朝敵揃

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<物語のあらすじ>

 1183年(治承4)92日相模国住人大庭景親が福原へ早馬を以て、817日の伊豆国流人右兵衛佐源頼朝の謀反と、続く相模石橋山合戦で景親らが頼朝勢を打ち破り、頼朝や彼に加勢しようとした相模の三浦一族らは安房へ逃げ延び再起を図ろうとしていると告げた(以上早馬)。
 この報に都は大騒ぎ。平家の若き公卿殿上人は「我こそ討手に」と逸り、入道相国は怒り狂う。折節大番役にて京にいた東国武士、畠山庄司重能らは、「頼朝を娘婿とした北条はいざ知らず、その他の(元)源氏(家人)らは、とても頼朝の見方をするとは思えない。」と述べ、情勢の推移を見守るようにと進言。これにたいして「そうであろう」と頷く者もあるが、「いやいや大事にならん」と嘆くものもあった(以上「覚一本平家」では「早馬」の最後にあった一文を「「平家正節」では「朝敵揃」の冒頭に移して語る)。

 我が朝の初め、神武天皇に逆らった土蜘蛛から保元平治の左大臣頼長・衛門督信頼に至るまで20余人の朝敵あれど誰ひとりとして本懐を遂げたものはいない。しかし最近は昔とは異なり朝権も弱り、はてさてどうなることか。「かつて延喜の帝(醍醐天皇)が神泉苑に行幸なったときに、池の鷺をとってまいれと蔵人に命じたことがある。蔵人はどうしたものかと思案したが、上命であるので「宣旨ぞ」と鷺に告げたところ、今まさに飛び立たんとしていた鷺が羽を畳んで控えた。これをもって帝に差し上げたところ「汝、神妙なり。今後は鷺の王たるべし」とて鷺を五位になし、鷺の王との札を首につけた話したという」との言い伝えを引き合いにして、朝権の衰えたさまを嘆く。

 <聞きどころ>

 冒頭の平家の人々の混乱の様は「口説」「素声」で淡々と語り、次の我が朝開闢以来の朝敵を列挙するくだりでは、最初「中音」で土蜘蛛の話を朗々と語った後、一転して「拾」で大石の山丸以下左大臣頼長・衛門督信頼に至る朝敵の名前を列挙。最後に最近の朝権の衰えを嘆き昔は「宣旨ぞ」というだけで池の鷺までひれ伏したとの話を「口説」で淡々と語って終わる。この曲節の変化は見事。