【書評】「民主と愛国」 (小熊英二著・新曜社・2002年10月刊)
戦後政治を支えた基盤の崩壊
―新しい枠ぐみはいかに語られるか?―
▼ 戦後政治の基盤の崩壊
総選挙の結果は、社民・共産両党が退潮し、新民主党も社共などの後退分を吸収しただけで政権には届かず、与党の安定多数確保と言う結果に終わった。しかしこの選挙の表面的な結果の裏に、深刻な構造的変化が進んでいることを見逃してはならない。
無所属候補の追加公認と保守新党の吸収で単独過半数となった自民党だが、この議席は公明党・創価学会の全面支援がなければあと40議席は落し新民主党に政権を奪われかねなかったことは、各種の選挙結果分析の示す所である。長引く不況と金ばらまき行政の規制によって、従来の業界団体を基盤とした自民党の集票組織が動かなかったことは、自民党を支えた利益誘導組織が解体し始めていることを示している。
しかし対する民主党も支えるべき連合が求心力を欠いているために組織的基盤がなく、漂う無党派層だのみとなっていることも明白である。そして社民・共産両党の退潮は、両党を支えてきた「平和と民主主義」を求める国民的思潮が大幅に風化し、その活力を失っていることを示している。
日本の戦後政治を支えてきた国際的基盤である冷戦・平和共存というアメリカの時代は90年代初頭に終わったが、日本は10年遅れで戦後政治を支えてきた国民的意識が崩壊をはじめ、その再編が不可避であることを総選挙の結果は示しているのである。
しかし、アメリカの時代に変わる新たな世界的枠ぐみや日本の将来像も展望できない中での総選挙は、未来を積極的に選択できない状況を生み出し、高い棄権率と現状維持的結果を生み出してしまった。時はまさに、戦後政治を支えてきた構造に変わる新たな枠ぐみを構想し、それが提示されることが不可欠な時代に入ったのである。
▼戦後世界認識再考・「発想の転換」へ
では戦後政治を支えてきた構造に変わる枠ぐみを、いかにして構想するのか?
この問題を考えるには、戦後政治の枠ぐみの成立・変遷・崩壊の過程を振り返ってみることが肝要である。そしてこの際最も大切なのは、その戦後構造を支えてきた政治思想・世界認識の成立・変遷・崩壊の過程をつぶさに振り返って見ることが大事である。
なぜなら政治・経済・社会の崩壊・再編期には、その基盤が崩壊しているという現状とその理由とを認識することなしには、新たな枠組みを構想する力は獲得されないからである。やさしく言えば「発想の転換」。発想を転換するためには、今までの世界を認識してきた意識の構造・言葉を再検討し、基盤の崩壊の現実に合わせ、その意識の構造・言葉の転換を図ることが不可欠である。
この作業をする上で、ここに紹介する「民主と愛国」という書物は、格好の素材を提供してくれるものといえる。
▼ 私たちは「戦後」を知らない
これは本書の帯カバーのキャッチコピーである。
戦後の枠ぐみを再検討しようとする動きは近年盛んであるが、どの論者も「戦後」を知らず、それを誤解したまま論じているというのが著者、小熊氏の認識である。
彼は戦後を三つの時期に区分する。
第一の戦後は1955年まで。戦後の国際的な混乱の時期。そして第二の戦後は、国際体制の安定を基礎にした高度経済成長が続いた時期。中心的には1960年代と70年代であり、その余波は1990年まで続いた。さらに第三の戦後は1990年以後、現在の時期である。
小熊氏は、第一の戦後と第二の戦後とが全く違った世界であったことを踏まえ、この2つの戦後の時期において、『日本のナショナル・アイデンティティイをめぐる議論に、何らかの質的変化があったのではないか』(本書序章:12頁)という仮説を提示する。そしてこのことは、日本の国のありかたを認識する言語体系、すなわち「国家」「民族」「民主主義」「愛国」などの言葉もことなる響きをもって使われていたのではないかということを意味し、これを念頭に置かないと「戦後」を誤解することになる。
彼はその例を2つあげている。
1つは、「戦後民主主義」を批判する右派団体「新しい歴史教科書をつくる会」の主要な論者たちの「戦後民主主義」に関する言説である。
『それは、「国家」を否定して「個人」を重視した世界市民思想であり、アメリカの影響をうけた「近代主義」「西洋主義」であり、共産主義への信仰を抱いており、大正教養主義の延長であった』(同序章:15頁)。
しかしこれは共産主義の影響の強い第一の戦後の思潮と、それを否定した第二の戦後の思潮とをごちゃまぜにしただけであり、事実誤認でもあるという。
そしてもう一つ、小熊氏は「戦後」を評価する戦後思想の研究者たちをあげる。
『あたかも敗戦直後から、丸山眞男をはじめとした「市民社会派」や「市民社会論者」なるものが存在したかのように述べる研究者や評論家は数多い』(本書結論:805頁)。
しかしこれも誤解である。「市民」という言葉が肯定的に使用されるようになるのは1950年代後半、ことに1960年の安保闘争以後のことであるという。
この人々が「戦後」を誤認した理由について小熊氏は以下のように述べている。
