厳罰化で少年犯罪は減らせるか?

―問われる、自立と連帯にもとづく新しい社会の構築―


▼保護者に対する罰則強化

 昨年11月13日づけの毎日新聞は、横浜の中田宏市長が、深夜に外出する少年の保護者に対し、各都県の青少年保護育成条例で罰則を設けるよう、13日の8都県市首脳会議(首都圏サミット)で東京、神奈川、埼玉、千葉の4都県知事に提案することを明らかにしたと報じた。
 神奈川県青少年保護育成条例は、罰則はないものの「特別な事情」がある場合を除き、18歳未満の少年を「午後11時〜午前4時の間、外出させないよう努めなければならない」と保護者の努力規定を定めており、埼玉と千葉の両県条例にも同様の規定がある。今後中田市長は、保護者への罰金創設などを提案する予定という。
 その後の報道では、神奈川県の松沢知事が検討を約束し、川崎市の阿部市長は具体的な罰則などの措置は実施主体である自治体首長にまかせてほしいとの要望をだし、青少年条例の改正は具体的な課題となったようである(1月15日付けの毎日新聞によれば東京都も同様の対応を取り始めた)。
 このような動きは最近顕著であり、9年前の神戸の小学生連続殺傷事件以後加速し、14歳未満であっても検察官が関与し、刑事罰も課せられるようになった流れの一つである。しかし筆者は、このような罰則強化という方法については疑問である。
 これは対症療法でしかないという自覚なしに実施しつづけて行けば、とどのつまりは、犯罪を犯す可能性があるものは社会から排除するという思想の全面跋扈につながりかねない危険すらあると思う。
 この小論では、罰則強化によって少年犯罪を減らそうという考えがどのようにして産まれたのかと、背景にある犯罪の増加とその意味の捉え方を検証することを通じて、この方策の危うさを論じてみたい。

 ここに一冊の本がある。刑法学者である前田雅英氏の『日本の治安は再生できるか』(ちくま新書:2003年6月刊)である。この本は戦後日本の犯罪情況の変化とその内実を官庁の統計を使いながら明らかにするとともに、その背景として社会規範の変化、すなわち社会の変化をも視野に入れて論述している所に特徴がある。著者の前田氏は、罰則の強化は当面の対症療法にすぎず、必要なのは安全を生み出す新しい社会秩序を創り出すことだと論じているが、この結論部分はあまりに抽象的であり、結果として罰則の強化を提言する形になっている。
 その意味でこの書物は、犯罪の増加を社会の変化の現れと捉えながらも、罰則の強化でしかこれに対応できない多くの論者、とりわけ昨今の改革派と称される人々の認識の限界をも見事に体現している可能性がある。そこでこの本の論述を追いながら、犯罪をめぐる歴史と現状を捉えつつそれをどう認識すべきかを、この書の批判という形で論じていこうと思う。

