ピカソ子供の世界展


 パブロ・ピカソが全生涯に渡って描いたモチーフに「子供」がある。今回の展示には約160点が寄せられ、描かれた年代と技法ごとに分類され展示されている。それは以下のような順番だ。

@子供の発見(ピカソの初期作品)              
A感傷的世界の子供たち(「青の時代」と「バラ色の時代」 
Bパウロの誕生                          
C象徴としての子供、マヤの誕生               
Dクロードとパロマ                        
Eマルガリータ・マリア王女(《ラス・メニーナス》の連作)  
Fプットーたち                           

この中のB〜Dの部分がピカソが自分の子供たちを描いた時期だ。そして3つとも子供の描き方が違うところがおもしろい。

最初のBの第1子パウロが生まれた時期には「母子像」が多く描かれ母と子の情愛がとてもほほえましく象徴的に描かれている。そして長男パウロの肖像も、彼を様々な人物に仮装させた形で描き、しかも一枚一枚の絵が、写真をもとに描かれ、まるで肖像画を描いているようである。

しかしその十数年後にあたるCの長女マヤの誕生以後は子供の描き方が違ってくる。ここでは彼は長女の成長を克明にスケッチする。しかもこのスケッチのために手漉きの非常にやわらかいきめの細かい紙を用いているので、こどもの肌の柔らかさやその匂いまで再現しているかのようであり、娘に対するピカソの愛情が素直に伝わってくる。会場に展示された絵の中で一番美しいほっとさせられるコーナーである。

赤子のマヤ 1935年

画家の娘―マヤ 1943年

そして最後のDの時期、自分の孫にも等しい子供たちが生まれたとき、ピカソは子供の様々なしぐさを絵にしていった。ボール遊びをしたり三輪車に乗ったりおもちゃで遊んだり・・・・・・・、様々な子供たちの日常の様子が生き生きと描かれている。長女マヤが今回の展覧会の図録の論文集に父ピカソのことを書いているのだが「自分のときは椅子に座らされて長い間動かないで・・・・といわれて辛かった」と述べているのだが、孫にも等しい子供たちとは何時も一緒に遊びほうけ、しばしば母親の目を盗んで子供の服を自分の物にしていたそうである。まるで自分が子供になったかのような絵をピカソはこの中で描いていた。

ピカソはなぜ生涯に渡って子供を描きつづけたのだろうか。自分の子供がいない時代と子供を持った年齢の違いによって子供に対する直接の思いは違うだろうが、ピカソを引きつけたのは子供の美しさだと思う。常に現代社会の暗部と向き合ってそれを告発する事を止めなかった芸術家にとって、子供の持つ輝きは天上の光りとも見えたのではないだろうか。そして子供の目で見たとき世界は違って見えるし感じられる。それを大切にしたいと言う思いが生涯に渡って子供を描きつづけたのだと思う。(2000.5.07)

 


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