〔神奈川県美術展〕1994.10.10

 月館さんの作品が入選した。さっそく見にいってみた。
 
 今回の入賞作品は「行く夏」という題のものである。丁寧に美しく仕上げられているのは、いつもの作品と同じである。
 
 しかし、この作品には、どこか違和感があり、それが心にひっかかって、なんともしっくりこない作品であった。
 他の人達の作品をみながら、図録の解説の部分を読んでみた。
 
 日本画部門の審査責任者で、月館さんの師匠である近藤弘明氏の文章に、彼女の作品のことが書かれてあった。「入選の中で心にのこった作品の一つ。当落線上をいったりきたりしたが、やはり入って良かった。今後、良い作品を期待する」となるほどと思った。
 
 今回の彼女の作品は、賞をとるだけの力がなかったのだ。そう納得してからもう一度作品をながめてみた。どこに違和感があったのだろうか。
 
 今回の作品は、夕陽を浴びた草原(河口のようでもあり海岸のようでもある)と海をバックに、レストランの一室で食事をする若い女性の物憂い表情を描いている。女性はスープを飲もうとしてスプーンをあげているのだが、その表情は虚ろで、スープをすくったまま、手が途中でとまってしまい、目はあらぬ方をむいている。
 その傍らには一人のウエートレスが一人、これも茫然とあらぬ方を見て立ちすくんでいる。
 背景の草原には手をつないで走る母娘が一組と、海岸(河口?)で釣をする男が一人。そして遠くには街並と島影が見える。
 
 じっと見ると、どこに違和感があったのかよくわかった。
 レストランの椅子やテーブルには脚が2本しかないのである。そのため存在感がなく、画面にあとからつけたかのようなのである。そして、背景もおかしい。
 「行く夏」ということであるから夏も終わりなのだろうが、草原の草はまるでゴッホが描いた燃える草のよう。太陽の光を一杯に浴びて、まるで炎のようなのである。しかし、空の色は赤味をおびてすでに夕暮。どこかちぐはぐである。
 さらにこの場所は河口とも海岸ともどっちともとれるし、どちらでもない。堤防と街並と水との間のコンクリート護岸の様子からして、これは川岸である。しかし、その水の様子は、ヨットが浮かび、遠くには島影すら浮かんでいる。これは海の光景である。ここもちぐはぐなのである。
 もっとも解せないのが、絵に登場する5人の人物と風景とで、何を表現しようとしたのかということである。
 あらぬ方を見やる女性とウエートレス。一人釣をする男性。そこにはどこか淋しげな風情が漂う。しかし、草原を走る母娘は楽しそう。5人(正しくは3人と1組み)の人間の関係は希薄であり、全体としては物憂い雰囲気が漂ってはいる。しかし、群像として人物を見ると、関係性もなければ、相互に対比されているわけでもない。なぜこのような人物が描かれているのか。そこがよくわからないのである。
 
 昨年の賞をとった作品などは、そこがとても明白であった。この絵に感じた違和感というのは、この絵が何を象徴させるのかという作者の意図が不明確であり、絵が部分部分でバラバラになってしまっていることに起因するようである。そしてこのことが原因で、当落線上をさ迷ったのではないだろうか。
 
 月館さんの絵は具象的な人物画ではあるが、そこに現代社会がかかえるさまざまな問題が象徴的に描かれるものである。何を描くのかが大切で、それを表現する素材の選択こそが、彼女の絵の命である。この2点において、今回の作品は失敗しているといわざるをえない。難しいものである。

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