〔ルネ・マグリット展〕95.1.6


 シュール・レアリズムの大家、ルネ・マグリットの作品展。

 不思議な絵である。標題と絵のイメージは関係がないように思える。というより、相互に混乱させるためにあるようにすら感じる。絵にとりあげられた題材。例えば、鈴・森・木の葉・魚・海・扉…。こういうものが通常のヨーロッパ世界でどのようなイメージを象徴しているのか。これを知っていたらもっと面白く見られるだろうし、画家が表現したかった事が、もっとよくわかるだろう。
 例をあげると、部屋の木の扉が壊され、その隙間から見えるものは、こちら側の部屋とは全くの異なる世界。そこには木の葉の形をした木々がはえ、ビルの上には、普通の家くらいもの大きさの鈴が乗っているといった具合。扉というものは世界を区切るもの。入口であり出口でもある。扉の向こう側にはどんな世界が待ち受けているかわからないという不安とか期待を抱かせるものである。この絵はそういった人々の感情を表現したものなのだろうか。それにしても何故巨大な鈴なのか。どうして木の葉が木のように地面から直立しているのか。もしかしてマグリットは、これらの事物のイメージを利用して、それを逆転させたり破壊したりすることで、別のイメージを伝えようとしているのかもしれない。

 印象に残った絵が二つ。

 一つは「ピレネーの城」。画面下部の海の風景は、フランス写実主義派の頭目クールベの「波」そのものに思える。「絵画は現実を忠実に写すもの」と主張した人の作品をベースにして、その上に非現実の世界を展開する。つまり、中世の山城を乗せた大きな岩山をその波の上に浮遊させる。これは何を意味するのであろうか。写実主義的な絵画観への否定なのか。

 もう一つは「とらわれた美女」。風景の中に、その一部をなすキャンバスを置く。そのキャンバスの絵は風景の一部を切り取ったものであり、風景そのものにピッタリと一体化している。「絵画は現実の一部を切り取ったもの」という思想を表現しているのか?。逆に「切り取ったことでそれはすでに現実のものではない」と言っているのか?。とにかく「この絵は何を表現しているのか」と思わず知らず考えされられてしまう。

 これがマグリットが意図したことなのかもしれない。彼は何かを表現しようとしたのではなく、「既存のイメージに囚われずに自分自身の感性で現実を感じ取れ」と言いたかったのかもしれない。いや、もっとうがったみかたをすれば、「絵画は見る人の心によって違ったものを表現する」と言いたいのかもしれない。つまり、絵画は、それを描いた画家の心象風景であると同時に見るものによって異なった、それぞれの人の心象風景なのだと言いたいのかもしれない。とにかく面白い作品ではある。


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