されていたそれらの作品を接収し、その退廃さを知らしめるために、一大美術展を開催した。会場は考古学研究所の石膏陳列室という劣悪なもので、会場の壁に所狭しと作品が並べられた。そして美術展の終了後作品は競売に付され、売れ残った作品はただちに焼却されたという。

 今回の美術展は、この1937年の「退廃美術」展に出品された作品を可能なかぎり集め、すでに焼却などで現存しないものについては、同じ作家の同じ傾向の作品で代替することで、1937年の美術展を再現しようとしたもの。

 見終わっての感想として、ナチスがここで「退廃」としたのも、一理あるとの感想をもった。なぜなら、ここに展示された多くの作品は、何を象徴しているのかがとてもわかりずらい。つまり、画家や彫刻家が、見る者に何を伝えたいのかがよく分からないのである。

 これらの作品は、資本主義の爛熟と退廃の中から起きてきた社会矛盾への怒りと、その解決の方向が見えないことに起因する精神的な不安感を反映している。したがって、極めて不安定な現状否定的な雰囲気をもった作品が多い。資本主義的「近代」を否定し、同時にそれにたいする根源的な批判にも反感を示し、近代以前への回帰を良しとするナチスの思想。ここに依拠するかぎり、このような前衛美術を彼らが許容しえにあことは当然だ。

 しかし同時に、このような前衛美術がもつ大衆への不信感と未来展望の喪失が、美術をますます画家や彫刻家の心の内的世界にのみ向かわせてしまい、ますます共感不能の地点に入り込んでいることを忘れてはならないと思う。ナチスがこれらの美術を「退廃」と評価した裏には、大衆の前衛芸術家への不信という巨大な流れがあることを忘れてはならないだろう。

 この傾向は1920年代から30年代の作品に顕著であり、第二次世界大戦後には全面開花した傾向である。ナチスによる評価は、戦後の前衛美術と大衆との関係を先端的に表していたと考えられる。

 20世紀の抽象美術は、あまりに芸術家自身の心の中の世界を描きすぎたのではないか。しかも、見るものとつくった者とが同じ感情を共有しようともしない。一人よがりの傾向が強すぎると思う。特に記号と化した絵はその典型である。

 しかし、だからといってナチスが称賛した古典主義的美術が良いわけではない。会場にはその一部が展示されていたが、その傾向は極めて形式主義的・権威主義的であり、作品との心の共感などは生まれない。

 最後に今回の展示について。アメリカで同じ趣旨の展覧会が行われた時には、1937年のものと展示の方法もそこに加えられたナチスによる批評も、全くそのままに再現されたそうである。日本でもそうすべきであったのではないか。その方が、ナチスが抽象美術のどこに反感を抱いていたかが、彼ら自身の言葉で語られ、それに共感するのか反感を持つのかの選択が、見る者自身に迫って来る。こうしてこそ、「近代・現代美術がなんであった」かがよく分かったと思う。

 そしてもうひとつ、20世紀の10〜20年代初頭の様々な傾向をもった抽象的・象徴的美術作品を集めたものも同時開催してほしい。この時代の一つの傾向としての宗教的な象徴主義。ルオーやシャガール、そしてクプカの初期の抽象作品にみられるこの傾向。現状への鋭い批判と絶望にかられながらも、人類への愛と共感の信念に彩られたこれらの作品に、美術の未来があることを浮き彫りにできたのではないだろうか。

 たくさんあった作品の中で、心ひかれた作品群があった。

 それは、ナチスのおかかえ美術家となって、同時代の作家攻撃の尖兵となり、最後にはナチスに捨てられ、「退廃美術家」の烙印を押された、エミール・ノルデの作品である。

 小さな画用紙に水彩絵具で描かれた絵が、数点並んで展示されている。どの絵もちょっと見ただけでは、何を書いたのかはわからない。しかし、色彩が素晴らしく美しい。その美しい色彩の奔放な流れのような絵の中に、様々な事物のいきいきとした姿が浮かび上がって来るのである。特に美しいのは、「橙色の雲」。画面に適当に橙色の絵具を塗り付けたように見えるのだが、目をこらすと、バックの青い空や、手前の「草原?」と白い服を着た人物が浮かびあがり、橙色の塊に見えた色が、むくむくとわきあがっていくような雲であることがわかる。雲がまるで生きているかのような筆致で、青と黄色と橙色の強烈な美しさであり、題材は空の雲なのだが、描いている画家自身の心の中の激しい動きを見ているようでもある。

 この作品群は、「描かれざる絵」と題され、1938年から45年の間に、画家がナチスから迫害を受け、北海沿岸の町にこもっていた頃のスケッチであるという。

 不遇の時代のスケッチに、画家の素直な心の動きが出たようで、作為的でない、美し絵である。


美術批評topへ HPTOPへ