<答えのない形而上的つぶやき>を見て


 公演を見させていただいての感想を少し書きます。モダンダンスの世界も何か袋小 路に入っている感じがしました。いったいこの人たち

は何を見る人に語り掛けたいの かよくわかりません。どこか踊る事自身が自己目的化しているような気がしました。 あなたの作品の前後

の2本の作品にそう言った感が強いです。  

 北村さんの「双曲線地帯」。すごい踊りです。踊り手同士の掛け合いが接触すれす れの所でぶつかり合い共鳴しあい、激しいリズムに乗

ってとても迫力のある、でも同 時にとても精密な機械のような踊り。たとえて言うなら合気道かテコンドウの模範試 合を見ているよう。人間

の肉体がここまで動けるのかと言う感じがしますが、あまり に精密過ぎて肉体のエネルギーを感じるよりは、精密な機械人形の無機質さを

感じて しまいました。「作品ノート」を読ませてもらって何かねらっているところはわかる のですが、あまりに抽象的すぎてわかりません。

 杏奈さんの「Octopus Street」。踊り手のとてもしなやかな力のこ もった美しい動きが印象的です。Octopusって蛸のことですよね。

蛸の生態と 言うか動きをとてもリアルに描写し、海底での生活をストーリー性をもって描いた感 じ。でも印象に残ったのは踊り手の踊りの

すごさだけ。この作品は見るものに何を訴 えたかったのでしょうか。  もしかしたら訴えかけようとは思っていない。自分の感じたまま自分

の考えたまま を表現し、受け手がどう感じようとそれは自由と言う立場なのかもしれません。

 私は芸術はすべて神への祈りから始まったものであり、そのことを通じてその場に いる全ての人々にある共通の感動とか感じ方とか考

え方とかイメージだとかを伝える ことを目的にしていると思うのです。でも現代芸術はどの分野も「表現する事自身が 自己目的化し、表現

者にしかわからないものになっている」ような気がします。これ は私が特に興味のある絵画や彫刻、そして写真や音楽の分野でそう言えま

す。表現を 受け止める人に何をぶつけていくのか。そしてぶつける事でどんな共感を生み出そう としているのか。現代芸術はこの点が抜

けてしまって、一部の芸術表現を楽しむ人だ けの物になっているような気がします。

 この点で由さんの踊りはいつも違います(と私は感じています)。

 今回の作品「答えのない形而上的呟き」は、二つの異質な作品に挟まれて、その特 質が際立って感じられました。そして恐ろしいほどの

静寂感。ほとんど動きのない能 のような踊り。そしてポーンと響く太鼓のような音。どこか遠くのそれでいて身近な 自分の心の中を覗いて

いるような感じがして、いつもながら心臓の鼓動がとても静か になり、自分の呼吸が緩やかに穏やかになっていることに気づきました。

 舞台左側の 男性のイスラム教徒やチベット仏教や日本の大乗仏教にみられるような、大地に身体 をぶつけていき全てを大地にゆだね

てしまう祈りとしての「五体投地」の姿勢。舞台 正面の女性の天に祈るような姿勢(エジプトの彫刻やメソポタミヤの彫刻にしばしば 見られ

る神への祈りの姿勢)。そして舞台右手で揺らめく人の心を表したようなあな たの踊り。すごく印象深く強烈にその映像は私の心の中に残

り、強烈なメッセージを 送ってきます。

 真中の女性とあなたの踊りに目をやっていると心が静かに落ち着いて いき、しだいに眠りに誘われていく感じがするのですが、左手の男

性が大地に身を投 げるドーンという音でいつも現実に引き戻される。だんだんあなたの踊りが早く目ま ぐるしくなるにつれ、音楽がかすか

に少しずつざわめき、イライラするような人々の 呟きのような響きがどんどん大きく早くなって耳を覆うほどの大音響になって・・ ・。突然終

わる。

 踊りとともに私の身体と心が動き回っているのが感じられます。  終わってみると心地よいんですね。いつも。ここがあなたの踊りの特徴

かな。とて もシンプルな動きと音響でいて、強烈な映像を心に描き出す踊り。今回も心に残りま した。

  コンクールですね。審査員の方々はいったいどのような観点で批評し、どんなとら えかたをするのかとても興味があります。由さんには

当然詳しい批評が届くわけで しょ(出場作品全ての批評はどこかに載るのでしょうか?)。審査員の方々の批評を 知りたいと思います。結

果がわかったら教えてください。

 また次の作品を期待しています。


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