〔ミロ展〕 1992.3.25
スペインの画家、ジョアン・ミロの作品展である。1893年にスペインのバルセロナに生まれ、生涯の大半のフランスのパリとスペインにおくった画家。そして1983年にスペインで生涯を終えた。
とにかく激しい絵である。まず色彩が強烈であること。そしてあらゆる物の形が極端にデフォルメされていて、ほとんど記号と化していること。題材の多くに、性・暴力・原始性が選ばれていること。一見しただけでは、画布の上になぐり書きしたようにも見えるが、色彩の配置は計算され、さらに絵具は、ていねいに画布に塗り込められている。
解説の文章によると、この絵を、あまり一般的な言葉に翻訳して、その意味を解釈しては、この人の芸術は分からないという。
ほんとうだろうか。140点にも及ぶ作品を通して見ると、その記号のようなものが何を現しているのかが、少しづつ見えてくる。
初期の作品によく見られる、車輪の絵。キリスト教的な時間・運命観による、終末に到る運命の車輪ととる人もいるという。一方でそれは、カタロニアの田舎によく見られる、農夫がひく馬車の車輪を表象しているともいう。おそらく両方とも正しいのだろう。この車輪が出てくる絵は、必ずといって良いほどに、破滅的な題材の片隅においてである。
もう一つ見ていて面白かったのは、「星」といわれている記号である。「 (十字を二つクロスしたもの)」がそれであるが、これは本当に星なのだろうか。の記号が出てくるのは、この作品点に出品されたものの中では1937年からである。1937年といえは、カタロニア地方を舞台にしたスペイン内戦の年。民族の独立と民主主義をかけて闘ったカタロニアは、フランコ将軍のファシスト独裁の前に血にまみれた。そこは、全ての希望が破壊されつくされたかのような感のあった時代である。この年あたりを境にして、「車輪」から「星」へと多用される記号が変化する。
ちょっと見ただけでも気がつくが、の記号は、車輪の真中のスパンの部分だけを取り出した形でもある。そこに何か共通した意識が感じられないだろうか。つまり、終末へと転げ落ちていくことへの不安を示す「運命の車輪」から、むしろ地獄=世界の終末を見てしまった後の、「神の国」の到来を示す希望の表象としての「星=」。転げ落ちる運命の車輪から、車をとってしまった果てとしての「復活」への希望。
ミロという画家の生涯を見た時、この人は、その「希望」を求めてさ迷っていたようにも思える。