早馬

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 ▼主な登場人物

 頼朝に加勢したのは、伊豆の北条四郎時政、相模の土肥・土屋・岡崎、そして加勢に向かおうとして行く手を阻まれた三浦。頼朝の謀反鎮圧に回ったのは、相模の大庭景親らと武蔵の畠山重忠と畠山の同族・河越・稲毛・小山田・笠井・江戸ら。敵味方共に、桓武平氏の流れを汲む坂東の武者たち。

<物語のあらすじ>

 以仁王の平家打倒の令旨に園城寺(三井寺)だけではなく南都の興福寺などの衆徒が応じて蜂起したことに驚いた平家は、1183年(治承4)62日、摂津福原への遷都を断行した。安徳天皇を始め中宮・高倉院を始め、太政大臣以下の公卿殿上人はみな新都に移り、旧都の公卿らの建物の多くは取り壊されて新都に移された。後白河法皇は鳥羽殿から出され、福原の板屋に押し込められた(「都遷」)。【いつ反乱を起こさないとも限らない南都北嶺の寺院勢力から離れ、かつ大陸との交易にも便利な瀬戸内の福原へ遷都し、安徳を奉じて政権の安泰を図ったわけだ。】しかし未だ新都建設の槌音も止まぬ間に、92日相模国住人大庭景親が福原へ早馬を以て、817日の伊豆国流人右兵衛佐源頼朝の謀反と、続く相模石橋山合戦で景親らが頼朝勢を打ち破り、頼朝や彼に加勢しようとした相模の三浦一族らは安房へ逃げ延び再起を図ろうとしていると告げた。

 <聞きどころ>

 「大庭早馬」はわずか10分ほどの短い句。頼朝の謀反から石橋山の敗戦、そして三浦一族の衣笠城での敗戦から安房への逃亡まで一息に「拾」の「上音」「下音」の節を使って一息に語り終える。