『「戦後民主主義」という呼称もまた、1960年前後から現れたものであった。「第一の戦後」に生きていた人々は、同時代の多様な運動や思想を、総称する言葉をもっていなかった。「戦後民主主義」とは、「第二の戦後」から「第一の戦後」を表象するために発明された言葉である。そのような表象が、しばしば実情とかけ離れた、単純化されたものになりやすいことはいうまでもない。(中略) 「第一の戦後」と「第二の戦後」では、同じ言葉でも、その響きが異なっていた。本書で検証してゆくように、たとえば「市民」という言葉、「近代」という言葉、あるいは、「民族」という言葉は、「第一の戦後」と「第二の戦後」とでは、異なった意味をもっていた場合が多い。そうした問題に無自覚であれば、同じ文章を読んでも、当時の響きとはまったく異なる解釈を下してしまう危険性がある』(序章:16頁)と。
まとめていえば、多くの論者は「戦後」を知らず、そこにおける言葉の響き(著者は「言説」という)を知らないまま、後の世、自分が育った時代の響きをもとにして「戦後」を批判したり評価したりしたものだということである。
したがって小熊氏は、戦後の世界認識・その変遷を総括するために、そこにおける言葉の使用法を、その言葉を使った個人のテキストを、その人の生育歴や環境を踏まえつつ、その人の初発の意味を大事にしながら、戦後の思潮の変遷を解析していくという方法をとる。そして本書の第1章から第16章、総ページ数にして760ページあまりを使って「戦後」の世界を生き生きと蘇らせることで、その思潮の成立・変化・衰退の過程をとらえようとしている。
▼戦後思想の強さと弱さを越えて
では小熊氏は、「平和と民主主義」と総称された戦後思想の本質をどのように総括し、そして今後を展望するのだろうか。
『戦後思想とは、戦争体験の思想化であったといって過言ではない。』『戦後思想の最大の強みであり、また弱点でもあったのは、それが戦争体験という「国民的」な経験に依拠していたことである。』『それはまさに、戦争という悪夢を共有した者たちがつくりあげた、一つの共同体であった。』『おそらく日本でもフランスでも、敗戦国における「戦後思想」の活力の源泉は、死の恐怖と結びついた崩壊感覚であった。それは、現存の秩序や世界を、安定した必然と考えることができない不安感でもあった。』『戦争体験は、少なからぬ人びとに、言語を絶した心情を植えつけた。そこから、既存の言葉や思想への懐疑と、新しい言葉を作り出す努力が始まった。』『戦後思想の最大の弱点となったのは、言葉では語れない戦争体験を基盤としていたがために、戦争体験をもたない世代に共有されうる言葉を創れなかったことであった。』『戦後思想の崩壊感覚は、秩序が安定した高度成長期以降は、およそ理解されないものとなっていった。』『もちろん、戦争と戦死者の記憶は、「第一の戦後」が終わったあとも間欠的に想起され、戦後思想に活力を与えることもあった。60年安保闘争やベトナム反戦運動の広がりを支えたのが戦争の記憶だった(中略)。戦争の記憶の活力に依拠したまま、戦争体験の言語化が一定程度にとどまり、戦争を知らない世代との断絶を創り出したことは、戦後思想の大きな限界だった。』『「第二の戦後」の安定を背後から支えていたのは、「第一の戦後」の残像である平和主義であった。60年安保闘争は、安保改定を阻止できなかったことから「敗北」と認識されたが、日米の政権を動揺させ、アメリカの対日軍事要求を抑制させた効果は少なくなかったと思われる。こうした運動の高まりがなければ、アメリカの対日軍事要求はずっと強まり、日本が経済成長に邁進することは不可能になっていたかもしれない。もちろんその経済成長は、沖縄を米軍に提供することによって成立していたものであったのだが。しかし冷戦の終結とともに、「第二の戦後」を支えていた国際秩序は消滅した。それと同時に、「第二の戦後」で達成されていた日本の経済成長も止まった。さらに世代交代のいっそうの進展とともに、戦争の記憶を基盤とした「第一の戦後」の残像も、最終的な減衰段階に入ってきた。』と、彼は戦後思想を総括した。
そして、新たな枠ぐみを語る言葉の形成に向けて以下のように述べる。
『「第一の戦後」の言葉が影響力を失い、「第二の戦後」が終わったいま、新たな「言葉」の創出が必要とされているのである。』『戦後思想は既存の言葉の読みかえによって変遷してきた。(中略)戦後知識人たちは戦中思想の読みかえや、アメリカから与えられた憲法の領有によって、戦後の言葉を創りあげてきた。こうした戦後思想が、多くの人びとに受け入れられていったのも、それが既存の言葉の読みかえであったことに一因がある。まったく新しい言語体系を「輸入」しても、多くの読者は、それを共有することができにくい。』『多くの戦後思想は、何らかの公的な共同性−それは「国民」「民族」「市民」「人間」などさまざまは呼称で表現されたが−を追求していた。その場合、「国民」や「民族」はもちろん、60年安保闘争やべ平連などで唱えられた「市民」や「人間」も、ナショナリズムを全否定するものではなかった。』『新しい時代にむけた言葉を生み出すことは、戦後思想が、「民主」や「愛国」といった「ナショナリズム」の言葉で表現しようと試みてきた「名前のないもの」を、言葉の表面的な相違をかきわけて受けとめ、それに現代にふさわしいかたちを与える読みかえを行ってゆくことにほかならない。それが達成されたとき、「戦後」の拘束を真に乗りこえることが可能になる。』(本書結論*794〜829頁)と。
さあ、本書を導き手として、「戦後」を問いなおし、新しい時代にむけた新しい言葉=新しい世界の枠ぐみを作り出す旅に乗り出そうではないか。
(11/20)