〔色の博物誌─赤─〕 1994.8.9


 一昨年に同じ美術館で行われた「色の博物誌─青─」に続く企画展。

 赤色を生み出す様々な顔料の紹介と、その色の使われ方を考察し、併せて、美術作品における、赤の使われ方を見るというものである。

 第一部の顔料と生活の中での赤のコーナーが興味深かった。

 赤の色は、「魔除け」「蘇り」の色として、日本の民俗の中では位置づけられていたという。そういえば、古代の人々の墓は、遺体を朱で覆ったものが多く、また、遺体を納めた棺の内部を赤く塗ったものも多い。その理由は、解説では、次のように説明していた。

 朱は水銀を含んでおり、保存作用がある。そのため、遺体の保存のために使用され、そこから、「魔除け」とか「蘇り」とかに繋がっていったのではないかと。

 たしかに、それも一理ある。しかし、赤とはそもそも、地球上の全ての生命の源である太陽の色である。生命の躍動そのものを現す色が赤なのではないだろうか。そして、動物の血の色も赤であり、血を失えば生命がなくなることからも、赤色は、生命そのものに繋がっていったとおもう。

 展示を見ていて、こんなことを考えた。

 第2部の美術作品における赤のコーナーは、期待はずれだった。

 前半は、日本の浮世絵を主体に、血の色としての赤。しかし、そこに展示された浮世絵が、後期の頽廃的な作品であったために、血の色の氾濫する、ドロドロとした作品ばかりで、失望した。後半のコーナーは、現代の抽象的な作品ばかりで、ここでは、赤の色は、強烈な色彩をはなっているのみで、ただそれだけであった。

 今回の企画展は、前回の青の時に較べて、数段落ちると思う。その理由は、集められた美術作品の質の低さにある。

赤は生命の色。こう考えれば、もっと良い作品はたくさんあったとおもう。


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