〔色の博物誌『青』〕   1992.8.11


 『青』という色。この色には、人は様々な想いを託してきた。しかしそれは概して神秘的な色。聖なる色として扱われてきた。この『青』という色に焦点をあてたユニークな企画展。

 最初に、青い色をどのようにして出したかという事が示されている。

 世界的には、酸化銅の鉱石から、青い色は造られてきた。銅を産出する地域では比較的入手しやすいといっても、やはり貴重な部類に入る鉱石。青い色を造ることは大変だった。とりわけ、深い水の色のような青。いわゆるマリンブルーは、『ラピスラズリ』とよばれる鉱石からしか取れず、しかもこの鉱石は、アフガニスタン周辺にしか産出しない。マリンブルーは、最も貴重な色であり、どの国でも『神聖』なものとして扱われた。

 日本では、鉱石からつくられる『青』以外に、「藍」による、青の製作が盛んであった。しかし、この「藍」は、染色には適しているが、紙に乗せると急速に褪色してしまう欠点があって、青い色の様々な濃淡を出せるにも係わらず、絵画には利用しにくいものであった。

 空の『青』。海の『青』。川や湖の深みの『青』。青い色は大地をとりまく宇宙の色でもあり、人間にとって神秘の代名詞でもあった。しかし、青い顔料の入手は難しく、自由に使えるものではなかった。

 この状況に大転換を与えたのが、人工顔料の発明である。

 16世紀のドイツ(プロシャ)において、化学的方法により、青いガラス製の顔料を大量につくり出す方法が発明された。こうして出来た青い色を、プロシャのブルーという意味で「プルシャンブルー」と呼んだ。これ以後の絵画作品においては、青い色が大量に使われるようになった。

 絵画の展示の部では、この変化がはっきりと示されていた。

 一例をあげると、江戸時代後期の浮世絵の画家、葛飾北斎の作品である。北斎の風景画では、様々な濃淡をもった青い色が、画面に深い味わいを付けている。この青が「プルシャンブルー」によるものであるという。多様な濃淡の諧調をもった青を作れ、しかも紙への乗りも良いというこの顔料があって北斎の風景画はできたのだ。   

 ヨーロッパ近代の遠近法と人工顔料を背景にして、江戸の浮世絵の風景画が成立していたとは、驚きであった。

 また、神秘的な色である『青』を、より自由に使えるようにと人工顔料を製作していく過程は、科学技術によって、『神』へと近づこうとしてきた人類の歴史そのものが反映していることにも、気付かされた。


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