遠矢

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主な登場人物

和田義盛:11471213 相模国三浦郡の大豪族三浦義明の孫で義宗の子。頼朝の挙兵当初から付き従い、鎌倉に入った頼朝から御家人を統括する侍所別当に任じられた。木曽義仲追討や平家追討の戦いでは源範頼麾下で戦い、後の奥州藤原氏を討つ奥州合戦の折は、侍所所司の梶原景時と共に軍兵召集の任にあたり、自らも出陣して戦功を立てた。頼朝の死後は宿老の一人として重きをなしたが、建保1(1213)年北条氏の巧みな挑発によりついに挙兵、三浦氏の協力を得られず奮戦むなしく敗死した(和田合戦)

 

<物語のあらすじ>

      潮流に乗って進む平家勢優勢の中で、陸に陣取った範頼勢もまた、陸から平氏の兵船に対して遠矢で応戦した。中にも和田小太郎義盛の弓は強弓で、3町(300m)前後の敵は皆討ち取り、その中でも遠くに飛んで中納言知盛の船に突き刺さった矢を「その矢を射返せ」と手招いた。その矢を賜った仁井紀四郎が射返した矢は、和田の後ろに控えていた三浦石左近太郎の左手に突き刺さった。また遠矢合戦は沖合の船同士でも行われ、仁井紀四郎が放った矢は義経の兵船に突き刺さり、射返せと命じられた甲斐源氏浅利与一が射た自分の矢は、仁井紀四郎の胸板を貫いた。戦が膠着状態になる中で(八幡大菩薩を拝んだ)義経の前に、空から白旗ひと流れ舞い降りて、源氏の船の舳先に降り立った。

<聞きどころ>

「遠矢」は 陸と海、海と海とでの遠矢合戦の様が描かれるが、「口説」⇒「強下」の繰り返しで淡々と合戦の様が語られ、その後源氏が奮戦すれども劣勢なのは平氏が先帝と三種神器を帯しているからと「中音」で朗々と語り上げ、 戦の最中に虚空から白旗が源氏の船の舳先に舞い降りるという吉兆を語って終わる(『「覚一本平家」ではこのあと義経の吉兆の解釈と阿波民部の裏切りによる形勢逆転が続くが、「平家正節」はこれらの話はみな、次の「先帝後入水」に入れられている )。

<参考>

      なお、「空から白旗ひと流れ舞い降りて、源氏の船の舳先に降り立った」という吉兆と、これに続いて多数現れたイルカの群れが、平氏の兵船の下をくぐって通り抜けたという吉兆の話は、『延慶本平家物語』では、阿波民部ら四国勢が裏切って形勢が逆転したあとに語られ、これを見た中納言知盛が平家の敗北を悟り、平家の軍兵に自害を勧め、二位尼が安徳天皇を抱いて海底に沈んだという形に語られている。つまり源平の戦いの形勢逆転には二つの吉兆は寄与しておらず、形勢逆転は四国勢の裏切りが契機だったというのが当初の形だったようだ。