▼激増する犯罪の諸傾向

 前田氏によれば、戦後日本の犯罪情況の変化は「U字型」であるという。10万人あたりの刑法犯犯罪率(交通事故を除く)で見ると、終戦直後に10万人あたり2000件にまで急増した犯罪率は、その後30年間は一貫して減りつづけ、1970年代には1100件程度と半減した。それが75年を画期として増加へと反転し、90年代初頭には1400件代へと増え、さらに96年を画期として急増、2001年には2200件と戦後の混乱期を凌駕する「犯罪多発」情況に至ったと言う(強盗などの凶悪犯罪についても同じことが言える)。
 つまり70年代前半までは、欧米先進国の犯罪が軒並み増える中で日本のみが「安全」な国というイメージを持たれるほど、戦後の30年間は犯罪の少ない国であった。それがオイルショックと戦後資本主義の後退期の始まりとともに増え始め、特にバブル崩壊以後の未曾有の不況の中で犯罪が急増し、今や欧米先進国、とりわけアメリカと並ぶほどの犯罪の多い国となったという。
 あまりの犯罪の増加によって捜査にあたる警察官や検察事務官・検察官は不足し、警察庁は重大事件に捜査を集中する方針への転換を余儀なくされて検挙率も大幅に落ち、かつては60%以上あった検挙率が20%を切る時代に陥ったのである。
 犯罪急増の主因として前田氏は、外国人犯罪と少年犯罪の増加をあげる。外国人犯罪、とくに来日外国人の検挙者に占める割合は80年代後半から増え始め、かっては1%にも満たなかったものが今や4%を占めるにいたっている(外国人犯罪の問題は紙幅の関係で別途論じたい)。
 一方少年犯罪は戦後一貫して増えつづけ、戦後混乱期の第1期に続き、50年代後半から60年代後半の第2のピーク、80年代の第3のピーク、そして96年を画期として急激に増加した現在の第4のピークを為しているという。この結果10万人あたりの推定犯罪率では、成人が167・5人なのに対して、少年は1691・9人(98年)となり、少年が刑法犯罪を犯す率は成人の10倍となっている。
 しかも増加する少年犯罪で注目しなければならないのは、重大犯罪が多いことである。強盗検挙者にしめる少年の割合は97年には50%を超え、2001年の段階でも40数%を占めるに至っている。1992年から2002年の10年間、特に増加率の激しい強盗という重大事件は192%も増加(つまりほぼ3倍)したが、その約半数が少年による犯罪であることは注目しておく必要があるだろう。
 そしてこの中で、かつては保護対象として刑事罰に処せられなかった少年も、2000年の少年法改正によって家裁から検察へ逆送致されるようになり刑事裁判にかけられるようになった(逆送致率は97年には殺人が12・5%、傷害致死が13・5%だったが、2001年には62・5%と65%に上昇している)。
 しかし前田氏は、少年に対する処分は今でも甘いと批判している。その根拠の一つは、家裁に送られた少年のうち審判を受けるのは40・5%に過ぎないし、審判をうけても不処分になるものが20・5%、保護観察は14・7%であり、少年院に送られたり刑事処分に処せられるのは全体の3・8%に過ぎない(2001年)という事実である。さらに家裁に送られた少年は20万4367人なのに対して、犯罪を犯したわけではないが喫煙や深夜徘徊などで警察に補導される「不良少年」は、年に100万人を超えるという事実である。
 つまり犯罪を犯したか、もしくはその予備軍とされる膨大な数の少年のうち厳しい処分を受けるのはほんのわずかに過ぎず、その主な理由も「保護されるべき少年」という考え方と、対処すべき警察官などの数の絶対的不足であるため、犯罪を犯したもしくは犯す可能性のある少年に社会に対する甘い認識を育ててしまうというのが、前田氏が少年犯罪への対処が甘いと主張する根拠である。
 では前田氏は、少年犯罪の増加の背景をどのように捉えているのだろうか。

▼規範意識の衰退と崩壊

 前田氏は本書の第4章「驚異的な治安大国だった日本」において、少年犯罪の四つのピークの意味を当時の社会状況との関係で解き明かし、その陰には規範意識の衰退または崩壊とでもよぶべき現象が起きていると指摘する。
 第一期は、食えないことを背景にした窃盗を主とした時期。そして次の60年代のピークは強盗と強姦が多く、1935年以降の10年間(昭和10年代後半)に産まれた「戦中世代」と戦後の1945年以降の10年間(昭和20年代)に産まれた団塊世代が少年犯罪の主力であった。前田氏はこのことから、親や教師が「教えるべき規範」を見失い、自身喪失に陥ったことから起こったのではないかとする。そしてこの第二期の行きついた先が69年から70年の大学紛争ではなかったかと説く。
 この時期は「親子の断絶」が流行語にもなっており、既存の規範への反発が学生運動であり、既存の規範の否定が少年犯罪だったのだと前田氏は規定する(130頁)。そしてこれを背景にして、70年代には「少年への規範のおしつけ」を排除すべきという意識が急速に進行したとする。
 また80年代の第三期は「暴走族」「校内暴力」の語に代表される時期で、14〜15歳の年少少年による傷害・暴行の目立つ時期である。前田氏はこれを教師の権威の喪失、それ以前に存在した親子の断絶、さらにはそもそも親の側における「規範の伝達」の意思と能力の欠如を背景として想定する。国民の90%以上が中流意識をもつ均質化された社会が出現する中で、これまで日本の治安を保ってきた「家族・コミュニティ・企業などの強い連帯性と団結性。それから生ずる集団性と組織性」(昭和54年度犯罪白書より)が崩壊しつつあることが原因だというのである。
 そして90年代以降の第四期。ここは強盗と恐喝の増加を特徴とするが、第三期が大都市を中心とするのに対して第四期は非都市型の県において犯罪が急増しており、規範意識の喪失が都市から全国に広がったことを意味すると論じている。
 前田氏は総じて、戦後の少年犯罪増加の基本的な要因は、「戦後にもなお残存していた戦前からの社会・地域・家庭の規範が徐々に崩されてゆき、そのようなプロセスの中で教育を受けたものが親となり、さらに規範の破壊を助長したことによる」(135頁)とまとめている。
 これは深刻な事態だから「社会の力で少年犯罪を防ぐ」努力がされねばならないが、当面の対策としては罰則の強化や警官の増員などで対処するしかないというのが、前田氏の結論なのである。

