〔長谷川 潔展〕1993.7.1


 パリに生きた銅板画の巨匠、長谷川潔の作品展。まだ日本に居た頃の1910年代の木版画から、晩年の70年代の銅板画まで、その全生涯を網羅した、代表的な作品で構成されている。

 この作家の作品は、3つの時代に別れていると思われる。

 第一の時期は、1920〜30年代。パリにおいて、銅板画の古い技法を蘇らせ、画壇にデビューした頃のことだ。

 この時期の作品には、女性像と風景と静物が多い。しかも風景は、中世フランスの面影を残した、フランスの田舎の村を描いたものが多い。村の中央に天をつくかのようにそそり立つ教会の尖塔。それを取り巻く集落の厚い壁。時の流れが止まってしまったかのような風景ばかりである。その風景を、「マニエール・ノワール」という中世の技法を駆使して描いてある。この技法は、画面全体に描かれた斜行線に特徴があり、全体の事物の輪郭がぼかされて、幻想的な雰囲気になるところに特徴があるようである。

 第二の時期は、1940年代。

 この頃の素材には、古木。しかも、荒野にただ一本立つ古木を描いたものが多い。その古木の風雪に耐えてきた木目を、鉄筆の明快な線で精密に描写してある作品である。

 第三の時期は、それ以後の1950年代から70年代である。

 この時期の作品は、背景が黒。それもまるで深い闇に包まれたかのような黒。それを背景とした静物画が多い。しかも、鳥や木の葉や人形や玩具。こういったものが様々にくみあわされている。解説によると、これらの事物には、一つ一つ、作者の意図があり、それぞれにこめられた寓意があるという。

 作品全体を見ての感想。なぜこの作家は、黒と白のグラデーションの世界にはまりこんでしまったのか。もっとも色彩の美しい花を描く場合にも、色を全て取り去った形で描くという。そして20代の時から、華やかな世界ではなく、風景画に象徴されるように、古き中世の面影を追うとは。この画家の精神に落とされた影のようなもの。この影は、年を経るごとに濃くなっていくように思える。

 「中世の面影」→「古木」→「漆黒の世界」というように対象が移っているが、ここに一貫した描き方は、光と影のみで対象を描くということ。そして対象に込められた、哲学的とも言える、画家の意志。

 この画家の精神を覆っていた影。これこそ1930年代の時代の影そのものではなかったのか。第二次世界大戦の時期もフランスで過ごしたというこの画家は、世界の地獄を見てしまったのではないだろうか。

 その行き着くはてとしての宗教的世界。これが、1950年代以降の黒を背景とした静物画─寓意画の世界なのだとおもう。


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