〔キスリング展〕  1991.12.


 ふしぎな絵であった。全体としてとても美しい絵ばかり。初期の頃こそ、強い色彩の陰影の中に、かなりのかげりの見える絵が多かったのだが、しだいに、きわめて明るい原色を多用した絵に画風が移っていっているようであった。とりわけ、花を描いていった時、実在の花というよりも、色の塊。まるで造花のように感じるほどの絵。花を描くというよりも、その明るい色彩の組み合わせを描いたような絵であった。

 最も印象的なのは、画風がしだいに変化していっても、変わらないものがあることだ。それは、この画家がよく描く題材に、女性や子供がある。時代によって描きかたに変化はあるのだが、常に変わらないのは、その女性や子供の目である。顔の中で、とりわけ目だけが大きく描かれている。比較的切れ長の目なのだが、大きな瞳を見開いている。そして、とても澄んだ美しい目。しかし、その目はいつも悲しい・寂しい雰囲気を漂わせた目であった。さらにこの目は、正面を向いている場合であっても、どこか遠くを見ているような、美しく寂しい目であった。

 ここに、作者が生きてきた時代と、その時代に対する作者の思いが現れているように思えた。キスリングは、帝政ロシアの支配下にあったポーランドに1891年に生まれた。そして1910年。パリに出て画家としての生涯を始めた。1915年には志願兵として第一次大戦に出征し、負傷。1924年にフランスに帰化。そして1930年代には、反ナチ活動を行い、1939年には招集されて出征。1941年にはアメリカに亡命。1946年にフランスに帰国。そして1953年に死去。この激しい時代にユダヤ人として生きた一人の画家。その純粋さと悲しさが、作品中の女性と子供の目に表現されているように思う。


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