〔坂本繁二郎展〕 1994.6.5


 久留米の石橋美術館に常設展示されている作品全てを、ブリジストン美術館に移して展示したものである。

 全作品を見て感じたことは、人や事物が、自然の光の中に一体となって溶け込んでしまったような、ふしぎな絵という感覚である。

 1920年に描かれた「牛」。

 白黒の墨絵のような作品。しかし、近づいてよく見ると様々な色が使われている。赤・青・黄・緑・茶・・・。木々や牛の体の影の部分に多くの色が使われている。しかし、全体としては黒灰色の暗い画面となり、静かに座った牛が、画面に溶け込んでしまう。黒と思われる色が、近づいて見ると様々な色を含んでいるのだが、おもしろい絵である。

 1932年に描かれた「放牧三馬」。

 美しい色合いの絵である。画面に近づきすぎると様々な色の微細なかたまりとなって、馬も木々も区別がつかなくなってしまう。柔らかな日差しを浴びた馬と木々と草原が、一体となった絵。しかし、これを見ていると、印象派の絵を思い出してしまう。

 解説によると、繁二郎は1920年代にパリに3年間留学したが、印象派以後の同時代の美術の動きにはほとんど興味を示さず、コローなどバルビゾン派に関心を示したという。

 1920年代のヨーロッパ絵画といえば、後期印象派から始まる、抽象絵画への動きの最盛期といえる。これに関心を示さず、バルビゾン派に興味を持ったというのは、どういうことだろうか。

 ヨーロッパの近代絵画は、事物をありのままに描くという傾向から、しだいに、画家が見た印象や思いを描くという方向に移っていき、その中から抽象画が生まれた。それは、事物の背後にある霊的なものを描くというものから、単に現実の事物から離れて、画家の自由なイメージの表現というものまで、多様な流れを含むものであった。しかし、共通しているのは、事物の色や形を無視して、画家が自由に描くということであった。とりわけそれは、事物の形の束縛から画家を自由にするという傾向が強かった。

 坂本繁二郎は、この形を無視するという傾向を拒否したということではないだろうか。

 留学前の坂本の絵は、事物の目にみえる形や色を越えて、その存在の背後にあるものを透視するかのようなものであった。そこでは、色彩は淡く、様々な色の重なりとなり、色は画家の心のイメージを伝えるものとなっていた。しかし、あくまでも形は形として、色彩の塊として多少輪郭はぼやけながらも、はっきりと描かれていたのである。

 すでに40代にはいり、自分の絵の目指す方向を確立しかけていた坂本にとって、事物の形を壊してしまう、ヨーロッパの抽象絵画への傾向は容認出来なかったに違いない。しかし、事物をありのままに描くのではなく、画家のイメージ・心象風景を描くという傾向は、坂本自身が追及してきたものと一致していたし、色彩を自由にかえるという事も同じであった。

 ここに坂本がパリへ留学して、自分の絵に自信を持ったということの根拠があると思う。

 坂本は同時代の絵画から学ぶのではなく、この抽象絵画の淵源として、色彩を光の織りなす絵画と考え、その微妙な変化を追及した、先印象派的な傾向に興味を持ち、その色彩表現を学んだのではないだろうか。

 コローは、そういう意味でピッタリであったし、モネも同様である。

 坂本の絵の傾向は、コローに象徴されるような、印象派前期および、モネのような初期印象派の傾向に、技術的には近かったと思われるからである。

 それにしても、「放牧三馬」に代表されるように、帰国後の坂本の絵の、明るい淡い色彩で事物を表現する傾向は、なんと初期印象派とくに、モネに似ていることだろう。


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