〔山本丘人展〕 1994.4.17
昭和初期から昭和61(1986)年まで、日本画の世界で活躍した山本丘人の、全生涯にわたる回顧展。
この人の作品は年代によって、その画風が大きく変わっている。
1920〜30年代。
この時期の作品は、青と緑色のとても美しい、初夏のころの風景に題材をとったものが多いように思われる。緑といっても、もえぎ色とでもいったら良いのか、とても爽やかな緑である。また、絵全体がとても軟らかい感じがする。それは、事物の輪郭を意図的にぼかした技法によるのであろうし、色の明暗の差の少ない、穏やかな描き方によると思う。(あとで解説を読んだら、これは大和絵の技法だという)絵の多くは、なつかしい心休まる風景といった風情を持っている。
1945年以後は画風が一変する。
冬から初春のころの、厳しい自然を描いたものが多い。そして、描き方も大きく変わる。荒々しい筆使いで、色の明暗の差も大きく、事物の輪郭を太い黒い線で縁取り、しかも、色調は暗く重い。描かれるものが荒れた山野や海岸であることも、これ以前とは大きく異なっている。見ていてふと思ったのであるが、1930年代のドイツ表現派の作風にとても似ているように思えるのである。
そしてもうひとつ、面白いことは、絵の中に「月や日輪」が描かれることが多くなっていることである。月や太陽は、日本の文化的伝統では、極めて宗教的な色彩が強く、死者の魂の往く果ての世界としての月と、世界の全てのものに、その慈悲を及ぼす仏としての太陽。この二つの「力」に照らされた、荒涼たる世界。これが、1945年以後1967年にいたるまでの、山本丘人の描く世界なのである。
この変化は何を意味するのであろうか。
1945年といえば、第2次世界大戦終結の年。そしてこの年に丘人は45才である。この人も戦時中には、戦争画をかくために、前線へと何度となく慰問に訪れたらしい。戦争の悲惨さが丘人の心に与えた衝撃と、それからの救いとしての宗教的世界への没入。こういったことが、絵の変化の裏に見えるように思える。
そして1967年以後。ここでもまた、画風は一変する。
花のある日本的風景が多く描かれるようになり、初期のように、事物の輪郭をぼかした、やわらかい筆使いの大和絵風の画風に戻っている。しかし、初期のものとは大きく違う。色の明暗がくっきりと差があり、しかも色調が暗いのである。そして題材は秋の風景と花が多くなり、どことなく淋しい空気を漂わせてくる。初期のものの、明るく爽やかな雰囲気とは違って、爽やかではあるが、暗く重い世界を通ってきた果てのような、一種の安堵感のある絵になっているのである。宗教的な彼岸の境地とでもいうのであろうか。
さらに、1970年代以降になると、この傾向は一層深まり、抽象の世界というか、心象風景とでもいうべきものが、多くなってくる。
印象的な絵は、生垣に囲まれた雪に埋もれた狭い庭の隅に、たった一輪の赤い椿の花が落ちている絵。1970年の作品である。
そしてもう一点。最晩年の作品であるが、庭の白い椅子に座って、庭を眺めている女性の後ろ姿。周りには、タンポポや藤の花や、その他季節の違う花がひっそりと咲いている。人生というか、一生をふりかえる人の心の中というか、とても味わい深い絵である。
激動の世の中を生きてきた一人の画家の心の中が見えるような、作品の数々であった。