〔スキタイ黄金美術展〕  1992.7.25


 黒海北岸の地スキティア(現在のウクライナ)にあって、強大な騎馬隊で近隣諸国を脅かした遊牧騎馬民族スキタイ。彼等が残した金銀細工の品物を、ウクライナ歴史宝物博物館の秘蔵品で展示。

 まばゆいばかりの金製品の洪水である。紀元前4世紀の、スキタイの王侯貴族の墓から掘り出された品物ばかり。冠から耳飾り、首飾り、胸飾り。ベルト金具や剣や杯。さらには、服までもが、金の飾り板をアップリケのようにして縫いつけて、飾っていたという。極めて豪華な衣装。

 しかし、金細工として、美術的水準の高い作品は、意外と少ない。紋様が類型化されているからである。作品の説明を見ると、「型押し」と書かれている。つまり、石や他の金属で作られた型に金の板を押しつけて伸ばしただけの「大量生産の加工品」というわけである。冠や服の飾り板、ベルト金具などは、きらびやかではあるが、皆、このような大量生産品である。

 なぜか。

 解説によれば、これらの金製品は、黒海沿岸のギリシャ人植民都市で生産されたもので、スキタイとの交易で、スキタイの王侯貴族のもとに移った品物であるという。スキタイから、ギリシャ都市にもたらされた交易品は、穀物・奴隷・家畜であるという。ギリシャ人は、これらを地中海沿岸各地に運び、そこで、葡萄酒やオリーブ油を手に入れ、それをさらに、スキタイなど、奥地の民に高い値段で売るという交易を行っていた。スキタイの黄金美術といわれるものは、このような交易で巨額の富を蓄積しているスキタイの王侯貴族の趣味に合わせて、ギリシャ植民都市の職人たちが、生産したものである。そこには、スキタイの人々の好んだ意匠が登場する。神と動物である。そしてそれにギリシャ神話が結合する。スキタイの王侯貴族は、先進文明ギリシャの製品を通じて、オリエントの先進文明をも、貪欲に取り入れていたに違いない。この需要をみこして、大量に生産された黄金製品。これが、古墳から大量に出土したものである。

 騎馬民族として、周辺の諸民族から武力で奪いとったスキタイの富。それを吸い取ることを目的として作られた、いわば工場生産の金製品。現代の、先進諸国から後進諸国へと大量に流れる車や電化製品と同じ性格をこれらの金製品は持っており、裏に、経済的支配の臭いが漂っている。

 金細工の美しさに感動するとともに、この裏にある、巨大な交易の広がりをも感じた。

 もう一つ、会場の展示品を見ていて感じたことがある。それは、ユーラシアの騎馬民族文化の西の果てのヨーロッパへの繋ぎともいうべきスキタイの文化と、東の果てである日本への繋ぎとしての朝鮮との類似である。

 スキタイの兵士の防具一式を見ていると、朝鮮やその北方満洲の騎馬民族の鎧とそっくりである。そしてそれは、日本の古墳時代の鎧ともよく似ている。さらに、冠や耳飾りにつける「ふよう」という飾り。ハート型をしていて、糸で吊るされ、揺れてチャラチャラと音をたてる飾り。これも、朝鮮・日本と、ほとんど同じであった。そして、朝鮮も黄金文化の花が咲いた土地である。

 大陸の両端の文化的繋がりをも感じさせるものがあった。


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