▼家父長制的社会の規範とその崩壊

 少年犯罪とその背景にある社会的変化についての前田氏の分析は、おおむね妥当なものであると思う。だから「社会の力」で防ぐしかないという結論もうなづける。だが前田氏は「社会の力」を具体的には示さない。あるのは家庭や学校、警察や地域の連携という抽象的なもののみである。罰則の強化や警官の増員は有効ではあっても「対症療法」に過ぎないと指摘しながら、根本の対策は既存の社会組織の連携だけであり、強調されているのは「家庭の教育・しつけ機能の低下」と「教育現場での自由尊重の行きすぎ、子ども中心主義」を嘆く態度である。つまり結果として厳罰主義と規制強化しか残らない。
 なぜ前田氏はここに止まるのか。
 それは前田氏が「戦前からの社会・地域・家庭の規範」に過剰な親近感を抱いているために、その崩壊という事実が持つ歴史的意味が全く理解できないからだと思われる。だからその規範の崩壊現象である大学紛争や校内暴力や親子の断絶を非難し、それを克服できない社会の現状を嘆くのである。
 規範の崩壊は、それを支えた「社会」の崩壊だということにも彼の思考は届いていないと思われる。前田氏は「旧来の規範」が正しいと思っている。だからその崩壊の中で起きているもう一つの事実、刑法犯増大の裏側で多発する学校や家庭内の事件には目が行っていない。それは何か。
 校内暴力の中で明るみに出たことは、学校では日常的に教師が暴力で生徒を制圧していた事実、そしてあまりに瑣末な規則でその行動の自由を奪うばかりではなく、精神の自由をも奪っていた事実であった。そうした瑣末な規則での虐待が続く中で、「赤信号みんなで渡れば怖くない」という言葉が流行したことからもわかるように、規則一般を嫌い否定する態度が生まれてしまったのである。校内暴力は、この瑣末な規則に対する告発と否定の意味も持っていたからこそ、以後教師たちは怯んだのである。
 また最近、家庭の事件として話題になっている児童虐待や配偶者による暴力の問題も、「親子の断絶」と言われる裏側で、従来の家族が男親による家族の暴力的支配を孕んでいたことへの告発であった。団塊世代はこの暴力的な家族支配を感覚的に問題だと感じており、だからその一部は親の権威を否定して「お友達家族」を演じてしまった。それは暴力による家族支配の否定であり旧い規範の否定であったが、問題を意識化し新たな規範を示し得なかったために現実には多くの家庭で暴力支配が続行したし、暴力への反発もただ家庭秩序の崩壊しかもたらさなかった。
 さらに最近では、職場でのいじめも問題になっている。ファイナンス大手の武富士での暴力的な「総括」の告発をはじめ、業績をあげるために人権を無視した精神的肉体的苦痛をあたえることで会社への忠誠と不払い労働を強制する仕組みがあり、既存の労働組合はこの問題の解決には役に立たないことが次々と告発されている。
 日本の戦後の高度経済成長を支えた会社と労働組合がそれ自身「擬似家族」であり、権威による暴力的支配の性格をもっていたことが今、暴かれている。
 これらの現象は、前田氏があこがれる「戦前からの社会・地域・家庭の規範」とそれを支えた社会が、かつて精神分析家のアリス・ミラー氏が『魂の殺人』『禁じられた知』『沈黙の壁を打ち砕く』の三部作(いずれも新曜社刊)で告発した、暴力による精神の破壊と権威への従属をはかる「闇教育」が跋扈する世界だったことを証明している。
 そしてこのような社会は、社会学者の上野千鶴子氏が『近代家族の成立と終焉』『家父長制と資本制』(共に岩波書店刊)などで告発し分析している「家父長制」的社会であり家族であったのだ。

