八島院宣
<主な登場人物> ●平重衡:1157−1185 平清盛の5男。母は平時子。正三位左近衛権中将。本三位中将と呼ばれる。1180年以仁王の乱鎮圧の過程での南都焼き討ち時の総大将。墨俣合戦、水島合戦、室山合戦など多くの戦いの大将軍を務める。
<物語のあらすじ>
<聞きどころ> この句は院宣そのものを「読物」という特殊な節で読み上げるもの。「読物」の節は、音域としては「拾」と同じく「上音」「下音」に分かれているが、節回しは特殊で重々しくもかつ軽快なところがある。
<参考> 「平家物語」では、三種神器と重衡との交換は院の意向と記されるが、左大臣九条兼実の日記『玉葉』の2月10 日の条には院の蔵人定長の話として「重衡が申して言うには、書札を使者(重衡従者という)に添えて前内府の元へ遣わし、剣爾を請い受け進上すべき云々と。このこと叶うべからずとは言えども、試しに申請に任せて、ご覧ずべきかと云々。」と伝える。つまり、三種の神器と重衡自身の交換の話は重衡の発案ということだ。そして実際に重衡に会った定長としては、「これは実現するとは思えないが重衡の申請に任せてやらせてみよう」という判断で行われたと。重衡としては、一の谷で敗れたとはいえ、西海における平氏の勢力は依然として強勢であり、これを機会として平家と院との和平を実現しようとの意図だったと考えないと、重衡が八島の平氏に使いを送って三種の神器返還の話を持ち出した意味は不明となってしまう。これが実現しなかったのは、兼実がこの重衡私信への返書来着の項で記したように(3月1日の条)、(頼朝が承諾するわけがないから)実現は難しいとの予測通りに、院と平家の交渉に頼朝が待ったをかけたものか?
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