▼権威的社会から連帯的社会へ

 「権威をもつ者」が、その構成員を暴力的に支配する社会である家父長制的社会。戦後日本の高度成長はこのような社会のもとで達成された。しかしこの家父長制的社会そのものが揺らいでいるのである。
 家族の生きる糧を稼ぐ仕事と、社会に関する情報を男親が独占することでなりたっていた家父長制的家族。資本主義がより安い大量の労働力を求める中で主婦も労働者となり、子供も高校生ともなれば様々なアルバイトの道が提供される。そして資本主義の成長が止まって会社の業績が悪化するにともなって男親の賃金は削られ、妻子の稼ぎを当てにしないでは暮らせない状態となる。
 情報も出版文化の発達とテレビやインターネットなどのデジタル情報の発達によって、誰にでも手に入れられるものになった。豊富に存在する商品をも背景に、生活の糧をえる共同体としての家父長制的家族はその存在意義を減退させているのである。
 また学校も、そこが唯一の学習の場であった時代は終わった。図書館や博物館などの公共施設の充実と出版文化の発達、そしてデジタル情報の発達により、学びの場は無限に広がっており、学校=教師による情報と資格付与権の独占による学校の権威は、もはや存在しない。しかも学校を出たところで良い仕事の口があるとは限らない。「出世」を餌にして暴力による「社会規範」の押し付けと従順な国民の形成という学校の役割も、その強制に耐える価値がなくなったことによって失われつつある。
 そして「終身雇用制」によって安定した生活を保障してきた会社も、それが崩壊しつつある今日、もはや運命共同体などではありえない。
 戦後世界を大量生産・大量消費に基礎をおく福祉型の国家からなる世界へと組み替え、未曾有の繁栄を築いてきたアメリカ型の資本主義が袋小路に入りこんだ現在、これを支えた家父長制的社会もまたその存在意味を失って崩壊しつつあるのだ。
 では家族や学校、そして会社や地域の存在意味はどこにあるのか。これが今問われているのだと思う。
 その新しい存在意味を明らかにし、それが依拠できるアメリカ型資本主義に変わる世界システムが構築されていないがゆえに、新しい社会規範を生み出すことができず、社会の秩序意識が壊れたままになっているというのが現状であろう。これを背景にして少年犯罪の増加はあるのだし、成人の増加もその延長上にある。今までの家族や学校や会社とそれをとりまく地域の家父長制支配を直視し、やさしく言えばボス支配を基調とした社会に代わる新しい社会を作り上げることなしには犯罪を減らすことはできないだろう。前田氏の言うような単なる既存の社会組織の連携では、無理なのである。

 こうした新しい社会の創造への取り組みを欠いた厳罰化は、かえって事態を深刻にして闇に隠れたものにしてしまうだけである。少年の深夜外出に対する保護者への処罰の導入は、それだけでは、家族が壊れ子どもにどう対処してよいか悩んでいる親をかえって追い詰めるだけである。地域の相互扶助が壊れている今必要なことは、こういった親の相談を受け、対処方法を共に悩み歩む人々と機関をつくりあげることである。
 実際に少年犯罪や離婚問題、あるいは配偶者の暴力問題などを扱い当事者を支援するNPOなどでは、親へのカウンセリングを行っている所が数多くでている。深夜徘徊など少年の犯罪予備軍化の問題にしても、対症療法的にさえ悩める親への援助という問題が欠かせない。それは同時に、子どもへの援助も必要だということである。各地にある子ども110番や地域に子供の居場所を作る取り組みなどは、その先駆けであろう。
 このような、対症療法としての当事者への援助活動には、その内部に社会の新しい構成原理としての「自立と連帯」という思想が根付いている。したがってこれと平行して問われるのは、この新しい構成原理に基づいて少年を取り巻く社会を変革していくこと、とりわけ直接的には学校と地域の変革だが、将来の問題として会社と仕事組織の変革も必要だろう。そこでは子どもを自立した主体として捉えながらも、その自立を援助する活動が中心とならなければならない。
 キーワードは「自立」と「連帯」(相互扶助)である。家族の絆も学校での学びのありかたも、そして職場での働きのありかたや地域での人々の結びつきかた。この全てが、新しい構成原理によって組み立てなおされねばならない。
 家父長制的社会に代わる新しい社会は、現実の社会の各層に起きている問題に、当事者の自立と社会的連帯・支援の考え方に基づいて行われている様々な活動の中にほの見えている。それらの活動をとりあげ、その意味を確認し、相互に結びつけていく活動が今こそ必要とされているのだと思う。そしてこの活動こそが、新しい世界のあり方(文字通り、単に日本だけではない世界全体のあり方)を示す基本綱領を作る基礎作業とでもいうべきであろう。

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